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2012年10月10日 (水)

私の電子書籍「祈りの科学シリーズ(8)」第1章より

第1章 トイレの神様

 2010年は「トイレの神様」が、年末のレコード大賞を受け,NHKの紅白歌合戦でも唱われ,上海万博でも中国語の字幕付きで会場にも流れたそうである。何故これほどまでの人気を博したのだろう? 私はこの現象に,時代の流れというものを読むことが重要であると思う。
 今は市場経済のもと,競争が激しく,人々の心が蝕まれてきているようだ。心に余裕が無く,何かにむち打たれているようで,先行きも不安である。経済的にも格差が大きく,一部の恵まれた人はいいけれど,多くの庶民は食べるのにも苦労する状態である。こういう状況のもとでは,誰かに助けてもらいと思うのはごく自然であろう。しかし,現実にはたでけてくれる人なんていない訳だから,人々は何かに頼りたいという気分になってくる。状況がもっと深刻になれば,力強いサムシンググレートということになるのかもしれないが,一部の人をのぞいて多くの人々は,ともかく自分の身近なところの神に祈りたいという気分になっても不思議は無い。その気分とは,素晴らしい歌,それはリズムだが,その素晴らしいリズムに共鳴して何となく涙が出てくる気分である。「トイレの神様」が流行した一つの秘密は社会全般に漂う空気のなかで生じた「リズムとの共鳴」ではないか?私にはそう思えてならない。
 もうひとつは、おばあちゃんの持つイメージである。「人類発展おばあちゃん説」が指し示すように,おばあちゃんは孫の面倒をよく見るものである。例外も無くはないと思うけれど,だいたいはそうだ。多くの人は小さい頃おばあちゃんに育てられた人が多い。おばあちゃんは優しい。さらに,その優しさの中に,おばあちゃんには周りに与える影響力というものがある。おとなしくしていても,おおむねその家庭はおばあちゃんのペースで動いているようだ。静かな中にけっこう力があるのだ。そのことは「祈りの科学」シリーズ7の第4章で説明したアメリカインディアンの「クラウンマザー」が一つの証拠ではないか。おばあちゃんは優しいけれど影響力がある。したがって、多くの人にとって,おばあちゃんは身近な神様のようなイメージで頭の中にしみ込んでいるのであろう。
 実は、おばあちゃんだけではない。「りずむ人類学」の立場からすると、どうも女性そのものが身体的には男性より優れているらしい。「祈りの科学」シリーズ4の第9章では、芸能のことに触れ、「人々は、歌舞音曲を楽しみながら神々を意識するのである」と述べたが、 梅棹忠雄はその著「美意識と神さま」(1985年1月、中央公論社)なかで、次のように言っている。すなわち、

 『女と芸能とのむすびつきは、世界的にかなりふかいものがあるようにおもわれる。なぜ、女が芸能とむすびつきやすいのかという点についても、社会人類学的にさまさまな考察を必要とするであろう。あるいは、やはり神あるいは超人間的存在との交流能力について、女のほうにすぐれた点があるのかもしれない。』・・・と。
 「祈りの科学」シリーズ(1)の第5章での「天空の音楽」の話をしたが, 宇宙の「場」というものが女性の身体に作用しているのである。トイレの神さまなど「外なる神」との交信能力は男性より女性の方が高い。地域づくりにおいて女性の感性というものを大事にしなければならない所以はここにある。

 ところで,昔の家にはたくさんの神様がいた。「おくどさん」(かまどのこと)や「囲炉裏(いろり)」にもいたし,井戸にもいた。今は団地生活の人が多いから,家の神様はあまり感じられないが,それでも,正月には小さなしめ縄を家の玄関口や車や自転車や電話台など要所要所に飾ったりする家も少なくはないだろう。これはひとつの結界であり障りの神が入らないようにするためにやっているのかもしれない。あるいは歳神様にいてもらうためにやっているのかもしれない。しかし,バストイレは別として,独立した個室としてのトイレにトイレの神様がいても不思議ではない。さすがおばあちゃんはよく見抜いたものだ。やっぱりおばあちゃんは神様と親戚なのだ。 トイレの神様と響きあっているのだ。
 私は,「トイレの神様」が人気を博したその奥に,そういう「響きあい」つまり「リズム」というものの力と「おばあちゃんの不思議な力」があるように思われてならないのだ。

 さらに突っ込んで考えてみよう。「おばあちゃんの不思議な力」とは何か? それはおじいちゃんには無い力だが,それは何か? 私は,「祈りの科学」シリーズ(1)の第5章でベーレントの「天空の音楽」の話をしたが,「天空の音楽」というものははおばあちゃんは聞いているが,おじいちゃんは聞いていない。一般的にである。もちろん例外もあって,男性でもそれを聞くことのできる人はいるのだろうけれど,一般的にいって,男性は「天空の音楽」は聴いていない。ここがおばあちゃんとおじいちゃんの違いだ。「おばあちゃんの不思議な力」の秘密は「天空の音楽」にある。「天空の音楽」はリズムだから,上に述べた,『「トイレの神様」が人気を博した,その奥に,「リズム」というものの力と「おばあちゃんの不思議な力」がある』・・・という言い方は,『「トイレの神様」流行の秘密は「リズム」にある。』と言い換えていいように思う。
 「リズムの時代」,そういう時代に入ったと、私は思う次第である。

 「トイレの神様」は「リズムの時代」の幕開けを示すものではないか? 私はそう思えてならない。

 「祈りの科学」シリーズ1の最終章で述べたように「リズムの時代」とは「祈りの時代」でもあり,21世紀は「リズムの時代」でありまた「祈りの時代」である。私は,以下この章では,「祈り」を念頭にいくつか大事な事柄を書いていきたい。「祈り」の空間を如何に作っていくかという問題である。それは「祈り」の国づくりの話でもある。

私の電子書籍「祈りの科学シリーズ(8)」は、電子書籍ショップで購入していただけると誠にありがたいのですが・・・。
http://honto.jp/ebook/pd-series_B-MBJ-27435-9-124989X.html

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