« 私の電子書籍「さまよえるニーチェの亡霊」第8章 | トップページ | 私の電子書籍「<100匹目の猿>が100匹」第2章 »

2012年10月12日 (金)

私の電子書籍「さまよえるニーチェの亡霊」終章

おわりに

 私は、広島で建設省中国地方建設局長をしていたときに、地域づくりの実践活動をやりながら、「哲学の道研究会」という組織をつくって、哲学の道にのめり込んでいった。河川局長を辞めて,河川環境管理財団の理事長時代にも全国総合開発計画の見直しに当たって、小論文を書くなり、平和な国づくりについていろいろ思索を重ねてきた。そして参議院時代に上梓した「劇場国家にっぽん」に引き続いて、地域づくりの立場からずっと「哲学の道」を歩いてきた。その経緯については昨年の今頃YouTubeで話をしているので、それを見ていただきたい。
http://www.youtube.com/watch?v=vxEABE_dyiY&feature=relmfu

 その後、参議院議員を引退してからも、景観哲学の勉強をしたり、ジョン・グレイの政治哲学を勉強したり、サンデルの「正義論」を勉強したり、柄谷行人の「トランスクリティーク」や「世界史の構造」を勉強したり、エンデの思想を勉強したり、「尊厳」や「祭りの魔術化」について、あるいは「地域コミュニティの哲学」や「地域通貨の哲学と実践」について書くなどいろいろ勉強を重ねてきた。その間、中沢新一の著書はすべて勉強してきている。そして、今後、日本は世界の文明を変える力を発揮するだろう確信を持つようになったのである。
 ところで、今回の東日本大震災は津波被害はいうに及ばず福島電発の放射能汚染の被害も重なって、まさに未曾有の国難である。私は、戦後の国難よりはるかに困難な事態であると考えている。戦後の復興に当たっては、アメリカという国の指導があったし、また国が目指すべき方向もはっきりしていたのではなかったかと思う。しかし今回は違う。世界のどこにもないまったく新しい価値観で立ち向かわなければならないのである。パラダイムの転換が不可欠であると思う。
 パダイムシフト、そこにはもちろん哲学に裏打ちされた思想が必要だ。地域づくり、国づくりについても、今までにない方法で人々に希望と勇気を与えながら、国民みんなが力を合わせてこの国難に立ち向かうことが何より大事なことだ。私は今こそ、「平和な国づくり」に邁進することが肝要だと考えた。平和の哲学、今こそ実践すべき時だ。そう考えると、今までの私の哲学や思想では何かが欠けているのではないかと思わざるを得ない。そんな感じを持ちながら、中村恵子さんなど私の仲間といろいろ哲学の話をしているうちに、中村雄二郎のリズム論にも話が及び、話の勢いから「そうだ!そうだ!世界はリズムだ!」という話になった。そのとき以来、私は、リズムの勉強を本格的にしなければならないと思ったのである。今まで勉強してきたものに,「リズム(波動)の摩訶不思議な力」を科学的に説明する論理を加味できれば、今までの私の哲学も、もっと説得力を持って若い人に話ができるのではないか。そう考えて「祈りの科学」シリーズの電子出版となった。この本の狙いは,「平和国家の原理は何か?」、「日本は今後どうなるのか? あるいはどうあるべきなのか?」ということを私なりの言葉で語るところにある。このシリーズ「祈りの科学」の根拠は「祈りの科学」シリーズ(1)の「<100匹目の猿>が100匹」にある。
 「祈りの科学」シリーズ(1)の「<100匹目の猿>が100匹」は,最新の科学的知見をもとに書いたものである。その結論は、「リズム」と「祈り」というものが極めて重要であるということだ。そして、「リズム」をキーワードに人類学を発展させる必要があるとの観点からこのシリーズには「リズム人類学の進め」というサブタイトルをつけた。日本は本来「祈り」の国であり、「祈りの国にっぽん」と称してよい。 今後、 日本は、そこに大いなる誇りと大きな自信を持って、世界平和のために尽力していかなければならない。
 「祈りの科学」シリーズでは、シリーズ(4)の第3章で、『これからの時代、日本は技術立国として、一品一品に心を込めた「モノづくり」を重視していくことになれば、それに携わる人々の間に「モノ的技術」の神さまが生まれでてくるであろう。それを促すため、私としては「エロスの神さま」のことをいずれ機会を見て話すつもりだ。』と述べた。エロス論を今後の宿題にしたのである。さらに、「祈り」に関連してこのシリーズで書ききれなかった問題に、「子づくり」の問題がある。これも当然エロス論と関わってくる。
 私は、いろいろな哲学の勉強をしているうちに、アメリカインディアンのクラウンマザーであるとか、「人類発展おばあちゃん説」を知り、女性の凄さというか摩訶不思議なところを感じていたし、またこれからの「平和の時代」のリーダーに女性が向いているのではないかという感じを何となく持っていたので、それらに焦点を当てて「女性礼賛」という本を書いた(2012年*月、ジパング・C・S、電子出版)。女性を語るのにエロス論は避けて通れない。ましてや、私のように「ホト神さま」を崇める立場からすればなおさらのことである。そういうときに、折しも中村恵子さんから「これからはエロスの時代ですね。」という話を聞き、得たりとばかりにプラトンのエロス論を勉強し始めた。「女性礼賛」では、プラトンのいうエロの神と摩多羅神に通底するものがあると書いたが、私のエロス論は今後の大きな課題となっている。
 今回のこの本「さまよえるニーチェの亡霊」では、ニーチェの本格的な勉強をし、さらにハイデガーやホワイトヘッドの勉強をし直したりしたお蔭で、「エロスの神」については、ある程度私のイメージが立ち上がってきた。まだ、学者でもない私のことなので、もちろん本格的なエロス論というわけにはいかないが、現在思うところをこの本に書いた。
 私の感覚としては、これから「世界平和の神」としては「エロスの神」がふさわしい。
214
 今、日本もそうだが、世界は「人間が生きる最高の価値観」を失ってニヒリズムに陥っている。そのニヒリズムから脱却して私たち人間が生き生きと生きていくためには、何をなすべきか? それを一言で言えば、ニーチェの考えを中心として、ハイデガーやホワイトヘッドらの哲学のいいところ取りをして、ニーチェの哲学を超えた新しい哲学の方向を見定めて、具体的な運動を展開することだ。そういった新しい哲学、すなわちニーチェとハイデガーとホワイトヘッドの統一哲学が形而上学的に誕生するにはかなりの年月がかかるかと思われる。現在の状況からして、それを待っているわけにはいかないというのが私の認識であり、したがって、私は、せめてその方向性を見定めて、具体的な運度を展開すべきだと申し上げている。
 人生いろいろ、神もいろいろだが、哲学の問題としては、神をアポロン的な神とディオニュソス的な神とに峻別しなければならない。アポロン的な力とディオニュソス的な力の統一がパラドックス論理によってなされなければならないのである。エロスについても合理と非合理の統一がなされなければならない。ニーチェはキリスト教の神と戦うことに一生を捧げたので、その必要性を認識しながらも、パラドックス論理を使うに至らなかったと言い得るかもしれない。必然的な自己矛盾を克服できなかったのである。私は、今後、ニーチェの神に対する考えを中心として、ハイデガーやホワイトヘッドらの良いところ取りをして新しい21世紀の哲学を作ることができると思う。中沢新一はじめ日本の哲学者にもおおいに頑張ってほしい。終わりにあたってそのことを心からからお祈り申し上げたい。日本が平和な国でありますように! 世界が平和でありますように! 人類がイキイキと暮らしていけますように!


私の電子書籍「さまよえるニーチェの亡霊」は、電子書籍ショップで購入していただけると誠にありがたいと存じます。
http://honto.jp/ebook/search.html?athid=1001816269

« 私の電子書籍「さまよえるニーチェの亡霊」第8章 | トップページ | 私の電子書籍「<100匹目の猿>が100匹」第2章 »

文化・芸術」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1117507/47419015

この記事へのトラックバック一覧です: 私の電子書籍「さまよえるニーチェの亡霊」終章:

« 私の電子書籍「さまよえるニーチェの亡霊」第8章 | トップページ | 私の電子書籍「<100匹目の猿>が100匹」第2章 »