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2012年12月 4日 (火)

地域文化と小唄

地域文化と小唄

文化にはいくつかの定義が存在するが、総じていうと人間が社会の成員として獲得する振る舞いの複合された総体のことである。
しかし、ラテン語 colere(耕す)から派生したドイツ語の Kultur や英語の culture は、本来「耕す」、「培養する」、「洗練したものにする」、「教化する」といった意味合いを持つ。18世紀後半に、産業化を示す技術革新、生産性の向上、社会の官僚化といった人間の外部に相当するものとしての文明と対比される、人間の精神面での向上を示す言葉として位置づけるものとしての文化という意味で議論を展開したのがマシュー・アーノルドである。この定義では文化は教養と言い換えることもできる。したがって、私たちは人生を生きていく上で、文化を知ることがきわめて重要なのである。私は文化というものは土地にくっついていると考えていて、現在自分の住んでいる土地の文化はもちろんのこと、時空を超えていろんな時代のいろんな土地の文化を知らねばならないと思うのである。
小唄(こうた)には、もともと端唄から派生した俗謡である。一般には江戸小唄とされる端唄の略称。略称として定着したのは、明治・大正年間である。ほかに現代小唄・清元小唄・常磐津小唄・義太夫小唄(豊本節)・新内小唄などがある。私がお稽古をしているのは江戸小唄であるから、これを習うことによって、江戸から明治、そして大正時代の生活文化を勉強できるので、私の人生はそれだけ豊かになっているようだ。江戸小唄といっても必ずしも江戸という場所だけが歌詞に出てくる訳ではなく、江戸の人が関心を持っていた土地の文化が謡われている。例えば、私は先に「大磯のさざ波」を紹介したが、
http://www.youtube.com/watch?v=6fgm_P5JF_0&feature=g-crec

「女房を質に入れても初鰹」と川柳にも謳われるほど、江戸っ子がこよなく愛した初鰹ですが、その名所は大磯だったのである。江戸湾では鰹は獲れないので、相模湾で獲れた初鰹を、江戸まで通常は舟で運んだ。場合によっては陸路を馬で運ぶこともあった。鰹は黒潮に乗って北上するが、四国沿いに北上し、伊豆諸島沿いに北上するものと沖合を北上するものがある。沖合を北上するものは、もちろん房総沖でも獲れたが、初鰹となると何といって相模湾である。その中心的な港が大磯であった。大磯の港は実に歴史が古い。
ここでは相模湾の舟運について述べる時間はないが、古来、日本の舟運の拠点は熱海を中心とした相模湾であって、かの 高麗王若光(こまおうじゃっこう)も大磯にやってきたのである。
百済滅亡に引き続き、668年には高句麗が滅びて、朝鮮半島は新羅によって統一された。その際、高麗王若光(こまおうじゃっこう)は一族を引き連れて日本に亡命、朝廷の指示で大磯に上陸、各地に散在して、この地方の人たちに、鍛冶、建築、工芸など各種の技術を伝えたのである。関東地方の開拓と発展は若光に負うところが大きい。若光は高徳の人で、文武(もんむ)天皇から従五位下の位と「王(こきし)」の性を賜った。

大磯は、朝鮮半島からの渡来人の関東平野における朝廷指定の上陸地点である。大磯から関東各地に別れていったが、その主力は、大磯から多摩川の狛江、そして入間川の高麗郡にいたる流れである。大磯はその流れの拠点になった。そういうことから、大磯には今は高來神社というが、高麗神社がある。ところで、渡来人の関東平野の開拓に与えた影響は大変大きい。大和朝廷自らの開拓は、物部一族によっても行なわれたのではないかと思われるが、皇族が派遣されて積極的に進められた。それが武士の発生に繋がっていく。しかし、私は、渡来人の関東平野の開拓に与えた影響は非常に大きかったと思う。渡来人の活躍というものを見のがす訳にはいかないだろうと思うのだ。大磯は、埼玉県の高麗郡とともに、それら渡来人の活躍というものを考える際の要となるところだ。大磯・高麗神社から箱根権現へと繋がっていくし、箱根権現は、伊豆権現とともに、鎌倉幕府成立と繋がっていく。大磯を語らずして板東武士を語ることはできない。かかる観点からは、大磯は、武家社会の源流にある。
さて、近畿地方から船で関東に向かう場合、当然黒潮を利用しての沖乗りが原則であろう。沖乗り航法からどこで地乗り航法に切り替えるかは、船頭の腕の見せ所だ。大磯に向かう場合は、私の想像では、伊豆の大島が見えるところで地乗りに切り替える。そして、地乗りになってからはまずは大山を見ながら初島を目指す。初島までくれば、大山を見ながら大磯を目指す。高麗山はすぐそこだ。古代でも、このような沖乗り航法、地乗り航法という航海技術はあったようである。高麗山があるだけに、大磯は、格好の港であったのではないか。渡来人の上陸地点に指定された訳だ!

それでは、大磯町のホームページに「湘南の奥座敷としての大磯」というページがあるので、まずそれをここに紹介しておきたい。
http://www.isotabi.com/

らに、現在における大磯の風物詩に関してとても良いホームページがあるので、それをここに紹介しておこう。
http://www15.ocn.ne.jp/~naka8/natu-87.html

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