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2012年12月30日 (日)

潮来アースダイバー

潮来アースダイバー

潮来は日本最高の観光地の一つである。21世紀は世界は今の西洋文明から日本文明に大転換していきますので、世界の人びとが日本に大勢やってくるでしょう。大勢の観光客もやってきます。旅人はさまざまであるし、観光資源というか見るべきものもさまざまであります。し かし、私が文化観光を重視するのは、国際貢献に資すると思うからです。わが国の「歴史と伝統・文化」を語るべき「場所」はさまざまであり、何を語るか、そ の内容によって語るべき「場所」が違ってきます。語るべき人によっていろいろな「場所」があるということでしょう。わが国の 「歴史と伝統・文化」の心髄である「違いを認める文化」を語る上でもっとも好い場所は興福寺や春日大社を含む東大寺界隈だと思いますし、旧石器時代の黒曜石文化を語るには神子柴を含む八ヶ岳周辺が良いと思います。 また、舟運については神津島の黒曜石を視野に入れて熱海を語るのが良いし、世界に誇る縄文時代の土器文化を語るには阿賀野川の中流・津川が良いでしょう。これらについて、私はすでにいろいろと書いてきました。縄文文化を総合的に語るには三内丸山を中心とした青森県が良いし、古代にアースダイビングをしてその地域の光り輝く観光資源を語るには本当にさまざまで、日本にはそのような観光資源が実に豊富であります。
さて、ここでは潮来を中心とした霞ヶ浦の文化を語ることにしましょう。潮来は水郷としての自然にも大変恵まれています。しかし、世界的に見て、特筆すべきは、香取神宮や鹿島神宮、それに息栖神社という歴史的に大変由緒ある神社が集中しているところにある。これを私は「聖なる三角形」と呼びたいと思います。全国にこんな地域はありません。この三つの神社は、東北三社参りとして江戸っ子にもおなじみのものであったことは皆さんご存知でしょうか。潮来アースダイバーとして、私はこれからこれらのことを語ってみたいと思います。そして、香取神宮や鹿島神宮、それに息栖神社という歴史的に大変由緒ある神社がなぜこの地域に集中しているのか、その原因を探りながら、世界における日本文化の先進性についても語ってみたいと思います。

私は先に、 「アースダイバー」(中沢新一、2005年5月、講談社)にもとづいて「トポスとアースダイバー」という拙文を書いたが、その中で次のように申し上げた。すなわち、
『中沢新一が「古代遺跡群が泥の堆積のようにうずくまっている。それと同じように、そこに暮らしている人びとの心も、さまざまは時間を同時に生きている」と指摘しているこの部分も重要である。私たちは、まずは古代人がどのような感覚を持って生活していたのか、その「生きざま」を知らなければならない。私は先に、「風土」について述べたが、その土地の「自然のおもむき」と「歴史のおもむき」と「人びとの生きざま」を知らなければならない。「風土」は「トポス」である。そういう「トポス」というものを明らかにしながら、「野生の科学」の基礎資料とすると同時に、私の提唱する「日本型ジオパーク」において人びとの啓蒙を図らなければならない。「風土」と「トポス」と「野生の心」とは繋がっているのである。そういう心的トポロジーの啓蒙を図るのである。
そして、中沢新一は著書「アースダイバー」(2005年5月、講談社)で、「大地の歌」が聞こえてくると言っている。これを私流に言えば「風土」すなわち「トポス」との「響き合い」である。古代人の生きざまとの「響き合い」を是非体験していきたいものだ。』・・・と。

私はその土地の「風土」、すなわちその土地の「自然のおもむき」と「歴史のおもむき」と「人びとの生きざま」をアースダイビングするというやり方、このやり方は中沢新一のそれとはまったく異なるやり方ではあるが、私流のやり方で、価値ある「ちっぽけな泥」を掴み上げてみたいと思う。 ここでいう価値ある「ちっぽけな泥」とは、その地域の人々が今後地域の「風土」に誇りを持ってイキイキと生きていくための基礎的資料である。それをもとに今後の地域づくりが行われれば、地域の人々は、古代人と「響き合い」ながら、地域に誇りを持ってイキイキと生きていくことができるようになるだろう。

冒頭に申し上げたように、 潮来は日本最高の観光地の一つである。今後、そういう認識の元で、この地域の観光開発を行っていかなければならない。観光とは「光」を観ることである。その地域の地中深くアースダイビングして価値ある「ちっぽけな泥」を掴み上げてきて、それを磨いて光り輝かさなければならないのである。そうすることによって現在の観光がどのように変わるのか? それが潮来アースダイバーの目的であって、私は、現在の観光資源を基本にしながらも、新たな観光資源を発掘したいと思うのである。私の場合、その元になるのは小唄「切り真菰」であるので、まずその歌詞を紹介し、現在の観光を紹介するところから潮来のアースダイビングを始めたいと思う。

小唄「切り真菰」については、少々解説を書きましたので、次の見ていただきたい。
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/kirimakomo.pdf

現在の観光については以下のとおりである。
佐原:http://www15.ocn.ne.jp/~skk/
潮来:http://www.city.itako.lg.jp/dir.php?code=3
鹿島:http://www.sopia.or.jp/kashima-kanko/
水戸:http://www.mitokoumon.com/index.html

では、これから潮来のアースダイビングを始めたいと思う。まず最初に潮来地方においていつ頃から人が住み始めたのか? そのことを考えてみたい。東北地方にやってきた最初の日本人についてはすでに書いた。
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/usoinada.pdf

最初の日本人は舟を巧みに操って、岩手県に上陸した。 命がけでやってきたと思われる。その後、縄文人は舟を巧み操って、北海道からアメリカ大陸まで渡っているようだが、最初の日本人が岩手県にやってきたのはそれと同じような冒険心からかもしれない。とにかく最初の日本人・海の民が岩手県にやってきたのだ。岩手県に最初の人々がやってきたのは、おおよそ4万年前頃を思われる。旧石器時代である。 縄文時代になると、西日本から多くの人々が東北地方にもやってくる。かの丸山三内遺跡を初めとして東北地方にも縄文遺跡が結構多く、漁労や舟運も盛んであったらしい。しかし、縄文時代から弥生時代にかけて、東北地方やこの霞ヶ浦地方の舟運がどのような状況であったのかはよくわかっていない。私は、水郷地帯のことであるからおそらく舟運が盛んであったと推測している。霞ヶ浦周辺が歴史に登場してくるのは、大和朝廷の東北進出を契機とする。その前線基地として香取神宮に次いで鹿島神宮が作られていく。東北進出の権力者は物部氏であったが、鹿島神宮の創建についてはこの潮来地方の豪族・多氏(おおし)の力によるところが大きかったようだ。潮来地方の豪族・多氏(おおし)は大変興味ある豪族である。大生古墳群は多氏のものだ。多氏は、神武天皇の御子、神八井耳命(カンヤイミミノミコト)を祖とする氏族であると言われたりしているが、私は、神武天皇が本当に実在していたのかどうかの確信がないので、ここでは、多氏は大和朝廷と関係の深い潮来の豪族としておきたい。大、太、於保などとも書くが、すべて「おお」と読む。多氏は大和朝廷の東北進出に重要な役割を果たしたようで、石城(いわき)の豪族は多氏の一族である。

物部氏については、雄略天皇の時代に水軍と関係のある伊勢の豪族を征討したこと、また継体天皇の時代に水軍500を率いて百済に向かったことなどが伝承されており、物部氏が水軍をその傘下におさめていたことは容易に想像がつくが、学習院大学の黛(まゆずみ)弘通教授がその点を詳しく述べている(「古代日本の豪族」、エコールド・ロイヤル古代日本を考える第9巻、学生社)。すなわち、『「旧事本紀」の中の「天神本紀」には、ニギハヤヒが降臨するときにつき従った神々とか、そのたもろもろの従者のことが詳しく出ているが、それによ ると、つきしたがった神に海部族(あまぞく)である尾張の豪族がいるし、つき従った従者に、船長と舵取りと舟子がそっているということらしい。物部氏が航海民、海人族と関 係があったのは間違いがない。物部氏系統の国造を詳しく調べると、物部氏は瀬戸内海を制覇していたことが推定される。』・・・と。
中臣氏は、 鹿島神宮を物部氏の勢力を乗っ取ってしまう。梅原猛の著「神々の流竄(るざん)」に中臣氏の物部氏勢力の乗っ取りが詳しく書かれている。中臣氏は成り上がりものであった。鎌足の父、 御食子(みけこ)以前の、中臣氏の祖先はよく判らない。とにかく中臣氏は、天才政治家鎌足の時に、突然中央政界に登場し、しかも、たちまちに中央政治の支 配者となった。こうして成り上がった中臣氏は、古い由緒ある神社をほしがっていた。物部氏の残した鹿島神宮、これは東北経営の拠点でもあるのだが、その神 社の支配権というものは霞ヶ浦湖畔の豪族である多氏が握っている。中臣氏としては、多氏を抱き込んで、何とかそれを手に入れたい。当然のことである。かく して鹿島神宮の乗っ取りはなり、しかも東北における物部氏の勢力はそのまま中臣氏に引き継がれることとなった。藤原氏発展の基礎はここにある。
東北地方は、古代から人口の集積地であり、縄文時代は最も文化水準の高い中心地であった。しかも鉱物資源の豊かなところであった。大和朝廷が進出しない訳がない。奥羽山脈には日本で唯一の黒鉱鉱脈が走っており、鉄、金、銅などの鉱物資源が豊富にあったのである。7世紀中頃からの大和朝廷の東北進出は、鉱物資源の支配と技術をもった製鉄工人の獲得のために行われたが、私は、鹿島神宮がなければそれもなし得なかったのだと思う。鹿島神宮の歴史上果たした役割は実に大きい。
香取神宮は鹿島神宮とはちょっと趣をことにするが、大和朝廷の東北進出という観点から俯瞰してみると、二つの神宮は一対のものであって切り離して考えることはできない。実はこの他に、大和朝廷の東北進出という観点から見逃すことのできない神社がもう一つある。それが息栖神社である。
息栖(いきす)神社は、岐神(くなどのかみ)を主神とし、住吉三神・天鳥船神を相殿として祭られている。古くから国史にも見え鹿島神宮と香取神宮とともに信仰のあつい神社である。岐神は除厄招福の神であり、住吉三神は海上守護に、天鳥船神は交通守護の神として御神徳が顕著で、神前に祈念する者にその限りない御恩頼を垂れされて、御守護くださるものである。社前に、日本三霊水の一つと言われる忍塩井(おしおい)がある。俗に女瓶と男瓶とよばれる二つの井戸から清水の湧き出ている。男瓶は銚子の形で女瓶は土器に似て一説には神代のものと云うが、常に水底に沈んでおり、天気がよく水澄む日でなければ見えない。 神功皇后の頃というから200年頃ということになるが、香取神宮や鹿島神宮が創建されるずっと前、あたり一面海水におおわれていた頃、真水淡水の水脈が発見されていて、太平洋における重要な港としての役割を果たしてきたようである。

霞ヶ浦地方は、息栖神社と香取神宮と鹿島神宮を擁し、古来、舟運の拠点地域として大きな役割を果たすと同時に、それが故ではあるが、大和朝廷の東北進出の前線基地としての役割を果たしてきた。さあ、それでは「聖なる三角形」の話を始めることとしよう。
京都の精華大学の建築学の教授に田中充子という人がいる。この人が『古社叢の「聖地」の構造(1)・・・東関東の場合』(京都精華大学紀要 第三十七号)という素晴らしい論文を書いておられるので、そのなかから関係の部分を以下に紹介しよう。すなわち、
『「日本の聖地」である古い社叢の信仰を、そのまつられる祭神の種類からそれをもたらした者が「天孫族」「出雲族」「先住族」、いいかえると古墳人、弥生人、縄文人とする視点から事例調査した。 事例調査対象として、東関東に鎮座する一の宮をとりあげる。県でいうと、千葉県と茨城県の海岸地帯である。』
『国学者の本居宣長(1730 ~ 1801)は『古事記伝』(巻三)で「鳥獣木草のたぐひ、海水など、其そのほか余何にまれ、尋よのつね常ならずすぐれた徳ありて、何かしこ畏き物を迦かみ徴とは言ふなり」といっている。具体的にはどういうことだろうか。「畏きも
の」とは、辞書には「おそれおおいこと」「すばらしいこと」などと書かれている。そうすると、古社叢のなかにはカミガミがいっぱいいらっしゃる、ということではないか。それらのカミガミを祭った人々に「天孫族」「出雲族」「先住族」の三種類とするわけはここにある。』
『出雲族は「記紀神話」で知られるように、スサノオやオオクニヌシに代表される。かれらは天孫族がこの国に稲作をもってやってくる以前から、すでに農業をおこなっていた。「書紀」によると「朝鮮半島からやってきたスサノオとその子のイソタケルが木種を日本全国にまいた」というからだ。そして北九州を中心とする江南系の「平地的農業」にたいして、もう一つの弥生農業、つまり高低差のいちじるしいわが国の地形にしたがって「水源涵養林の農業」を開発したのである。農業に必要なものは、田をうるおす水である。そこで水源を守るために、かれらは山に木を植えたのである。日本の農学の基本である。「農業集団」である出雲族にとって、水はカミだったのである。』
『先住族は漁民であって農業はおこなわない。山の幸と海の幸で、縄文の1万年あまりを生きてきた。とりわけ海の幸が大きかった。漁民は、海がしけて闇ともなれば漁ができないばかりか、陸地を見失い、海洋にほうりだされて海の藻屑となる。したがって、太陽は漁民である縄文人あるいは先住族にとって「超能力」つまりカミだったのである。さらに先住民は、太陽とともに火をカミとした。火は物の煮炊きだけではない。土器を焼くだけではない。火は闇夜を照らし、禽獣をおいはらい、暖をあたえる。つまり火は、先住民が尊んだ太陽の「分身」といってもいい。このようにみてくると「天孫族」は古墳人、「出雲族」は弥生人、「先住族」は縄文人に対応 するとみてよいだろう。 それは社叢では、「天孫族」、「出雲族」「先住族」のカミがおわします。これが「古社叢の三重構造」である。』

田中充子の論文の要点は以上のとおりであるが、香取神宮や鹿島神宮の詳しいことは彼女の論文を読んでもらうとして、ここでは大和朝廷の臭いふんぷんの香取神宮や鹿島神宮といえど縄文の神が祀られているということに注目していただければそれで結構だ。天孫族と先住族が共存していたのである。それはとりもなおさず聖徳太子で象徴される日本の「和の精神」であり、日本が平和国家であることの一つの証拠であろう。このことを世界の人びとに強調して強調しすぎることはない。

さて、最後に、この「聖なる三角形」がどのような力が作用して、この潮来地方にできたのか? 神栖市観光協会の息栖神社についてのホームページには、『神栖のパワースポット」と題して、次のような記述がある。すなわち、

『 香取神宮、鹿島神宮、息栖神社という東国三社を地図上で結んでみると形のよい直角二等辺三角形が浮かび上がってきます。鹿島神宮と香取神宮を結ぶ線は約12000m、 鹿島神宮と息栖神社の間は約9000m、息栖と香取は約8600mとのデータがありますそしてこのトライアングル内では様々な不思議な出来事が起こるといううわさも・・・・。更にこのトライアングルを中心に周辺の神社を結ぶと、とても意味のありそうなラインがいくつも浮かび上がってくるといいます。レイライン(ley line)とは、古代の遺跡などで直線的に並ぶよう建造されたものがあるという仮説のなかで、その遺跡群が描く直線をのことを言います。レイラインが提唱されているケースには古代イギリスの巨石遺跡群などがあります。東国三社をレイラインという観点から鹿島神宮を見なおしはじめたのは、この数年のことだといいますが、そのような視点で見てみると、一見地味な日本の神社も海外の有名な遺跡に決してひけをとらないものなのだと感じます。そして人がなぜ神社に 魅かれるのかがわかるような気がします。土地の持つ力が溢れ、大きな木々に囲まれた境内はとても広く、この神社を取り巻く静かで神秘的な雰囲気が、訪れた人々をやさしく包み込むような包容力の深さを感じさせるのです。』・・・と。

「パワースポット」や「レイライン」の他に、日本には古来「弥盛地(いやしろち)」というのがあるし、中国からから伝わった「風水思想」というものがある。私は、そういうものが科学的にあり得ると考えていて、最近、「弥盛地(イヤシロチ)の科学」と題して小論文を書いたので、一応それを紹介しておくが、ここでは「聖なる三角形」が実に不思議な力を持っており、神栖市観光協会の言っていることは科学的にも間違っていないということをまず申し上げておきたい。
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/iyasiroti.pdf

さあそれではこの潮来地方というか霞ヶ浦地方というか、はたまた筑波地方というか、この地方の・・・世界に誇りうるものは何か、光り輝くものは何か、その点を明らかにしておきたいと思う。
筑波大学大学院の非常勤講師をやられたことのある、神官の矢作幸雄という人がいる。この人は、鹿島に生まれ、国学院大学を卒業後、鹿島神宮の禰宜筑波山神社の宮司などをやられた方で、「古代筑波の謎」(2001年1月、学生社)という本を出されている。その本の中で、矢作幸雄は「高天原の地名は、それほど珍しくないかもしれあい。しかし、それでも霞ヶ浦を底辺として、鹿島、筑波、水戸の三高天原が描く三角形の線の中に残る縄文遺跡の多さは、一体何を示すのだろうか?」という大変重要な問題を提起しておられ
る。もちろん、彼のいう高天原というのは、大和朝廷が重視した「聖地」という意味であって、神話に登場する神々の故郷という意味ではない。私がここで問題にしたいのは、鹿島と筑波と水戸が大和朝廷にとって重要な聖地であったということと、それら三つの聖地が描く三角地域に多くの縄文人が住んでいたということである。多くの縄文遺跡から明らかなように、この三角地域の縄文人も、住居に聖なる炉と石棒を設けて、「祈り」の生活に明け暮れていたであろうし、時には、集落の中央に設けた大きな柱の回りで、賑やかな祭りを催したことであろう。
したがって、縄文遺跡というのは、「地域の系統発生」型のイヤシロチである。縄文遺跡に静かにたたずんで神に「祈り」を捧げれば、きっと縄文の声が聞こえてくるはずだ。
香取神宮、鹿島神宮、息栖神社も「祈り」のイヤシロチだが、もう少し広域的に筑波を含めた霞ヶ浦周辺地域は「祈り」のイヤシロチである。 日本は「祈りの国」である。「祈り」の場所は数えきれないほど数多いが、二つの神宮が集中しているのはこの地域であり、「祈り」を総合的に説明するにはこの霞ヶ浦周辺地域がもっとも良いのではなかろうか。 この地方の・・・世界に誇りうるもの、それは何千年に渡っての「祈り」の聖地であるということだ。それを世界の人びとに見てもらい、感じてもらいたいと思う。それにはさまざまな工夫が必要だが、「祈り」についての学問的研究が少ない現状を考えると、まずは学問的研究の重要性を訴えるところからはじめねばなるまい。最後にそのことを申し上げてこの「潮来アースダイバー」の話を終わることとしたい。












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