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2012年11月14日 (水)

岡部健とカール・ベッカーとの対談

文芸春秋12月号に「日本人のための宗教・・・死の床の医師と宗教学者<感動の対話>」と題して、岡部健とカール・ベッカーとの対談が掲載された。これは私にとって諸般グッドタイミングな内容のものであって、ここにその要点と読後の感想を書いておきたい。

1、文言春秋6月号には「緩和ケア医師<余命十ヶ月の決断>」、同7月号に「死の床に見える<お迎え現象>調査報告」で紹介された岡部健医師が、去る9月27日、逝去された。享年62。がん再発後も、分指標的薬などで症状をコントロールしながら、自身が築き上げた在宅ケアグループ「爽秋会」の将来などに関して身辺整理を終えた岡部医師が、「もうやるべきことはすべてやった。あとは判りあえる人とだけ話していたい」と語り、最後に対話を望んだのが、京都大学教授のカール・ベッカー氏だった。ベッカー教授は、ハワイ大学在籍時に、日本古来の「往生伝(臨終に際した人が何を見て何を感じているのかを聞き取り、極楽往生したと思われる人の伝記を集めた書)を原文で読み、感銘を受けて1973年に来日。以降、「お迎え」現象(臨終に際した人が先に死んだ家族や友人などを目撃する現象)をはじめ、日本的死生観について研究を重ねる中で、やはり「お迎え」現象について独自に調査を行っていた岡部医師と出会い、交流を深めてきた。この対談は、病床の岡部医師をベッカー氏が訪ねる形で実現した。それには文芸春秋社の力に負うところが大きかったと思うので、ここに文芸春秋社に対し深甚なる敬意を表しておきたい。

2、日本人の死生観
岡部:(お迎えという死生観は)宗教以前から、日本人のもっとも深いところにあった。
ベッカー:そうですよね。1000年も前から日本にずーっとありました。私が来日した40年前には、まだ自宅で亡くなる人もいたから、少しはそういう話を聞くこともできた真下が、それからほどなく、みんな病院で死ぬようになって、皮肉なことに、どんどんそういう話は消えていったのです。
岡部:日本人の死生観では、この世とあの世が地続きで繋がっている。

3、先祖崇拝
岡部:「あの世この世観」があって、カミを共有した人たちが定期的に儀式をやるために集まって都市をつくり、やがてそれが国家になったんです。
ベッカー:先祖崇拝は病めようというのが、プロテスタントであり、宗教改革だった訳です。つまり、もともとはキリスト教文化にも、先祖崇拝は深く根付いていたんです。
岡部:ヨーロッパでも、森の妖精だとか伝説が沢山ありますが、あれもアニミズムとか先祖崇拝の一種でしょう。
ベッカー:まさしく。前世代と今世代と次世代が、肉体だけでなく精神で繋がっているから、人が亡くなっても、心の中で生きているという感覚をもてる。
岡部:私は医者で、観察者として、自分が死んでいくのを見ていると、まるで闇なんだ。死んでいく者への道しるべは、どこにもない。(岩井國臣の感想:だから「お迎え」が救いになるのだと思う。)
ベッカー:闘病する中で、岡部先生ご自身の死生観というのは変わってきたのでしょうか。
岡部:かわったね。 特に、3・11で、すべてがひっくり返った。(私のように)がんで死ねるなんて幸せですよ。
ベッカー:それは、時間があるからですか。
岡部:いろんな準備もできるし、やり残したことにも手を付ける時間がある。けれど、あの震災で2万人もの人が、何も準備することもできず、訳が分からないうちに逝ってしまった。
ベッカー:さっきまで隣で生きていた大事な人が、震災や事故で、急にいなくなってしまうと、生き残ってしまった人びとは到底それを信じられないし、いなくなった人がまだそこにいるような強い感じを受けます。(岩井國臣の感想:いなくなった人がまだそこにいるように感じるのは、いなくなった人の魂がまだそこにいるからだと思う。)
岡部:今、被災地で幽霊が沢山出ているんだ。窓の外から子供が三人覗いているとか、そういう話がごろごろある。これはいったい、何なのか。きちんと調べておかないと。
ベッカー:まさに今、そのデーターを取って調査する計画を立ています。
岡部:昭和24年に、柳田国男と折口信夫の大議論があったでしょう。
ベッカー:はい。太平洋戦争で戦死した魂の行方について、柳田は「家々に個々の神が宿る」としたのに対して、折口は「死者の魂は常世で集合体となり個性を失う」と主張しました。(岩井國臣の感想:両者とも正しいと思う。この対談でも岡部が「イワシの群れには、一匹一匹のイワシの意思とは別に、群れとしての意思があって動いているように見える。人間も同じだと思う。」と言っているが、「リズム人類学」という私の立場から言えば、要するに波動現象だから、合成された波動というのがある。一方、個別の波動が当然ある訳で、私は私で個別に自分お先祖と響きあっている。個別があってこそ合成がある。)
岡部:今、日本人の魂の在処を調べている人間がどれだけいるか。学問として民俗学はもっとやるべきだよ。
ベッカー:東北大学の鈴木岩弓先生(宗教学)や、岡部先生のところの相澤出(いずる)君(社会学)が結構真面目に研究しているんじゃないですか。

4、臨床宗教師こそ
ベッカー:3・11の後で、亡くなった方への感覚も変わりましたでしょうか?
岡部:変わった。魂は遠くにいるんじゃなくて、近くにいる。それが、儀式をするたびにみんな落ち着いてくる。
ベッカー:宗教的な儀式ですか。
岡部:そう。今回の被災地ケアをみていると、儀式や儀礼が大事だということが改めてわかった。幽霊が見えるという人も、お坊さんがお経を唱えると心が穏やかになる。
ベッカー:病院死が増えるにつれて、まるで死が悪者になった。死とは克服すべき敵となり、死そのものについて語ることがタブーになってしまった。
岡部:今、(終末期患者の)スピリチュアルケアという観点からすると、臨床宗教師が必要だ。患者が「あの世はどうなっているの?」と聞かれても医師や看護師には答えられない。臨床宗教師がうまく定着するかどうかが、いちばんの気がかりだ。
ベッカー:欧米では宗派によってかなり教えが決まっているから、なかなかその壁が超えづらい。でも、日本では浄土宗とか曹洞宗とかいう宗派の壁を超えた共通の「あの世観」があるように見えます。
岡部:あるんです。
ベッカー:臨床宗教師であれば、患者さんの宗教が仏教だろうとキリスト教だろうと、宗派の壁を超えて、もっと根源的な心のケアができるでしょう。
ただ、日本の宗教系の学会で語られるのは、例えば蓮如上人の言葉をどう解釈するかというようなことばかりです。学問としてはそれで良いのかもしれませんが、ベッドサイトの臨床ではあまり使えそうにない。
岡部:日本の宗教は、自分たちの救済がいちばんの目的だから。臨床宗教師が定着しないと、緩和ケアなんてできないよ。

5、倫理の問題
岡部:死者やご先祖様に見られているという感覚こそが、日本人の倫理なんです。
ベッカー:それは鋭いご指摘ですね。
岡部:ご先祖様をなくした瞬間に、日本人は倫理をなくした。お天道さまに申し訳ない、ご先祖様に申し訳ないという感覚をなくしたら、残るのは我欲だけですよ。だからバカな政治家が跋扈するし、相手が死ぬまでいじめる子供も出てくる。
ベッカー:そのとおりでしょう。だが不思議なのは、将来の医療制度のあり方を語るときに、財政的な側面ばかり語られるんですが、本当は倫理の問題なんです。残念ながら、ほとんどの倫理学者は、医療制度の存続については語りません。
岡部:いい加減、目を覚まして、これまで避けてきた、宗教と向き合えと言いたいね。
ベッカー:今日は、凄いことを教わった気がします。倫理を死者の目から考えると、自然の倫理、原発の倫理、戦争の倫理、すべてがこれまでとは違った観点で見えてきます。
岡部:本来、倫理というのはそういうものでしょう。

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コメント

とても魅力的な記事でした!!
また遊びに来ます!!
ありがとうございます。

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