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2012年10月 9日 (火)

私の電子書籍「祈りの科学シリーズ(5)」第1章

第1章 京都では「天皇はん」と言う

 京都人は天皇のことを「天皇はん」という。親しみを込めて言うのだ。これは京都人が持っている感性である。私もそういう感性を持っているが,これは理屈ではない。日頃の生活の中で培われる感性である。
 私は京都で生まれ京都で育った。小学校は太秦の安い小学校。四年生のときに府庁に近い梅屋小学校に移った。それまでは天皇ゆかりの「場所」はあまり無かったが,それからというものは御所が私たちの遊び場であったし,御所の中にある宮内庁の官舎に住んでいる同級生も何人かいたりして,京都御所が大変身近なものとなった。まあ私の場合は特別の例かもしれないが,一般的に,京都の人々と天皇はんとの関係は、感覚的に非常に身近なものがある。
 たとえば,京都の野菜は京野菜といってお土産になるほどうまいが,それも天皇はんに献上したりお公家さんに食べてもらうために,いろいろと工夫が重ねられてきた結果である。お豆腐もそうだし,いろいろなお菓子もそうだ。また、京都は西陣織で有名だが,染物屋さんとか織物屋さんとかが多いが,それも深いところで天皇や皇室と繋がっている。天皇にまつわる話や天皇ゆかりの神社仏閣も少なくない。京都には自ずと天皇はんと呼ぶような空気があるのだ。空気である。東京や大阪などとは空気が違うのだ。

 有職(ゆうそく)織物で人間国宝になっている喜多川俵二さんという人がおられる。1936年、京都西陣にある[俵屋]十七代・喜多川平朗(故・重要無形文化財保持者)の次男として生まれ、1988年に[俵屋]十八代を継承された方である。私はひょんなご縁からその人から深刻な悩みを聞いたことがある。息子に今の家業を継がせようかどうしようかということであった。有職(ゆうそく)織物は,銀座にある高田装束 という店とそこにある高田装束研究所が有名だが,興味のある方はそこの店主兼研究所長の高田俊男の著作「服装の歴史」(1995年,中央公論社)を読んでいただければ、それがどういうものかが判る。白州正子も大変な関心をもっていたらしく、町田市にある白州正子記念館ではときどき有職(ゆうそく)織物に関わる催しをやっている。

 喜多川俵二さんが言っていたが,有職織物にはいろいろな技法があるが,その中には自分しか織れない技法があるというのだ。喜多川俵二さんの悩みというのは,実は,それを子供に家を継がせて伝授するかどうか,迷っているという話だった。銀座の高田装束の話もしておられた。ああゆう商店は西陣にとって大変ありがたい存在ではあるけれど,実際に作っているのは自分たちのような職人であるということだった。そりゃそうだろう。工芸品というのは,すべて手工芸品で職人が作る。手作業で作る工芸品というのは,単なる商品ではない。物ではないということだ。中沢新一のいう「モノ」であって、心がこもっているのだ。中沢新一は民芸品もそうだという。作った人の魂がこもっている「モノ」である。今,単なる商品の大量生産によって「モノ」が消えかかっている。これは私たち文化に生きる日本人にとって由々しきことではないのか。
 喜多川俵二さんの悩みもそういうところにあった。子供に家業を継がせても食っていけるかどうか,それを悩んでいるいるという話だった。私は,人間国宝がそんな悩みを持っておられるのを聞いて驚いた。深刻に受け止めたということである。そこで私は宮内庁に掛け合い,宮内庁から時々有職織物の注文をして貰えないかと頼んでみたのだが、返事は絶望的。そういう話は文化庁の問題でしょうということだった。文化庁は人間国宝の指定はするけれど,人間国宝を食わすところまでの面倒は見ない。それが現実であって、私の悩みも大きい。私の考えでは,宮内庁というところは,天皇及び皇室に直接関わる文化については,それなりの予算を以てその維持保全を図るべきである。そうでないと,天皇と職人とのインターフェースがなくなるし、世界に誇る日本の職人芸が衰退していく。

 これからは、商業主義も良いとして、もっと贈与の部分を増やしていかないといけないのではないか。手仕事は中沢新一いうところの「純粋贈与」である。私は,これからの時代,日本は,市場経済と贈与経済のハイブリッド経済でないといけないのではないかと真剣に考えている。そして,その贈与経済の頂点に,日本の「歴史と伝統・文化」の象徴としての天皇が居られる,そういう風にしたいものだ。そのためには、マッカーサーからの押しつけ憲法を改正して,第一条にそのことを明記しなければならない。「天皇は、日本の歴史と伝統・文化の象徴であり、日本国民統合の象徴であって云々」というように、「歴史と伝統・文化」という文言を入れるのだ。なお,憲法改正に当たって平和条項は当然維持しなければならない。誤解が生じては困るので念のため,申し添えておく。私は,第1条だけでも憲法改正を行う大変な価値があると思っている。

 宮中では、講書始、歌会始、雅楽、蹴鞠、古式馬術、鴨猟、鵜飼などの文化活動が行われており、皇室と社会貢献者とのインターフェース(心の通う場)はあるが、皇室と庶民とのインターフェースはほとんどないと言ってよい。天皇は国民のためにあり国民は天皇のためにあるという私の感覚からいえば、皇室と庶民とのインターフェースが必要である。皇室と庶民とのインターフェースが増えて、京都人と同じような感覚で天皇や皇室がさらに身近かに感じることができるようになれば、私としては非常にうれしい次第である。

私の電子書籍「祈りの科学シリーズ(5)」は、電子書籍ショップで購入していただけると誠にありがたいのですが・・・。
http://honto.jp/ebook/pd-series_B-MBJ-27435-9-124989X.html

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