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2012年10月20日 (土)

私の電子書籍「さまよえるニーチェの亡霊」第8章第1節より

第8章第1節 「力への意志」

私は、この章の冒頭で、『シヴァは自然の神であり、シヴァの思想は都市に徹底的に反対してきた。その自然が今まさに大きくクローズアップされてきている。』・・・と申し上げたが、実は、都市というものがくせ者である。都市哲学というようなものは、私は寡聞にして聞いたことがないが、今後、シヴァの思想を取り入れ、さらにはハイデガーの哲学にもとづいて都市哲学を構築しなければならないのかもしれない。都市は、アポロン的なものの象徴であり技術である、と考えるべきかもしれない。だとすると、自然とか神とはおおよそかけ離れた存在であり、人間の傍若無人ぶりの発揮される場所ということになる。私は、前章で、『 神さまの方が何かの思いがあって人間に働きかけていると申し上げ、これが「神の投企」ということである。ざっくり言ってしまえば、「神の贈与」、「神の恵み」と言ってもいい。その方が判りよい。』と申し上げましたが、都市には「贈与」がない。まったくない訳ではないが、非情に希薄である。都市の本質はそこにある。

 戦後、日本の都市化は急速に進み、それが高度成長を支えてきた。過疎対策が講じてこられなかった訳ではないが、成功せず、未だに過疎化は進んでいる。都市は膨張を続けている。私はアポロン的なものの究極の姿がこれであると思う。今ならまだ間に合う。一日も早く都市化に歯止めをかけ、田舎の再生を図らなければならない。そのことが前提にないと、ニーチェのいう「力への意志」の働きようがない。それはどういうことか?

 先ほど私は、ニーチェの「力への意志」について、『 私たち人間は、自己超克をモットーとして、自分自身の階段を高みに向かって、一歩一歩登っていくことだ。「重力の魔」に何度も何度も負けるかもしれないが、それにもめげず・・・。』と申し上げたが、人間の傍若無人な愚行が横行する世の中には、「力への意志」は働かない。「重力の魔」だけが働いてしまうのである。神というものは、人間がどんな悪いことをやっていても人間を助けてくれる、というような存在ではない。神の恵み、すなわち神の贈与に対して、感謝しながら、「祈り」も捧げ、努力していると、神の働きで良い方向に動いていくということなのである。神の贈与が送り届けられるような世の中である、というのが「力への意志」が働く大前提にあるということを忘れてはならない。国家の責任は極めて大きい。

 第6章で申し上げたが、「力への意志」というものが、つねに念頭においておかなければならない、「 人間が生きていく上での基本的な条件である」ことを再確認しておきたい。
 まず一つは、まず最高の賢者は、ニーチェのような堅固な意志を以て、「力への意志」を実行することだ。やるべきことはいろいろあるとは思うが、もっとも象徴的に言えば、シヴァの神の復活を図ることだ。アポロン的な神も含めて、さまざまな神を祀ることだ。それがニーチェの悲願だったと思う。これをかなえることによって、ニーチェの魂は天国に旅立つことができる。ニーチェの魂は浮かばれるのだ!

 次に、二つ目は、私たち人間は、自己超克をモットーとして、自分自身の階段を高みに向かって、一歩一歩登っていくことだ。「重力の魔」に何度も何度も負けるかもしれないが、それにもめげず・・・。その際に大事なことは「祈り」だ。自分自身の神を捜すことだ。アポロン的な神でも良いしシヴァ的な神でも良い。日本は神々の国だから、自分の好きな神は容易に見つかるだろう

 最後に三つ目であるが、それは最高の賢者と民衆とのコミュニケーションである。

なお、以上の第8章というのは、私の電子書籍「さまよえるニーチェの亡霊」の第8章ということですが、電子書籍「さまよえるニーチェの亡霊」は次のとおりですので、是非、これを購入していただきたい。
http://honto.jp/ebook/pd_25249963.html

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