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2013年4月23日 (火)

熱海の「海の民」

縄文時代の商人ネットワーク。交易の主人公は当然商人だ。卑弥呼の朝貢も国ベースの交易だが、それには商人が深く関与していた。卑弥呼の朝貢にも、当然、商人が深く関与していた。したがって、魏志倭人伝を正しく理解するには、商人の存在を考えねばならない。道中の道案内だけでなく、魏の王への橋渡しを商人のボスがやったのである。

魏志倭人伝の時代、当時の商人のボスはどういう人か?大陸にネットワークを持つと同時に、倭の国にもネットワークを持っている人であろう。倭の国のネットワークとは、渡来人のネットワークである。それは日本海沿岸の渡来人の多く住む所である。

では、縄文時代、当時の商人のボスはどういう人か? この時代、まだ安曇一族とか海部氏というものは存在しない。それぞれの地域で海の民が活躍していただけだ。広い範囲でそれらを束ねる権力者はまだ登場していない。したがって、海の民の活躍を知るには、歴史的な文献ではなく、考古学に頼るしかない。しかし、考古学によって、海の民のおどろくベき活躍が判明している。海の民は、三万年前に熱海を拠点として大活躍をしていたのだ。その伝統は鎌倉時代まで続く。大和朝廷との関係で言えば、あの白村江の戦いの総司令官は、熱海の海の民の流れをくむ駿河湾を支配する豪族である。

静岡県は、「先代旧事本紀」によれば、4世紀頃、遠淡海、久努、素賀、廬原、珠流河、
伊豆の小地域に分立し国造によって支配されたが、大化改新後(645)諸国が 再編成され
て、廬原国、珠流河国、伊豆国三国が合併され、駿河国となり、他3国が遠江国となって2
国に分立。その後天武天皇9年(680)に伊豆国が分離 独立したため、国府も旧珠流河国
付近から静岡(安倍)の地に移ったと考えられている。「先代旧事本紀」は信用できない
部分も多いが、国府に関する部分に限って言えば、かなり信用できるようである。ここで
私の問題にしたのは、駿河国の豪族庵原氏と伊豆山神社との関係である。
せっかく駿河国と遠江国に分かれたのに、その後30数年経って何故伊豆国が独立したの
か? 余程の事情がないとそんなことは起こりえない。余程の事情とは何か? 私には、
伊豆山神社の強い働きかけがあったとしか考えられない。上述したように、伊豆山神社
は、大化の改新以前の天皇としては、仁徳・ 清寧・敏達・推古・孝徳の5人の天皇の勅
願所になっていた。幸徳天皇は、斉明天皇の前の天皇であるが、大化の改新が行われたと
きの天皇である。
その頃は、朝廷の伊豆山神社に対する崇敬の念も厚く、地方の豪族・国造も右にならえの
状態ではなかったか。特に、駿河国の豪族庵原氏は天皇の血を引く家柄であり、伊豆山神
社に対する崇敬の念はことのほか厚く、伊豆山神社と深く結びついていたのではないか。
そして、その結びつきというのは、旧石器時代や縄文時代からのものであって、熱海の
「海の民」の回帰的威信財「黒曜石」によるもので、熱海の「海の民」の造船技術と航海
技術が自ずと庵原氏に伝わっていったのではなかろうか。 熱海の「海の民」の回帰的威
信財「黒曜石」は、江ノ島に河口をもつ境川を通じて相模原台地まで運ばれたが、それも
当然舟運によった。熱海の「海の民」の太平洋の支配は、少なくとも、相模湾と駿河湾に
及んでいたと思われる。かくして、駿河の庵原一族は造船技術と太平洋の黒潮を乗り切る
航海技術を身につけていたのではなかろうか。事実、庵原氏は、斉明天皇の御代(み
よ)、かの白村江の戦いで日本水軍の総司令官を努めるのである。
駿河の豪族・庵原氏の古墳は、清水港の近くにある。

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