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2012年11月 2日 (金)

ビジター産業の育成について(その2)

ビジター産業の育成

(1)パラダイムシフトとビジター産業

 
 今回の東日本大震災は未曾有の国難である。戦後も国難といえば国難であったが、あの時はアメリカの大きな支援があったし、国民世論も経済復興一本にまとまっていた。しかし、今回は違う。ソブリン恐慌のまっただ中にある現在アメリカの大きな支援は願うべくもない。今回の東日本大震災という未曾有の国難に直面している今,日本は大転換を図らないと到底日本の復興はなし得ない。そして日本の復興なしに被災地の復興もなし得ないのである。どうしてもパラダイムの転換,価値観の転換を図らなければならない。
 今の日本にはいろんな課題が山積している。第一に、憲法改正にあたって「歴史と伝統・文化の継承」を大きな柱にする。第二に、ビジター産業をわが国のリーディング産業に育てなければならない。第三に、歴史と伝統・文化にもとづく地域づくりを進めなければならない。第5に、さまざまな生物とスピリットの棲息空間を確保するためエコロジカル・ネットワークを整備しなければならない。第6に,原始力発電はもう止めて,自然再生エネルギーへの大転換を図らなければならない。そして最後、第7に、住民主導の地域づくりを進めなければならない。このような7つの重大な課題がある。。
 これらのうち、外国との関係で取り組まなければならない課題は、第2の課題である。この ビジター産業をわが国のリーディング産業に育てなければならないという課題は、私のすすめる「リズム人類学」の観点からも極めて大事な課題であるので,今日ここではビジター産業の育成について話をしておきたい。
ビジター産業は単なる観光産業ではない。ビジター産業は、いわゆる観光産業のほか、研修や会議、スポーツ大 会、グリーンツーリズム、草の根国際交流などを対象とし、その整備からサービス提供までさまざまな職業があり得る。重要な点はコンテンツ産業を含むということだ。
コンテンツ産業とは、インターネットで入手する情報を作る産業のことである。各地域の歴史と伝統・文化に もとづいて作られるものすべてがその対象となり、地域の人々が幅広く従事できる。コンテンツ産業は,大都市より地方都市,地方都市とは地方拠点都市のことをいうが,それよりもっと小さい小京都のような盆地都市の方が有利であるように思われてならない。歴史と伝統・文化に恵まれて、山あり川ありの大変「スピット」の多いところだからだ。「リズム」に恵まれているのである。
 なお、私のすすめる「リズム人類学」についてはfacebookにおける私のノートを参照してもらいたい。
http://www.facebook.com/profile.php?id=100001929357524&sk=notes)

(2)私が「文化観光」の旗を振る所以

 日本には「違いを認める文化」というものがある。もし文化面で 日本が世界に大きく貢献できれば、世界は変わる。世界平和のための国際貢献・・・・、これこそわが国の最大の課題だが、その基本は国際交流を深めることで ある。そして、国民参加の国際交流で大事なことは世界の人びとに来てもらうことである。世界の人々には大いに日本に来てもらって,日本が「祈り」の国であることを感じてほしい。日本が「平和の国」であることを肌で感じて欲しいのだ。
 私は,国土交通副大臣のときに,河合隼雄や中沢新一とも相談をし,「文化観光懇談会」なるものを作った。今後,「文化観光」の旗を振ることとしたのである。観光は、その土地の光り輝くもの、つまりいちばん誇りに思うものを見てもらうということだ。私たちの世界に誇りうるもの,それは・・・「違いを認める文化」である。 日本の「歴史と伝統・文化」の真髄、それは「違いを認める文化」である。懇談会ではそう申し上げた。
 そしてその後勉強を重ねてきて,今ここで強く思うのだが,日本人が世界の人にいちばん誇れるものは,八百万の神ではないけれど,そこらじゅうに中沢新一のいう「スピリット」がいて、「祈り」の場所がいっぱいあるということではないか。これは「違いを認める文化」と決して矛盾はしない。言い方が異なるだけだ。「違いを認める文化」,それは「トイレの神様」の持つ哲学や思想でもある。それは「リズム」である。
 そういう「祈り」と「リズム」をキーワードにして、ビジター産業をわが国のリーディング産業に育てることこそ、国土政策上、もっとも重要な課題であると言えるのではないか。

 なお、「トイレの神様」の持つ哲学や思想には,「リズム」の他に,別の側面がある。それは、「逆転の思想」「ひっくり返しの思想」というものである。この思想は、「怨霊が守護神に逆転すること」とか・・・「国家の中空構造」とも関係があるので念のため申し上げておく。トイレはもともと不浄なものである。そこに「トイレの神様」が宿ることによって,トイレは聖なる場所に逆転するのだ。「ひっくり返し」が起るのである。

「逆転の思想」「ひっくり返しの思想」を示す古典としては,能の「蝉丸」がある。その最後のハイライトを紹介しておきたい。
逆髪(さかがみ)、それは蝉丸の姉に当たるが、その姉は、狂気の果てに、特に留まるところもなく、全国あちこち「漂泊の旅」を旅している。
彼女の髪は逆さに突っ立って、撫でても下がることはない。
子供たちが逆髪(さかがみ)を笑うのに対して、逆髪は、髪の逆さなることよりも、今は卑賎の身であってももともと高貴の出である者、そういう者を表面的な見方だけで笑うこと、・・・そのことの方がむしろ転倒そのものではないかと反問する。

場面はクライマックス、・・・地謡ともども・・・・「さかしまの哲学」を詠いあげる。

謡曲「蝉丸」のいうなればクライマックスである。

『 面白し面白し。 これらは皆人間目前の境界なり。 それ花の種は地に埋もって千林の梢に上り、月の影は天にかかって万水の底に沈む。 これらをば皆何れか順と見逆なりと言わん、我は皇子なれど庶人(そじん)に下り、髪は身上より生い上がって星霜を戴く。 これ皆順逆の二つなり面白や。』・・・と。

 こういう「逆転の思想」「ひっくり返しの思想」も日本の「歴史と伝統・文化」の奥深いところだ。平和の思想である。こういう思想的なものも是非世界の人々に見てもらいたい。私が「文化観光」の旗を振る所以でもある。
これもまた念のため申し上げておかなければならないのであるが,「逆転の思想」「ひっくり返しの思想」は,なにも密教に限ったことではないということだ。密教は平安の初期に,見事に怨霊の「ひっくり返し」をやってのけたが、「ひっくり返しの思想」そのものは、密教が誕生するその以前に,すでに奈良仏教の時代に存在してようだ。

 能というものは仏教教学というか仏教思想を一般の人々に判りやすく教えるために,奈良は興福寺で誕生した。能は、その前身の猿楽を室町時代に世阿弥らが発展させたものであるが、猿楽は奈良時代に誕生した。奈良仏教の中心は興福寺である。興福寺は不思議な寺である。東大寺や春日神社とも深い関係を持ちながら,独特の文化を創ってきた。さすが藤原一門の寺である。かの徳一は興福寺の逸材であるが,良弁や明恵も興福寺との関係は深い。三人とも藤原であって藤原でない。

 能は,言葉とリズムと身体の芸術である。極めて奥行きの深い芸術である。私の考えでは,芸術はリズムであるから,能の真髄は「リズム」にあるといえる。ぜひ興福寺界隈に足を運んでもらいたいものだ。世界に人々もだ。




(3)平和国家のジオパーク・・・世界遺産より地域遺産

 「平泉」は世界遺産への登録された。寺や庭園によって「浄土思想」を具現化したという平泉の特異性に絞ったことが功を奏したようだ。東日本大震災で甚大な被害を受けた東北である。関係者は「復興への光となってほしい」と願っているらしい。当然だろう。さらに、私は,「浄土思想」がイモコスの理解を得たということの意義も大きいと思っている。「浄土思想」は、慈覚大師,元三大師,源信へと受け継がれ,やがて法然や親鸞を生んだ。元三大師や源信時代の「浄土思想」は源氏物語のバックボーンであり、今後外国観光客が「平泉」を訪れて「浄土思想」に触れ、日本の仏教に対する理解が進むことの意義は大きいと思う次第である。
 日本には神社仏閣を中心に大変多くの世界遺産がある。世界遺産という言葉を知らない人がないほど有名である。しかし,ジオパークは,かなり知られるようになってきたとはいえ,それがどういうものかはもちろん、そういう言葉さえ聞いたことがないという人がほとんどだろう。
 ジオパークも世界遺産と同様のユネスコのプロジェクトである。世界遺産は世界に誇り得る文化遺産と自然遺産を,保全を目的に認定されるものである。一方,ジオパークは,観光が目的であって,積極的な観光開発が期待されている。「ジオ」という言葉は,地球とか大地を意味する言葉であるので,地球公園といっても良さそうだが,今のところそう呼ぶ人はいない。日本ジオパーク委員会は「大地の公園」と呼んでいる。世界には現在64のジオパークがある。そのうち日本は,糸魚川,洞爺湖有珠山、雲仙を中心とした島原半島および山陰海岸の四カ所であるが,今後の認定を目指している地域は,現在,10カ所ほどあるようだ。
 ジオパーク運動は,もともと糸魚川市が元祖である。にもかかわらず世界の趨勢の中で日本にユネスコ認定のものがひとつもないことから,地質学会のカリスマ的存在であった大矢曉(おおや・さとる)さんが警鐘を鳴らし,今日に至っている。したがって、日本のジオパーク運動が地質学者を中心に進められているのは仕方のないところではあるが, 極端な言い方をすれば地質に特化している嫌いがあり、 私は、観光振興という点では問題があると考えている。ジオパークはもっと広い概念のものでないといけない。現在、ユネスコの認定は,地質学,生態系,歴史と伝統・文化などの見地から行われいるが,,地理学的な見地が抜けている。この点についても,私は,大いなる不満を持っている。
 オギュスタン・ベルクはフランスの地理学者であるが,彼は永く日本に住みながら和辻哲郎の「風土」というものを研究した。それは哲学的研究そのものである。彼によれば,「風土」というものの理解の上に立って地域を見ることは極めて重要だということだ。地理学というものは、そういう哲学をも含んでいる。地理学は,いろんな学問を総動員して,地域の光り輝くものを発見する総合的な学問である。かかる観点から,私は,観光とはその地域の光り輝くものを見るものである以上,ユネスコに地理学的な視点がないのは大きな問題であると考えている。また,アメリカには世界遺産が多数あるのにユネスコ認定のジオパークがひとつもないのも問題である。アメリカは独自の考えでジオパーク運動を進めているのだ。しかし,日本は,ユネスコにもアメリカにも遠慮することはない。日本はユネスコの傘を借りながらも日本独自の考えで進めば良い。日本におけるジオパーク運動はこれからの新しい世界文明に寄与する、こういう視点が大事である。哲学的視点を大事にしたいものだ。私は、地域の風土というか地域遺産に焦点を当てて、日本型のジオパークを作りたいと考えている。
 私は世界の人々に日本のジオパークにやってきて欲しい。その際,私たちはその地域の「歴史と伝統・文化」をどのように説明すれば良いのか,その背景となる基本的な思想に関係する私の思いというものを縷々ブログに書いてきた。「和のスピリット」、「プラトンのコーラ」、「田舎の意識改革」、「空とジオパーク」、「石神信仰」、「新しい文明の原理<共生>」、「清水博の<場の思想>」、「地球学」、「場所の論理」などである。「祈り」との関係でいえば,地質学的なサイトは、大地の変動を不思議を語るこの上もない「場所」である。鳥居を設ければ設ければそのまま「祈り」の空間になるのではないか。「スプリット」の現れるところも「祈り」の空間。道祖神やお地蔵さんなど「石神」さんも「祈り」の空間である。
 しかし,その後「リズム」の勉強を進めてきて今考えると,大事なことが抜けていたようだ。神社仏閣のことと縄文遺跡のことだ。以下,それらについて少し話をしておきたい。
 お寺にはいろんな本尊が祀られている。信者はそれを拝むのだが,その本尊というのは釈迦が教えるところの・・・「宇宙の真理」の象徴であり、「内なる神」なり「外なる神」が姿を変えて現われたものである。「宇宙の真理」とは「祈り」によって「内なる神」と「外なる神」が響き合って願いが叶えられるという真理である。日本の場合,その永い「歴史と伝統・文化」のなかで、お寺によっていろいろな本尊がいるし,本堂にもいろいろなインテリアがある。しかし,そんなものはどうでも良い。大事なのは宗教原理だ。日本の場合,その宗教原理とは,「祈り」によって「内なる神」と「外なる神」が響き合って願いが叶えられるということと、日本独特の「祈り」の作法である。
 神社には本尊というものがなく、ただ祈る対象物として「鏡」があるだけだが、「外なる神」がそれに祈る人の願いを聞いていて,願いを叶えて下さるのだ。宗教原理はお寺の場合とまったく同じである。
 「祈り」の作法は,お寺と神社で異なる点もあるが,鐘紐を揺すって鐘を叩いたり,鈴紐を振って音を鳴らす点は共通していて、ともに「外なる神」に呼びかけているのである。音,それは「リズム」であり,「波動の力」である。
 ロウソクに「火」を灯すのも共通している。人類は太古から、火に「特別な力」を認め、人々は火を崇めてきた。世界中のどんな地域でも宗教的儀式には「火」は用いられている。祈りにつきものの「火の力」、それは音と同じように「波動の力」だ。
 作法についてはそのほかいくつか大事なことがあるが, 外国観光客にはなかなか理解しにくいところであろうかと思うので,それぞれの神社やお寺ではそれぞれ工夫を凝らして判りやすい説明をして欲しい。日本人なら,若い人もひととおりの作法はきっちり覚えておいて欲しい。
 なお,念のために申し上げておくと,神官の常駐している神社ではできるだけ正式参拝をして欲しいし、お坊さんの常駐しているお寺ではできるだけお坊さんの祈願を受けて欲しい。その宗教体験で何か新たな発見があるだろう。

 次に,旧石器時代の黒曜石の湧別技法(細石刃技術)や縄文時代のいわゆる縄文土器を作る技術は,世界の冠たる技術であったので,その文化をしることは日本を知るという意味で大変重要なことである。しかし,ここでは「祈り」の観点から重要なことを言いたいのだが,神道の場合,縄文時代に「外なる神」に対する「祈り」はすでに行われていて,それが底流となってその「作法」ができ上がった。もちろん、神道も中国からの影響によってその作法は変形はするのだが,本質的なものは縄文時代からのものである。縄文時代,家の中には「炉」(火)と石棒(柱)という装置があったし、家の外には巨木による柱が設けられた。柱は「外なる神」が降臨し帰ってゆく道(みち)である。
 さて、私がここで特に強調したい大事なことは波動の共振というものが、「時空を超えて起こりうる」ということだ。この点については、紙枚の関係もあるのでここでは省略するが、ぜひ、facebookにおける私のノートを参照してもらいたい。
http://www.facebook.com/profile.php?id=100001929357524&sk=notes)

 宇宙の波動の共振は,時空を超えて共振する。縄文人が祈った「祈り」による波動の共振は,現在の人が縄文人となりきって祈れば,その「祈り」は縄文人の「祈り」と共振するのである。
 したがって、縄文時代の「祈り」の遺跡は,現場を壊さないで差し支えない範囲で,「祈り」の施設を復元しておけば,私たちは縄文人とも響き合えるのである。それはまた現在における「外なる神」との響き合いでもある。

 私は,日本型のジオパーク(地域遺産)にあっては,縄文遺跡も大いに活用すべきだと考える次第である。
 日本型のジオパークは,ユネスコ認定のものだけでなく,ナショナルレベルのものがあっても良いし,都道府県レベルのものがあっても良いし,また市町村レベルのものがあって良い。すでに述べたように,七夕祭りの再魔術化で作る「祈り」の空間があるし、「地質学的なサイトは、大地の変動を不思議を語るこの上もない「場所」であって鳥居を設ければ設ければそのまま「祈り」の空間になるし、「スプリット」の現れるところも「祈り」の空間。道祖神やお地蔵さんなど「石神」さんも「祈り」の空間である。
 これらの他に,縄文遺跡における「祈り」の空間を加えれば,日本は「祈り」の空間がそこら中にあるということだ。まさに,「祈りの国にっぽん」である。天皇は「祈る人」である。したがって、天皇はそういう私たち「祈りの国民」の象徴である。そういう国が平和な国でない訳がない。


(4)結論

 今回の東日本大震災は未曾有の国難である。戦後も国難といえば国難であったが、あの時はアメリカの大きな支援があったし、国民世論も経済復興一本にまとまっていた。しかし、今回は違う。ソブリン恐慌のまっただ中にある現在アメリカの大きな支援は願うべくもない。今回の東日本大震災という未曾有の国難に直面している今,日本は大転換を図らないと到底日本の復興はなし得ない。そして日本の復興なしに被災地の復興もなし得ないのである。どうしてもパラダイムの転換,価値観の転換を図らなければならない。そのひとつにビジター産業の育成という誠に重要な課題がある。

 ほとんど知られていないが、かっての全国総合開発計画に変わって、現在は、国土形成計画というのがある。それには第6次産業の重要性が唱われている。第6次産業とは第1次産業と第2次産業と第3次産業としての観光を地域として一体的に行うものである。これからは第6次産業の育成なしに地域の発展は望むべくもない。被災地を例に説明しておこう。
 日本だけではないが、企業に勤めている人、自分で商売をやってい る人がほとんどである。そうでない人もいる。企業に勤めたくても 雇ってもらえない人。商売に失敗した人。また、自分の趣味と言う か自分のやりたいことを独自にやっている人がいる。おおむね芸術 家という人は、企業に勤めている訳でもないし、商売をやっている 訳でもない。そういう人たちは、市場経済からはみ出た人である。 しかし、そういう人たちも人生をイキイキと生きていかなければな らない。そういう社会を作っていかなければならないのである。
今後、被災地では、働きたくても働く仕事のない人が多くなる。これは深刻な問題だ。したがって、三陸の被災地では、漁業の第6次産業化、すなわち観光振興をどうしても図らなければならないが、そのときに大事なのは「地域としてのもてなし」である。地域の人々の「もてなしの心」も大事だが、私としては、観光客を受け入れるその体制、地域としての体制を問題としたい。個人の家でもそうだろう。客を迎える時は、玄関もきれいにして、家全体のそれなりに掃除をして、花を飾ったり絵をかざったりするのではないか。それと同じで、観光客を迎えるためには、町そのものを美しくし、ゲストハウスなんかもつくらなければならない。美味しい食べ物も用意しなければならないし、地域の人々とのふれあいというか交流も考えなければならない。その際に必要なのは「贈与の原理」である。市場原理だけではとても「もてなしの地域づくり」はできない。すなわち、「もてなしの地域づくり」のためには、市場原理でない原理が必要なのである。具体的には地域通貨である。

文化観光・・・ビジター産業は必ずしも観光ではないけれど、やはりビジター産業の主軸は観光である。
 日本には「違いを認める文化」というものがある。もし文化面で 日本が世界に大きく貢献できれば、世界は変わる。世界平和のための国際貢献・・・・、これこそわが国の最大の課題だが、その基本は国際交流を深めることで ある。そして、国民参加の国際交流で大事なことは世界の人びとに来てもらうことである。世界の人々には大いに日本に来てもらって,日本が「祈り」の国であることを感じてほしい。日本が「平和の国」であることを肌で感じて欲しいのだ。
 日本人が世界の人にいちばん誇れるものは,八百万の神ではないけれど,そこらじゅうに中沢新一のいう「スピリット」がいて、「祈り」の場所がいっぱいあるということではないか。これは「違いを認める文化」と決して矛盾はしない。言い方が異なるだけだ。「違いを認める文化」,それは「トイレの神様」の持つ哲学や思想でもある。それは「リズム」である。
 そういう「祈り」と「リズム」をキーワードにして、ビジター産業をわが国のリーディング産業に育てることこそ、国土政策上、もっとも重要な課題であると言えるのではないか。


 日本型のジオパークは,ユネスコ認定のものだけでなく,ナショナルレベルのものがあっても良いし,都道府県レベルのものがあっても良いし,また市町村レベルのものがあって良い。すでに述べたように,七夕祭りの再魔術化で作る「祈り」の空間があるし、「地質学的なサイトは、大地の変動を不思議を語るこの上もない「場所」であって鳥居を設ければ設ければそのまま「祈り」の空間になるし、「スプリット」の現れるところも「祈り」の空間。道祖神やお地蔵さんなど「石神」さんも「祈り」の空間である。
 これらの他に,縄文遺跡における「祈り」の空間を加えれば,日本は「祈り」の空間がそこら中にあるということだ。まさに,「祈りの国にっぽん」である。天皇は「祈る人」である。したがって、天皇はそういう私たち「祈りの国民」の象徴である。そういう国が平和な国でない訳がない。
 日本型ジオパークの重要性を縷々述べた。これを一言で言えば、
「歴史と伝統・文化」を活かした、つまり「風土」に立脚した地域遺産を作るということだ。



「日本は安全。旅行先としても魅力的です」。米ラスベガスで5月19日まで開かれた「世界旅行ツーリズム協議会(WTTC)」のサミットで、日本観光振興協会の西田厚聡(あつとし)会長(東芝会長、日本経団連副会長)ら、日本の財界・観光関係者が切々と訴えた。WTTCサミットは、世界の観光・旅行事業者らが集う「観光界のダボス会議」で、来年は東京で開催する予定。東日本大震災後に外国人の訪問が激減した中、落ち込んだイメージを回復しようと、日本関係者が大挙して参加した。閉会式で壇上に立った西田氏は「ラスベガスもいいけど、日本はもっといい」と英語で笑いを誘った。

今後、世界に人々にどんどん日本に来て欲しい。そして日本の「歴史と伝統・文化」を楽しんでもらいたい。そのために大事なキーワードは「もてなし」である。そして、「もてなし」は「贈与」である。そのことを強調して私の発表とさせていただく。






 


 

逢坂の関を彷徨する逆髪(さかがみ)は、

廃屋の中から聞こえる琵琶の音に耳を傾ける。

声をかけられてよくよく見ると、

琵琶の主は弟の蝉丸である。

二人は再会を慶ぶとともに、世の情けの薄いことを嘆く。


 

逢うは別れであるのだろうか。

名残を惜しみながら二人は別れていく。

なお、ビジター産業の育成については以前に書いたことがあり、それについてはhttp://iwai-kuniomi.cocolog-nifty.com/blog/2011/08/post-7abd.html

をご覧いただきたい。



 
 
 
 

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