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2013年1月 1日 (火)

天地から見放されないために!

「ディープエコロジーの環境哲学-その意義と限界」(要約)

森岡正博の「ディープエコロジーの環境哲学-その意義と限界」という素晴らしい論文がある。その中に、岡本太郎の「美の呪力」(新潮社)と関係のある部分が少なくないので、その関係部分をピックアップして、「呪力」についての参考資料とすることとしたい。岡本太郎は、「美の呪力」の中で、・・・『 石は大地のよりどころ、木は天空に向かっての標識である。天と地は無限の両極から人間の運命をかかえ、そして引き離す。木、石はそれに対応する呪術をはらんでいるのだ。』・・・と言っているが、私たちは、地球上のすべての存在もそうだが、天空と大地にいだかれて存在している。しかし、私たち人間が「天地」の意思に逆らって、傍若無人の生き方をするとき、「天地」は私たちを見放し、私たちは「天地」から引き離されてしまう。岡本太郎はそう言っているのだ。以下に記す「ディープエコロジーの環境哲学-その意義と限界」という論文の要約は、かかる観点から岡本太郎のいう「呪力」に焦点を当てているので、その他の大事な部分が多少抜けているかもしれない。したがって、「ディープエコロジーの環境哲学-その意義と限界」という論文の全体を知るには、以下の要約だけでなく、次のページを是非読んでいただきたい。
http://www.lifestudies.org/jp/deep02.htm

さあそれでは、岡本太郎の「美の呪力」(新潮社)と関係のある部分をピックアップすることにしよう。
1、ライフスタイルの根本的な見直しが必要。  2、地球環境問題を生み出した現代文明に対する思想的な反省が必要。  3、 近代哲学批判、近代文明批判が必要。
4、 意識改革が必要。  5、 戦うという姿勢が必要。  6、直観と経験を重視する姿勢が必要。  7、 あらゆる「支配」と戦うことが必要。  8、 近代科学の弱点に気がつくことが必要。  9、 ディープエコロジーのために直接行動に立ち上がろう!  
10、 ニューエイジ運動に立ち上がろう!   11、 宗教に大いなる関心を持つことが必要。  12、「生と文化」の問題に大いなる関心を持つことが必要。  
13、地域コミュニティでの実践活動が必要。 14、 少数民族の生活文化に学ぶことが必要。  15、女性の活躍を応援することが必要。  16、霊的なものの正しい認識が必要。  17、新たな創作神話を読むことが必要。 18、 名著といわれる本を少しでも読むことが必要だ。  19、「女性礼賛」が必要。 20、 男は女房に対する自己反省が必要だ。  21、 貧困問題について考えることが必要。

1、ライフスタイルの根本的な見直しが必要。1972年の「人間環境宣言」や1992年の「環境と開発に関するリオ宣言」を読んでも、そこには現代の環境問題を生んだ現代科学技 術文明に対する思想的反省や、環境問題を真摯に受け止めることのできる新たな思想・哲学の必要性、あるいは先進国の住民のライフスタイルを根本的に見直す ことなどが、ほとんど説かれていない。というのも、少々極端に言えば、国際政治問題としての「地球環境問題」とは、現在の先進諸国が享受している生活レベ ル・体制思想・社会制度などに深い変更を加えないことを前提としたうえで、環境問題を解決しようという議論枠組みだからである。そして、「持続可能な発 展」の概念が示すように、そのパースペクティヴに捉えられているのは「将来世代の人間」をも含めたうえでの「人類」とその「生息環境」であり、人間以外の 生命体や自然それ自体の「内在的価値」(intrinsic value)は基本的には考慮されていない。
2、地球環境問題を生み出した現代文明に対する思想的な反省が必要。地球環境問題を生み出した現代文明に対する思想的な反省は、今日、「ディープエコロ ジー」という思想潮流となって先進諸国のエコロジストを中心に形成されつつある。その議論が、地球環境に関する国際政治の議論の場に登場す ることはきわめて少ない。しかし、ディープエコロジー的な発想は、環境NGO(非政府組織)にかかわる人々を中心に、かなり広い分布を見せている。そして このディープエコロジーは、独特の環境哲学と環境倫理学とを内包しているのである。
3、 近代哲学批判、近代文明批判が必要。ディープエコロジーの思想は、近代哲学批判、近代文明批判の様相を呈する。そして、近代文明によって抑圧 されてきた先住民のライフスタイルに学び、女性的なものを再評価しようとする。
4、 意識改革が必要。自然とは、近代人が考えてきたような「征服すべき対象」ではない。人間と自然とはそもそも一体である。自然のなかで、自然に支 えられて生きる人間という、正しい世界観をわれわれが再発見することなしに、環境問題はけっして解決しない。そのためには、われわれ自身がまず変わる必要 がある。われわれは見失ってきた「自然の声」、「地球の声」を聞くことのできる感受性をとりもどし、それら と呼び合うことのできるような人間へと、われわれ自身が変わってゆかねばならない。
5、 戦うという姿勢が必要。ディープエコロジーは「反階級の姿勢」をとり、「汚染と資源枯渇に対する戦い」を進め、 それぞれの地域が自律して「環境問題に立ち向かうこと」が重要である。
6、直観と経験を重視する姿勢が必要。ディープエコロジーの基礎は、われわれが自然に向き合ったときの直観と経験である。すなわち、必要なことは、我々のなかにあるもっとも基本的な直観に対する確信と信頼であり、直接的な行動をとる勇気であり、甘美なハーモニーにあわせてダンスを するときのうきうきする信頼感である。そのハーモニーは、流れる水流や、天候や季節の移り変わりや、地球上の全生命プロセスに発見されるリズム、あるいは 我々の身体に内在するリズムに対して、我々が自発的で明るい親密な交わりを行なうときに、見いだされるのである。
7、 あらゆる「支配」と戦うことが必要。何千年もの間、西洋文化は「支配」の観念にとりつかれてきた。自然の支配、男性による女性の支配、 富めるものによる貧しいものの支配、西洋による非西洋文化の支配。ディープエコロジーは、これらの考え方を誤った、危険なものと考える。
8、 近代科学の弱点に気がつくことが必要。ディープエコロジカルな意識の探求は、客観的な意識の探求であり、それはアクティヴでディープな真理探求と、 ディープな暝想のプロセスと、ディープな生活様式によって達成される。そうすることによって、哲学的・宗教的レベルの知恵を獲得することができる。それ は、近代科学の方法によっては決して確証できないものである。
9、 ディープエコロジーのために直接行動に立ち上がろう!誤った近代的世界観を捨て去り、その代わりに、有機的な生命世界のなかに織り込まれて存立している真 の自己のあり方に目覚め、そして生活をエコロジカルなものに改め、調和のとれた世界を実現してゆくための直接行動に立ち上がろう、というのがディープエコ ロジーの考え方である。
10、 ニューエイジ運動に立ち上がろう!アメリカ・ニューエイジ運動のひとつの結実が、このディープエコロジーであると見ることもできる。
11、 宗教に大いなる関心を持つことが必要。自己実現とは、近代的な自我の確立を意味するのではない。それは、人間と人間以外の世界を含んだ有機的全体であるところの「大きな自己」のなか で、それとの関連性において(小さな私の)自己を成熟させてゆくことである。ここには、ヒンドゥー思想、仏教思想の顕著な影響がみられる。
「生」の問題に大いなる関心を持つことが必要。 生命中心主義的 平等とは、すべての生命体がおのおの自己実現をする平等の権利をもつことを意味している。すべてが繋がり合った生命圏のなかで、他の生命体を傷つけること は、ひいてはわれわれ自身を傷つけることになる。しかし彼らは、人間の食欲の犠牲になる動物や植物の自己実現と、人間の自己実現とをどうやって調 和させるのかという難問に、明確な答えを出していない。(岩井國臣の注;したがって、宗教哲学としての答えを出さねばならないし、私たち一般庶民としては、そういう学問への支援が必要だ。岡本太郎は「美の呪力」の中で「人間の根源的に生きる感動、それを回復するために、どうすれば良いのか。何よりも、全人間的なヴィジョンが必要だろう。それには専門的でない、ズブの素人が平気な眼で参加しなければならないと思う。」と言っている。私たちも「生」の根本的な問題に無関心であってはならない。)
12、「生と文化」の問題に大いなる関心を持つことが必要。人間と、地球上の人間以外の生命体の幸福と繁栄は、それ自体価値あるものである。生命体の豊かさと多様性には、大きな価値がある。人間は、自分自身の「いのちにかかわる」欲求を満たすときを除いては、生命体の豊かさと多様性を減少させるどんな権利をも 持っていない。人類の人口の大規模な減少がなければ、人間の生と文化の繁栄はない。人間以外の生命体の繁栄も、人類の人口の減少が条件となる。現在の人間の自然界への介入は度を超えている。従って、政策が変更されなければならない。「生活水準」から「生の質」へと考え方を変えなければならない。これに共鳴する人は、行動を起こす義務がある。
13、地域コミュニティでの実践活動が必要。現実の場 面では、少数民族の伝統にのっとって、地域共同体とくに生活地域(bioregion)のなかで働くことを えらんでゆく。 生活地域主義とは、自分たちが住んでいる地域の生態系の特徴を尊重し、それに合わせたような 生活様式を選びとることである。たとえば、地域の生態系に生えている植物やそこに住んでいる動物などをそのまま住まわせておき、何かの介入をするときに は、その地域の自然プロセスの統合性をつねに尊重するようにする。そして、広い地域をではなく、自分たちが住んでいるもっとローカルな場所、たとえば谷な どに目を向け、そこの季節の移り変わりや、天候や、生き物の暮らしなどにいつも注意を向けていることが求められる。
14、 少数民族の生活文化に学ぶことが必要。ネイティヴ・アメリカンな どの先住民研究の成果も、ディープエコロジーに大きな影響を与えた。自然のなかのさまざまな生命を敬い、そのリズムに調和して謙虚に生活するというアニミ スティックな生活様式と知恵は、ディープエコロジストの理想境となった。
15、 女性の活躍を応援することが必要。エコフェミニズムとは、女性学、女性運動の立場から、環境問題を根本的に見直そうという思想潮流で ある。「エコフェミニズム」という言葉は、1974年にF・ドボンヌによって提唱された。そして、1980年代に、Y・キングらによって大きな運動へと育 てられていった。日本にもI・イリッチらの著作を経由して導入がはかられたが、その母性主義的・反近代主義側面が一部マルクス主義フェミニズムな どから攻撃され、現在に至るまで日本のフェミニズム世界ではまともな議論の対象にすらならなかった。エコフェミニズムによると、現在の地球規模の環境破壊をもたらした元凶は、西欧の自然科学技術と産 業化であり、その背後には自然を支配し搾取することを肯定した近代の哲学と世界観がある。ところで、そのような哲学を作り上げたのはほかならぬ「男性」で ある。男性はそのイデオロギーを自然環境に暴力的に適用して自然支配を遂行し、同時にそのイデオロギーを「女性」にも暴力的に適用して女性支配と女性の抑 圧を行なってきた。こうやって考えると、環境破壊問題と女性搾取問題は、同根の問題であることが分かる。環境問題を真に解決するためには、なによりもまず 女性の解放こそが求められなければならない。
16、霊的なものの正しい認識が必要。ディープエコロジー思想の最近の完成品として、T・ベリーの『地球の夢』(1988) がある。ベリーは、キリスト教神秘主義の立場に立ちながらも、エコフェミニズム、ガイア仮説、ネイティヴアメリカン研究、生活地域主義などの成果 を肯定的に吸収し、自然世界のなかに偏在する「心的エネルギー」と交歓できるような、霊的次元での成長の必要性を力説している。近代西洋文明以前は、人類は地球との親密な関係を維持していた。自然界すべてには「神秘的エネルギー」があまねく満ちており、宇宙は多 様な形態をとった1個のエネルギー事象であるが、古代人はそれに気づくことで創造神話を生みだし、その神話が多くの文化を生みだした。そして、諸文化のな かにみられる儀礼は、コミュニティによって必要とされるエネルギーを維持し、チャネリングするための主要な道具であった。エコロジー には、神秘的な基盤がなくてはならない。この神秘的な側面は、ユンクが言うような、グレート・マザー、マンダラ、宇宙の樹などの「元型」のなかに、最もよ く表現されている。
17、新たな創作神話を読むことが必要。ベリーは、このような精神的次元での転回をなしとげるためには、新しい物語の創造が必要だという。そしてそれは、宗教的啓示に裏づけられていなけ ればならない。「我々は、伝統的な宗教なしではやっていけない。しかし、伝統的な宗教は、いまなすべきことを行なうことができない。新しいタイプの宗教的 方向付けが必要なのだ。私(森岡正博)の考えでは、これは宇宙についての新たな物語から出てくるにちがいない。そしてこの物語は、新たな啓示的な経験を用意する。その 経験は、<進化的過程はその始めから物理的プロセスであると同時に、霊的なプロセスでもある>ということを我々が理解するやいなや、把握されうるのであ る。」(岩井國臣の注:私たち一般庶民が創作神話を読むことは、ここでいう新しい物語の創造を促すことになり、ひいては新たな宗教の誕生を可能ならしめる。)
 「呪力」(霊の力)に対する正しい認識が必要。ベリーが礼賛するのは、ネイティヴ・アメリカンの生活様式である。彼らは、素朴な 神秘主義をまだ保持しており、母なる大地との交歓やシャーマニズムの儀礼などによって、自然世界や無意識の元型世界との霊的交流を行なっている。われわれ に必要なのは、彼らから多くを学んで、エコロジー時代の霊性の大枠を創造することである。それは、理性によって捉えられるものではなく、直観的、非理性的なプロセスによってのみ捉えられる。「我々は、宇宙の究極的な力によってささえら れている。それらの力は、我々自身のなかにある自発性を通して現前してくる。我々は、それらの自発性に敏感になるだけでよいのだ。素朴な単純さによってで はなく、批判的な理解力によって。(28)」それは、哲学者、宗教者、予言者、大学教授の役割ではなく、シャーマンの役割である。こうして、ベリーは、 シャーマン的直観をもち上げることになる。このように、自然界との霊的な交流を取り戻すことによってこそ、環境問題は真の解決へと向かうのだというベリーのエコロジー思想は、ディープエコ ロジーのなかでも最右翼の、まさに神秘主義的としかいいようのない詩的世界を作り上げている。
18、 名著といわれる本を少しでも読むことが必要だ。フォックスは、著書『トランスパーソナル・エコロジー』(1990)において、ディープエコロジーをトランスパーソナル心理学と結合させようとし ている。トランスパーソナル心理学とは、A・マズロー、S・グロフ、K・ウィルバーなどによって提唱されてきた心理学であり、人間の意識の深層にまで降り てゆくと、そこでは人間たちのこころはお互いにつながっており、さらには人間以外の生命体ともつながっていると主張する。フォックスは、もとディープエコロジストであったが、それをさらに深めてゆくことで「ディープエコロジー」を脱したと言う。すなわち、ディープ エコロジーは自己変革と真の「自己」の発見を強調するが、その真の自己の発見をまじめに追求してゆくと、それは「自我的で自伝的で個人的な自己」を超えざ るを得なくなる。その自己の経験は、「個人的なもの」、「存在論的なもの」、「宇宙論的なもの」へと3段階に深まってゆく。宇宙論的な自己経験とは、「我 々とすべての存在者は、自己展開してゆく唯一のリアリティのいろいろな側面にすぎない」という深い気付きに基づくものである。そこまで深まった体験をもと にしたエコロジーは、トランスパーソナル・エコロジーとよばれるべきである。自我のレベルを超えてそこまで深まることで、エコロジーは真に人間中心主義を 超えることができるのである。
19、「女性礼賛」が必要。女性の月経のサイクルや、妊娠時の骨の折れる(胎児との)共生関 係や、出産のときの身をよじるような苦しみや、赤ちゃんに母乳を与えるときの喜びなどを考えれば、女性がすでに自然と隣接して生きていることがわかるはず である。
20、 男は女房に対する自己反省が必要だ。ディープエコロジーは、女性性や母性を言葉のうえでは賞賛するのだが、それを 口にするディープエコロジストの男性たちが、実際の彼らの家庭のなかで妻や女性たちに奉仕の役割を押しつけて、そのことを気にもかけないといったことがあ るはずである。これらの点は、フェミニズムが年来指摘し続けてきたことであるが、ディープエコロジーはその成果を勉強するのを怠っている。
21、 貧困問題について考えることが必要。豊かな社会で成立したディープエコロジーの思想は、これから近代化を本格的に迎えようとする途上国の 人々、あるいは否応なくディープエコロジカルな生活を余儀なくされていた途上国の人々にとって、思想的インパクトを欠くといわざるを得ない。砂漠地帯の住 民は「森の生活」を享受できない。南北問題や人種問題、環境難民など、現代世界の構造的矛盾に対するディープエコロジーの知的対応は、きわめて貧弱である。

以上、1〜21まで、私たち各人が振る舞うべき事柄を書いた。どんな人でも、傍若無人にこれらの事柄と逆のことをやっていると、遂には天地から見放されて、最後は不幸な人生を送らなければならない。岡本太郎はそういっているのだと思う。ゆめゆめたゆまざる努力を忘れたもうな!

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