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2013年3月 9日 (土)

「間」の思想

「間」の思想

日本舞踊家で、川口流を創設した川口秀子さんは“間”について「舞踊は、間が基準の芸術であることは言うまでもないが、ただ間に合っているだけでもいけないので、そういう間を、常間(じょうま、定間とも書く)と言って斥ける。間が基準の芸術でありながら、常間に踊ってはいけないというところが、日本的と言うか、日本舞踊のむつかしい、奥深いところなのだ。」と言っている。また、江戸時代の『南方録』という本にも、「音楽の拍子でも、合うのはよいが拍子に当たるのは下手だ。雅楽には峯すりの足というのがあって、拍子を打つ瞬間の峯に舞の足の峯が当たらずに、ほんのわずかずらすのが秘伝だ」とあるそうだ。もちろん三味線もあてはまる。三味線と語りで成り立っている義太夫だが、言葉の方は五、七でできているので、おのずと三味線を弾く場所も決まってくる。それが常間と呼ばれる基準なのだが、演奏の時にはそこからずらす。三味線と語りがべったっとよりそっていてはいけないのだ。しかし、そもそも常間がわかっていないと、それを斥けることもできないので、まずは常間をつかむところから始まる。そういえば剣道にも「間合い」という言葉もあった。相手と自分との距離をさす言葉だ。舞踊にも三味線にも剣道にもあるということは、調べれば日本のものにはほとんど間がかかわってくるのだろう。
私も長年小唄を習って来ているが、いつも師匠から言われているのはいわゆる”間”の取り方、あるいは”間”の大切さである。しかしこれがなかなか難しく、苦労している。

剣道の「間合い」では、相手の竹刀と自分の竹刀の剣先が触れ合う程度で、その間が近くなったり遠くなったりする。剣先だけでなく、互いの体の間をつかんで、伝わってくる気配を読む。

「間」は私たちの生きる場を根拠づけるものであるだけでなく、日本文化では、とくに芸 術・芸能の面で、また人と人との間など、生き方においても、決定的な意味をもちつづけてきた。芸術から建築まで、人や世間、神仏とのつき合いから死生観ま で、一貫する「間」の思想を見つめ直し、日本文化の本質を再確認しなければならない。

秘すれば花。秘すれば花なり秘せずは花なるべからず
これは世阿弥の書き残した『風姿花伝』の中の、よく知られた一節である。この花伝書で、世阿弥は芸上達のアドバイスと、興行を成功させるための方法論を具体的かつ詳細に書いている。一座の発展と、この芸を志す者に、世阿弥自身が獲得した奥義を伝えたいという、やむにやまれぬ心情から書かれたようだ。
奥の深いものは見せれない。「間」において、観客には奥深いものを感じて貰うしかない。その感じ方は、観客次第だが、その自由な感じ方が、面白いのだし、花のように素晴らしい。奥は「穴」の奥でもある。日本人は「穴」の奥に「ある」というもの、すなわち神を感じることができる。
「間」の観念というのは、どうやら縄文時代から続いてきて、世阿弥によって完成されたもののようだ。中沢新一は、内田樹との対談集「日本の文脈」(2012年1月、角川書店)の中で「能というものは中世よりもっと古代の死生観を形式化したもの」という趣旨のことを言っているが、私もまったく同感で、能というものは縄文時代の死生観を中世の人が芸能の型に形式化したものと考えている。ここで小林達雄の語る縄文人のすばらしい感性とわが国の舞踊の縄文性を紹介しておきたい。小林達雄は、その著書「縄文人の世界」(1996年7月、朝日新聞社)の中で、『縄文人が人工的につくりだす音はいかにも低調であった。いわば縄文人は、自ら発する音を自然の音の中に控えめに忍び込ませはするが、あえて個性を強く主張したり際立たせようとはしなかった。わが国の舞踊は、楽器が自らの音の調べとリズムを主張するとき、人の身体、人の身振りや身のこなし方にも干渉し、注文をつける。わが国の舞踊においては、スリ足で舞い舞いして、なかなか大地からはね跳ぼうとしないのは、楽器の発達が縄文以来、控えめに終始してきたことに遠い由来があるのかもしれない。」と述べている。能などの舞(まい)はすり足などで舞台を回ることを基礎とし、踊(おどり)はリズムに乗った手足の躍動を主とする。舞(まい)の本質は「間」にあるが、それは小林達雄が言うように、縄文時代から現在まで連綿と受け継がれているようだ。
では、土取利行の奏でる縄文の音霊を聴いてみよう!
http://www.youtube.com/watch?v=K5Zd0iAtEd4

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