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2012年10月18日 (木)

私の電子書籍「祈りの科学シリーズ(6)」第8章

第8章 道の駅

 2011年9月22日、山口県阿武町で「道の駅社会実験二十周年記念シンポジウム」が行われた。特定非営利活動法人・PFI推進事業体代表理事の山中修君の総合司会のもと,地域の人を中心に二日間にわたって熱心な議論が行われた。道の駅に関するシンポジュームとしては最新のものであり、多くの示唆に富む意見が述べられたが、その中から、コメンテーターとして参加された山口大学名誉教授の小川全夫先生などの主な意見を紹介し、そのあとで少々私の意見を述べてみたい。まず、主な意見は次のとおりである。

・「道の駅」ができることで、地域の人々が「道の駅」を自分たちのまさに拠点として、いろいろな活動をすることになった。今まであった地域資源に対し温かい人間の知恵を付けて商品にする、そのきっかけを作ったのも「道の駅」の効果である。

・全国に980近い駅があり非常に乱立。業態がワンパターン化しているような感じもある。ドライバーだけでなく、地域のお年寄りや子育てをする母親にも便利な「道の駅」であるためには地域の人たちの人間性を回復するような機能が必要。そのためには研修・交流・生きがいを感じさせるスペースなどワンストップ生活サービスの機能を取り込む必要がある。少子高齢化の波は避けることはできないので、そこに焦点を当てた新しい「道の駅」づくりが必要だ。

・「道の駅」を物を売るという面からだけ見るのではなく、地域の人に「道の駅」が自分たちの暮らしを守る拠点であることの理解を如何に深めるか? 住民の使えない「道の駅」になると、それでもう「道の駅」の存亡が決まる。そういう意味で「道の駅」をもう一度住民の目線に立って考えてみることが必要ではないか。 

・何故農村は今のように疲弊したのか? 農業は第一次産業の担い手と自己規制してしまった。農業は本来すべての人間の暮らしを支えるものを生産する機能を備えていなければならなかったのに、単に農産物を作ればよい、あとは誰かに任せてお金になればよいという仕組みに乗っかってしまった。これを今後も続けて行く限り農村は浮かぶ瀬はない。自分たちが持っていたいろいろな物がバラバラになってしまい、日常生活を支える機能のすべてを分業化の中で最終的には都市に依存してしか生きていけないようなものにしてしまった農村が今日あり、それをもう一度取り戻すための導火線、糸口のようなものとして「道の駅」がある。

・単に行政に作ってもらい、そこで細々と何かをやって満足するのではなく、自分たちがこの道路の傍に生きる住民として、何を動かし、どうしたら自分たちがそこで生きるための新たな道が見つかるかということに本気になることが大事。広島の君田村の「道の駅」、山口市にある「仁保の駅」などがその良い例。

・顧客のニーズに合った製品やサービス買ってもらうためのマーケティングでなく、社会が求めている考え方を充分理解し、それを社会に浸透させるためのマーケティングをソーシャル・マーケティングというが、それが今注目されている。「道の駅」は住民にとっての新たなステーションとして活用することが重要だと考えられるので、ソーシャル・マーケティングをやる必要があるかもしれない。周辺の人はみな高齢化している。高齢化した人たちの安心・安全・安定を担保するような機能(例えば介護医療に関する機能)を付けたらどうか。 

・個々バラバラで競争するとおそらくすべてがダメになる可能性がある。道路を共有する駅同士、或いは地域の「道の駅」「青空市」「朝市」などが協働してイベントなどを行うのも一つの方法。

・経営のあり方も今までのように第三セクターありきの考え方はもう止めてもよいのではないか。その辺りを少し考えてみてもよい時期。今までのように物販中心の「道の駅」のやり方もあるだろうが、「道の駅」のあり方として次の時代を考えて行く。

・これからの「道の駅」は福祉・災害がキーワードになっていくだろう。点より面的な位置付けで、ドライバーが来やすいことプラス地域の人が集まりやすい「道の駅」にする。「駅に来ると何かある、誰かいる」、これがこれからのキーワード。 

・「道の駅」も今は行政に力があるから成り立っているが、これもいつ立ち消えるか解らない。その時にどうするかの対応も考えていかなければならない。「道の駅」に完成型はない。これからまだまだ地域の住民の対応によって変わっていく。 

・農家民宿では、他と競合しないよう義務付けられた農業体験というのが邪魔している。農家・漁家だけでなくサラリーマン民宿などいろいろな型があってよい。客層も変わって来ている。ヨーロッパでは祖父・祖母と孫の組み合わせも。今後高齢化社会の中で、どんな人が利用して行くのか、阿武町でも少しターゲットを絞った民泊を考え、道の駅との関係を検討すべき。

 さて、「道の駅」はどうあるべきか? 今の「道の駅」は、私の採点では六十点ぐらい。多くは単なるドライブイン(トイレ、土産物店、食堂)とほとんど変わらなくなった。道の駅については、二十二年前、私が中国地方建設局長をしていたとき、中国地域交流センターの仲間と何度か勉強会を開いて侃々諤々議論をしたが,全国で一番過疎が激しく進んでいた中国地方を何とか元気にしたいというのが当初の思いであった。しかし、その思いは遂げられていない。 ドライバーのことは国交省が考えるべきことだと割り切っているのかもしれないが、道の駅の指定管理者である駅長はほとんどドライバーに無関心だ。夜間の営業がないなどドライバー対するサービスが不十分だ。しかし、もっと重要な問題は、シンポジュームでいろいろ意見が出ているように、地域に対するサービスがほとんど皆無に近いことだ。何をすべきか、私にもいろいろ考えがあるが、ここではシンポジュームの意見を紹介するにとどめ、道の駅が地域通貨の流通拠点になる可能性が充分あることだけを申し述べておく。ただ、その大前提として地域の足の問題があるので、最後にその点に触れておきたい。
 これからは市町村は地域の元気再生のためにB&B(ベッド&ブッレクファースト、農家民宿)と取り組むべきである。農家民宿で、朝ご飯だけならお年寄りでもできる。晩ご飯は「道の駅」に行っていただく。結構農家の小遣い稼ぎになるし、心の通い合いが生まれる。お年寄りは元気なると思う。この場合に問題になるのが交通手段だ。また、お年寄りが道の駅において地域通貨で買い物をする場合、問題になるのが交通手段である。
 広島県安芸高田市主体となって運行するコミュニティバス(おたすけバス)というのがある。これは2010年10月から始まったもので、画期的なものである。このバスにはバス停がない。家の前まで来てくれるし降ろしてくれる。前日までの予約制だが、役場に申し込むとジーピーエス地図上にその家と行き先がプロットされる。女の子がそれを見て、翌日のバス運行路線を決定する。バスは一時間に一本の割合で運行している。バスは市の所有であるが運転手は委託である。各地域はそういうバスを運行すれば、道の駅が地域通貨の流通拠点になることは間違いない。

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