« 私の電子書籍「祈りの科学シリーズ(3)」第7章より | トップページ | 私の電子書籍「祈りの科学シリーズ(4)」第7章より »

2012年10月 9日 (火)

私の電子書籍「祈りの科学シリーズ(4)」第3章より

第3章 モノ的技術の神さま

 「100匹目の猿現象」から始まって、現在気になっている事柄を縷々書いてきたが、今日本でいちばん大事な問題は地域の元気再生を図ることである。そしてそういう私の地域づくりの立場から言えば、 今日本でいちばん大事な問題、それは地域に「祈り」の空間を如何に作っていくかという問題に尽きる。それは「祈り」の国づくりの話でもある。それは地域で祀られているさまざまな「神さま」の再評価である。守宮神(しゅぐうしん)とか宿神(しゅくじん)とか呼ばれる誠に不思議な芸能の神さまもいる(中沢新一「精霊の王」2003年11月、講談社)。さらには「トイレの神さま」など私たちの感性の中に眠る神さまも実に多い(梅棹忠雄「美意識と神さま」1985年1月、中央公論社)。それらさまざまな神さまの再評価をして技術立国にふさわしい「モノ的技術」の神さまを新たに創造しなければならない。
 都道府県は47ある。何故47になったのかは知らないが、「47」という数字は「3」という数字がそうであるように、不思議な数字である。私には「47」という数字に重大な意味が秘められているように思えてならない。赤穂浪士は四十七士である。いろは歌は47文字である。水木しげるの「妖怪四十七士」というのがあるが、日本の旅四十七選というのもあって、それぞれ都道府県の代表的なものが選ばれているのである。私は、「モノ的技術」の神さまも四十七の都道府県代表がおられても良いのではないかと思っている。
 中沢新一によれば、「スピリット」はさまざまに変化するので、「モノづくり」に携わる人々が「野生の心」を身に付けて日々「祈り」を捧げていれば自ずとさまざまな神さまが祀られるであろうし、円仁(慈覚大師)や明恵のように「野生の精神」を身に付けた人がジオパークなどの新しい地域づくりを演出するようになれば、連綿と続いてきた「村の祭り」とはまた別に、ビジター産業を支える新しい神さまと祭りが創造されていくのではないかと思う。ビジター産業については、章を改め次に述べるが、これから日本が目指すべき新たな産業であり「モノ的技術」がこれを支えなければならないのであって、ビジター産業を支える新しい神さまを私は「モノ的技術」の神さまと呼んでいるのである。

 ビジター産業は観光産業の一分野であるが、観光産業の一般的課題としてジオパークの問題がある。第6次産業も狙いは観光であって、ジオパークにおいてその振興を図る必要があるのではないか。日本はそれぞれの地域に独特の「風土」があり、いたるところがジオパークになるのではないかと考えている。ジオパークについては、この章の終わり第5節に述べるが、私は究極の観光資源として「祈り」の空間というものを重視している。

「祈り」は「大地の神」や「宇宙の神」との響き合いであり、まさに「ジオ」なのである。これから求められるのは「エコ」ではなく「ジオ」である。地球を考え宇宙を考えねばならない。大地の恵みと恐ろしさ、天から及んで来る恵みと恐ろしさを知らねばならない。大地と天には敬虔な気持ちをもって「祈り」を捧げなければならない。そして純粋贈与に対する感謝の気持ちをもって地域づくりを進めなければならない。純粋贈与のもっとも身近な産業として「農」を大事にしなければならないが、その他、純粋贈与としては「掛け流し温泉」があり、さまざまなスピリットの出現する森や水がありそれぞれ大事にしなければならない。その際もっとも大事なのは「祈り」であって、ジオパークという地域づくりにおいては「モノ的技術」にもとづかなければならないのであって、「モノ的技術」の神さまを祀ることが肝要である。

 天皇は「祈り」の人である。そして、私の年来の主張であるが、天皇は日本の「歴史と伝統・文化」の象徴である。だとすれば、私たち国民は天皇に習って日々「祈り」をささげなければならないのではないか。「祈り」については考えるべきことがあまりにも多いが、日本が技術立国でありまた観光立国であることを考えれば、「モノ的技術」の神さまを祀ることが如何に大事であるか。新しい祭りを創造することの重要性、ここではそのことを強調しておきたい。

 さあそこで「モノ的技術」の神さまを考えるために、もういちど小林昭にご登場願おう。 前章でも述べたが、小林昭はこれからの創造的な技術開発にとって何が大事かを述べているので、その核心部分を再度紹介しておく。すなわち、
『「工」という字は斧の形から生まれたものであるといわれている。」また、「工」という字は、「二」が天地を,、「I」という字はその間に立つ人を示し、「人が天地の間に立ってその正を持し規矩ある義」を表すといわれる。』
『金胎不二とは、モノの世界とココロの世界の一体化を意味している。ココロをこめてモノをつくることが、「モノとココロの一体化」であり、これから必要とされるといえる。これを、「生産曼荼羅の世界」と呼ぶ。』
『これからの「高度工業社会」では多機種少量生産に変わりつつある。不特定多数の消費者を対象とするのではなく、特定の人を対象として、磨き上げた感性と澄んだココロをこめてつくらなければならない時代となるだろう。』

『「いかにしてつくるか」という時代は終わり、「なにをつくるべきか?」が問われようとするこれからの時代においては、創造性に対する期待がすこぶる大きくなる。独創的な発想は、みずみずしい感性に培われた、ひらめくような直観から生まれるものである。』

『制度限界の壁を破るためには、原因を追及し、対策を工学的につめていく技術以外に、ひとつことに打ち込んできた人間のもつものすべてを投入する必要があるように思われる。技術プラスアルファーとして人間のもつ「なにか」を加味して最高水準のものに挑戦しなくてはならないと考えるようになった。』・・・と。
 これらの文章の中で、天地の間に立つ人とは、父なる天の神と母なる大地の神、それは私のいう「外なる神」に他ならないが、それらの神に「祈り」を捧げる人のことである。そして、 技術プラスアルファーとして人間のもつ「なにか」とは私のいう「内なる神」であり、それが「外なる神」と響き合うのである。
 また、小林昭が言うように、これからの「モノづくり」には「ひらめくような直観」が必要になってくる。「祈りの科学」シリーズ(1)の第11章で述べたように、直観というものは科学的に存在する。「活力の脳」によって「ひらめき」(霊感)を感じ、「知恵の脳」によって「直観」を得る。直感力のある人は「外なる神」の働きかけがあるのである。
 これからの時代、日本は技術立国として、一品一品に心を込めた「モノづくり」を重視していくことになれば、それに携わる人々の間に「モノ的技術」の神さまが生まれでてくるであろう。それを促すため、私としては「エロスの神さま」についていずれ機会を見て話すつもりだ。乞うご期待!

私の電子書籍「祈りの科学シリーズ(4)」は、電子書籍ショップで購入していただけると誠にありがたいのですが・・・。
http://honto.jp/ebook/pd-series_B-MBJ-27435-9-124989X.html

« 私の電子書籍「祈りの科学シリーズ(3)」第7章より | トップページ | 私の電子書籍「祈りの科学シリーズ(4)」第7章より »

文化・芸術」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1117507/47376581

この記事へのトラックバック一覧です: 私の電子書籍「祈りの科学シリーズ(4)」第3章より:

« 私の電子書籍「祈りの科学シリーズ(3)」第7章より | トップページ | 私の電子書籍「祈りの科学シリーズ(4)」第7章より »