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2012年10月12日 (金)

私の電子書籍「さまよえるニーチェの亡霊」第1章

第1章 ニーチェについて

第1節 ニーチェについての概論

 19世紀ドイツの哲学者ニーチェの主著「ツゥラトゥストラはこう言った」はニーチェの40才ごろに書かれた。

 彼自身「かって人類に贈られた最高の贈り物」だと言っているが、私も世界文明史の中で画期的な意義を持つものであると思う。ニーチェの思想は、「固定的な真理や価値は邪魔だ。個人個人が自分の価値を創造していくべきだ。」というもので、当時西洋文明の根底にあったキリスト教が諸悪の根源だとして、「神は死んだ」と声高にキリスト教に対する批判を展開した。彼の批判はキリスト教だけにとどまらないで、科学技術、民主主義のイデオロギーなど、それまでの思想はすべて「キリスト教的なもの」として排斥した。しかし、私は、「固定的な真理や価値は邪魔だ。個人個人が自分の価値を創造していくべきだ。」という基本的な考えには大賛成である。しかし、後者の点についていえば、「神は死んだ」という彼の言い方にやむを得ないものがあったと同情しつつも、実は、私は「神は死んでない」と考えている。その点については、この書籍の核心部分であるので、おいおい説明しておきたいと思う。「神は死んでいない」のである。ここでは、ニーチェはまさに超人で「ツゥラトゥストラはこう言った」という「人類に最高の贈り物」をしてくれたと言うことだけを申し上げておきたい。

 ニーチェは、「人間とは動物から超人に向う間の存在であり、人間そのものではまだダメで人間を超えていかなければならない。」と考えているのだが(「ツゥラトゥストラの序説」)、この認識は現在の科学からいってもまったく正しい。人間の脳は三階建て構造になっており、恐竜型脳の上に原始哺乳類型脳があり、その上に新哺乳型脳がある。

 そして大事なことは、その三階の脳はまだ一割ぐらいしか使われていないのであって、あとの9割の脳は未使用状態である。今後人間が発達していくとその未使用の脳は少しずつ使われていく。そのとき、人間はどのような存在になっているかは「神のみぞ知る」のである。現在の最新科学を知らないニーチェがそこまでは知る由もないが、「人間とは動物から超人に向う間の存在であり、人間そのものではまだダメで人間を超えていかなければならない。」というニーチェの認識は、現在の最新科学からもまったく正しいのである。脳の未使用領域が全部使われるようになった段階の人間をニーチェの言い方にならい「超人」と呼ぶならば、これから人類は「超人」に向うのである。彼は、ツゥラトゥストラをして、「超人にはなれなくても、超人のために超人を用意すべく努力して死んでいけ。自分のあとに超人が生み出さればいい。」と言わしめている。ニーチェは「超人」と言われているが、ここでいう「超人」とは違う。ニーチェはまだ三階の脳がほとんど未使用のままの人間である。したがって、私は、これ以降、言葉の使い方に混乱が生じないように、ニーチェのことを今後「超人的な哲学者」と呼ぶことにしよう。
 ニーチェの若い頃に書いた作品「悲劇の誕生」は、「悲劇はディオニュソス的なものとアポロン的なものが一緒になってできた」というのが主題になっているのであるが、ニーチェはディオニュソス的なものに重大な関心を持っていたようだ。ディオニュソス的なも


のとは何か? のちほど詳しく論じるが、ここでは、「ニーチェはディオニュソス的なものに重大な関心を持っていた」ということだけを申し上げておきたい。

 ニーチェは、「ニヒリズム」について深く考えた「超人的な哲学者」である。それによれば、「ニヒリズムとは何を意味するか? 志高の諸価値がその価値を剥奪されること。目標が欠けている。<何のために>の答えが欠けている。」・・・ということだ(『権力への意志(上)』(原佑翻訳、1993年12月、筑摩書房)。志高の諸価値とは「神」だけでなく進歩主義、民主主義、社会主義、国家主義など西洋文明における諸価値のことである。西洋文明において、現在、それらすべてが「<何のためにそれが必要なのか>と問われたとき、その答えを明確には言えない状況になっている。
 「神」だけでなく進歩主義、民主主義、社会主義、国家主義それぞれにおいて、その理想と現実の乖離が大きく、<何のためにそれが必要なのか>に対する明確な答えができないのである。この状態は現在も同じである。ヨーロッパだけでなくアメリカや日本でも同じではないか。したがって、ニヒリズムの問題は、その解消に向って、私たち先進諸国の人間は真剣に考えねばならない。ニヒリズムの問題を人類最初に奥深く哲学したのがニーチェであり、そういう意味でやはりニーチェは「超人的な哲学者」である。その後、ハイデッガーがニヒリズムの問題と取り組んでいるが、それを下敷きにして、私たちは「人間は何のために生きているのか?」「神は何のために必要なのか?」を哲学して、ニヒリズムからの脱却を図らなければならない。その具体的方策は何か? 現在、 夢と希望を持って頑張っている人も少なくないけれど、 日本人の多くがやる気をなくしている。

 なお、「権力への意志」という原著は、壮大な哲学的主著『ツァラトゥストラ』を書き終えたニーチェが体系的理論書として計画していたが刊行の運びに至らず、実妹エリーザベトがニーチェの書き残した厖大な遺稿群の集成を図ったものである。つまり、ニー
チェの実妹エリーザベトがペーター・ガストの協力を得て編纂したもので、「権力への意志」という原著は著作としては未完に終った思想的素材の塊りである。これによってニヒリズムについてのニーチェの考え方がよく理解できる。ニヒリズムについて詳しく知りたい方は、是非、『権力への意志』(原佑翻訳、1993年12月、筑摩書房)を読んでいただきたい。

 近年日本がニヒリズムに陥っている状況について、西研は、次のように言っている(「ツゥラトゥストラ・・・ニーチェ」2011年8月。NHKテレビテキスト)。すなわち、

『 私たち日本人の場合で考えてみましょう。若い人にはピンとこないかも知れませんが、1960年代から70年代半ばにかけての高度成長期には、個人の夢として「豊かさと自由を求める」ということがありました。窮屈で貧しい田舎を出て、豊かで文化的な都会に行くことに人びとは憧れをもっていたのです。60年代初頭には「恋愛」ブームが起り「マイホーム」という言葉が登場したように、人びとは恋愛結婚をして自分たちの家を造るという夢に向ってがんばりました。また社会全体としても「欧米に追いつけ追い越せ」という目標があり、「NHKのプロジェクトX」を例にとるまでもなく、みんなが「絶対に欧米に負けない製品を作り出してやる」という気概をもって臨んでいたのです。
 ところが1980年頃を境にして、こうした目標や夢がどんどん落ちていきます。その大きな要因は、経済的な面で欧米に完全に追いついてしまったこともあるでしょう。エヅラ・ヴォーゲルの著書「ジャパン・アズ・ナンバーワン」が刊行されたのが1979年のことですが、人びとが求めてきた豊かさ、高学歴化、都市的生活といったものが日本社会全体に行き渡ってしまったのです。そして人びとは「目標に向って頑張る」という生き方ではなく、「生活を楽しむ」という価値観に移行していった。
 こうして80年代から、私たちは個々人の夢も目標も与えられない時代に突入していきます。そして現在のように不況になり経済格差や貧困の問題が指摘されるようになっても、私たちは依然として目標と方向を見失ったまま漂っています。』・・・と。

 西研が言うように、ニヒリズムからの脱却を図ることは緊吃(きんきつ)の課題だと思う。ニヒリズムからの脱却については、哲学と具体的方策の両方が必要である。ここではその点だけを申し上げ、ニーチェの哲学を超えた新しい哲学とニヒリズム脱却の具体的方策のそれぞれの方向性については、稿をあらためて詳しく論じることとする。


第2節 ニーチェの生きざま

 それでは次に、ウィキペディアによって、著作活動を中心にニーチェの「生きざま」を紹介しておこう。

 1869年のニーチェは24歳で、博士号も教員資格も取得していなかったが、リッチュルの「長い教授生活の中で彼ほど優秀な人材は見たことがない」という強い推挙もあり、バーゼル大学から古典文献学の教授として招聘されるという異例の抜擢を受けた。

 1872年27歳のとき、ニーチェは第一作『音楽の精神からのギリシア悲劇の誕生』(再版以降は『悲劇の誕生』と改題)を出版した。これはショーペンハウエルの厭世主義思想の助けを借りながら、アポロ的/ディオニュソス的という対立概念によって「ギリシア悲劇の誕生と歴史的展開の分析」および「現代音楽による悲劇的精神の再生」を統一的な観点から考察するという試みであるが、結論としては現代におけるギリシア精神の体現者としてのヴァーグナーを称揚するというものである。

 1873年(28歳)から1876年(31歳)にかけて、ニーチェは4本の長い評論を発表した。『ダーヴィト・シュトラウス、告白者と著述家』(1873年)、『生に対する歴史の利害』(1874年)、『教育者としてのショーペンハウアー』(1874年)、『バイロイトにおけるヴァーグナー』(1876年)である。これらの4本(のちに『反時代的考察』(1876年)の標題のもとに一冊にまとめられる)はいずれも発展途上にあるドイツ文化に挑みかかる文明批評であり、その志向性はショーペンハウエルとヴァーグナーの思想を下敷きにしている。

 1878年33歳のとき、『人間的な、あまりにも人間的な』を出版。形而上学から道徳まで、あるいは宗教から性までの多彩な主題を含むこのアフォリズム集において、ついにヴァーグナーおよびショーペンハウエルからの離反の意を明らかにしたため、この書はニーチェの思想における初期から中期への分岐点とみなされる。

 翌1879年34歳になって、激しい頭痛を伴う病によって体調を崩す。ニーチェは極度の近眼で発作的に何も見えなくなったり、偏頭痛や激しい胃痛に苦しめられる

 病気の療養のために気候のよい土地を求めて、ニーチェは1889年まで10年間さまざまな都市を旅しながら在野の哲学者として生活した。夏の多くはスイスのグラウビュンデン州サンモリッツ近郊の村ジルス・マリアで、冬はイタリアのジェノヴァ、ラパッロ、トリノ、あるいはフランスのニースといった都市で過ごした。

 1878年に『人間的な、あまりに人間的な』を刊行したのを皮切りとして、ニーチェは1888年まで毎年1冊の著作(ないしその主要部分)を出版することになる。特に執筆生活最後となる1888年には5冊もの著作を書き上げるという多産ぶりであった。1879年には『人間的な』と同様のアフォリズム形式による『さまざまな意見と箴言』を、翌1880年には『漂泊者とその影』を出版。
ニーチェは1881年に『曙光:道徳的先入観についての感想』を、翌1882年には『悦ばしき知識』の第1部を発表した。

 ショーペンハウアーとの哲学的つながりもヴァーグナーと の社会的つながりも断ち切ったあとでは、ニーチェにはごくわずかな友人しか残っていなかった。『ツァラトゥストラ』の新しいスタイルを手にしてからは、彼の著作はますます親しみやすさを失い、読者の反応もおざなりで慇懃無礼なものとなっていった。ニーチェはこの事態を甘受し、みずからの孤高の立場を堅持し た。一時は詩人になろうかとも考えたがすぐにあきらめ、自分の著作がまったくといってよいほど売れないという悩みに煩わされることとなった。1885年には『ツァラトゥストラ』の第4部を上梓するが、これはわずか40部を印刷して、その一部を親しい友人へ献本するだけにとどめた。

 1886年にニーチェは『善悪の彼岸』を自費出版した。この本と、1886年から1887年にかけて再刊したそれまでの著作(『悲劇の誕生』『人間的な、あまりに人間的な』『曙光』『悦ばしき知識』)の第2版が出揃ったのを見て、ニーチェはまもなく読者層が伸びてくるだろうと期待した。事実、ニーチェの思想に対する関心はこのころから(本人には気づかれないほど遅々としたものではあったが)高まりはじめていた。

 ニーチェは1888年に「ヴァーグナーの場合」、「ニーチェ対ヴァーグナー」、「偶像の黄昏」、「アンチクリスト」、「この人を見よ」という5冊の著作を書き上げた。
これらはいずれも、長らく計画中の大作『力への意志』のための膨大な草稿をもとにしたものである。健康状態も改善の兆しを見せ、夏は快適に過ごすことができた。この年の秋ごろから、彼は著作や書簡においてみずからの地位と「運命」に重きを置くようになり、自分の著書(なかんずく『ヴァーグナーの場合』)に対する世評について増加の一途をたどっていると過大評価するようにまでなった。
『偶像の黄昏』と『アンチクリスト』を脱稿して間もない44歳の誕生日に、自伝『この人を見よ』の執筆を開始。これは最後の著作となる。

 『力への意志』も精力的に加筆や推敲を重ねたが、結局これを完成させられないままニーチェの執筆歴は突如として終わりを告げる。

 1889年1月3日にニーチェの精神は崩壊した。この日、ニーチェがトリノ市の往来で騒動を引き起して二人の警察官の厄介になったということ以外の正確な事情は明らかになっていない。1月6日に、バーゼルの精神病院へ入院。このころニーチェはすでに完全な狂気の淵へ陥っていた。

 大方の解説者はニーチェの狂気と哲学を無関係なものと考えているが、ジョルジュ・バ
タイユやルネ・ジラールなどのように、ニーチェの狂気は彼の哲学によってもたらされた精神的失調だと考える者もいる。
 ニーチェの著作活動の軌跡は以上であるが、その「生きざま」たるや、もの凄いの一語に尽きる。ニーチェは、ソクラテス以前のギリシャに終生憧れ、『ツァラトゥストラ』などの著作の中で「神は死んだ」と宣言し、西洋文明が始まって以来、特にソクラテス以降の哲学・道徳・科学を背後で支え続けた思想の死を告げた。殺し屋ニーチェの面目躍如たるものがある。
 それまで世界や理性を探求するだけであった哲学を改革し、現にここで生きている人間それ自身の探求に切り替えた。自己との社会・世界・超越者との関係について考察し、人間は理性的生物でなく、キリスト教的弱者にあっては恨みという負の感情(ルサンチマン)によって突き動かされていること、そのルサンチマンこそが苦悩の原因であり、それを超越した人間が強者であるとした。さらには絶対的原理を廃し、次々と生まれ出る真理の中で、それに戯(たわむ)れ遊ぶ人間を超人とした。
 すなわちニーチェは、クリスチャニズム、ルサンチマンに含まれる人間の持つ価値、及び長らく西洋思想を支配してきた形而上学的価値といったものは、現にここにある生から人間を遠ざけるものであって、殺すべき対象であるとする。そして人間は、合理的な基礎を持つ普遍的な価値なんてものは手に入れることができない悲劇的な存在であるとするのである。だが一方で、そういった悲劇的認識に達することは、既存の価値から離れ自由なる精神を獲得することであると考える。「流転する世界」の中における「流転する真理」は全て「力への意志」と言い換えられる。いわばニーチェの思想は、自分自身の中に生存の前提となる価値を見いだし、現にここにある生を肯定し続けていくことを目指したものである。そういった生の理想的なあり方として提示されたものが「超人」であると言える。ニーチェの哲学はまさに「いのち」の哲学である。


第3節 ニーチェをどう見るか

 ニーチェをどう見るか? 第1節の「ニーチェについての概論」ではニーチェという存在についての私の見方、私の認識を書いたが、ここでは、私の尊敬する学者がどう見ているか、またニーチェ自身が自分のことをどう認識しているかを紹介する。

(1)佐伯啓思はこう見る

 佐伯啓思はその著書「20世紀とは何だったのか・・・現代文明論(下)、西洋近代の帰結」(2004年6月、PHP研究所)の中で次のように言っている。すなわち、

『 キルケゴールは、現代は「反省の時代」だといいます。反省の時代というのは、人間が極度に理性に頼り、理性でもって物事を判断しようとする、そういうあまり賢くなりすぎた時代で、新規なものへの冒険や超越的なものへの構想力などを失ってしまった。
 同時に、現代は「水平化の時代」であると彼はいいます。みなが相互に同じだという意識をもっている。あらゆるものの序列や価値の高低がなくなってしまった時代だ、と。この「水平化の時代」において、神という超越的な権威を失った人間は、神の方に向くのではなく、お互いに相手のことを気にし、相手に合わせようとする。
この「反省の時代」と「水平化の時代」では、人間を情念を解放することができないし、新しいことを創意工夫することもできない。価値あるものを奉じていきいきと生きることはできず、ただ退屈し、おとなしく衰退していくだけだ・・・こういったことをいう。神というようなものを信じられれば、信仰をバネにして、人間はもっと偉大なものに接近することができるのですが、もはやそういうことができなくなった時代です。そして、こうした神なき時代の生の衰退について徹底的に批判したのがニーチェなのですね。』

『 ニーチェの中心的な主張をひとつのポイントに絞って説明しておきましょう。単純化していえば、西洋近代社会が唱える個人の自由や人間の平等、人間の権利といったもの、また、さまざまな道徳規律などは、けっして確かな根拠をもったものでもなければ、優れた価値というものでもない。西欧の近代が奉じている理念は、いってみれば欺瞞(ぎまん)であり、その本質といえば、弱者が強者を支配するための口実である、ということです。
 しかし、ニーチェはそのような社会を間違っているとはいいません。彼はどういう社会が正しいか、どういう社会が間違っているかという議論はしない。道徳律を否定するニーチェからすれば、そういう議論はできないのです。あるものが正しい、あるものが間違っているとの価値判断は、一種の道徳破壊者であるニーチェにはいえない。だから彼は、これは不健康である、キリスト教社会は病気である、近代人は病人である、というのです。』

『 そもそもニヒリズムとはいったい何なのでしょうか?(中略)ヨーロッパのニヒリズムとは、これはニーチェの定義を借りれば、「最高の諸価値の崩落」といわれるものです。(中略)これは美しいとか、あれはすばらしいとか、有益だとか、そういう判断も不可欠ですね。こうした美的判断や重要性の意味付けは、本質的に評価と比較を含んでいますから、ここに評価や比較の基準がなければなりません。そのときの基準になるもの、それが価値です。価値によって物事を意味付けていき、そこではじめて、われわれは世の中にアプローチしていくわけです。それがなくなってしまうと、われわれは自分の行動の意味が確かではなくなり、自分がかかわる世界に対して意味を与えることができない。』

『 ニーチェは、ニヒリズムには三つの形態があるといいます。まず一つは「目的の崩壊」。(中略)これは」、かなり深刻な事態です。同時にまた、人間存在のかなり根底にかかわる問題なのですね。(中略)二番目に「統一の崩壊」。人間の行動に何の目的もないとすれば、それが集まってできただけの世界も、偶然の産物以外の何ものでもない。しかし、現象界の背後に、われわれの感覚的把握を超えた法則のようなもの、つまり、心理が存在する。それを理性でもって探求する以外にない。この考え方の起源は古いですね。プラトンにまでさかのぼることができるでしょう。現象の背後にそのものの本当の姿、イデアが存在するという考え方です。哲学とは、ものの真の姿を捉える観想的な営為だということになりますね。近代の科学は、物理学のように、物理的現象の背後に隠された真の意味、構造、法則を明らかにするものです。

 ところが、やがて「真理」さえも実は存在しないということになってくる。これがニヒリズムの第三の形態である「真理の崩壊」です。
 ニーチェは次のようなことをいいます。真理とは何かというと、結局、人間がそれを真理だと信じようと思うものにすぎない、それを真理と呼んでいるだけだ。さらに、真理を立てる背景にある動機は何かというと、それは人間の権力欲、権力への意思である、だから真理とは、人間の権力欲のひとつの現れである。こういうのです。
 人間が自分の欲望を満足させるための対象としてつくり出した、虚構ということになります。こうして「真理」も崩壊する。この三つの崩壊、つまり「目的の崩壊」「統一の崩壊」「真理の崩壊」こそが、ニヒリズムが行き着いた究極的なところなのです。』

『 ニーチェのいっているニヒリズムは、けっしてマイナスの概念ではないのですね。それはけっして文明の退歩や衰弱ではありません。むしろ、人間が当然あるべきところへ戻ってきただけの話です。人間の存在にはもともと何の目的もなかった。偶然ここに生まれ、われわれは偶然ここで会話を交わし、偶然出会っただけです。何の特別な意図もなければ意味もない。本質的にはそういえるでしょうね。(中略)ニヒリズムとは、何よりもまず、人間本来の姿に立ち戻る手続きなのです。ところで、このように指摘するにあたって、ニーチェには彼なりの独特の世界観がありました。それは、この世界はただ「存在」するものではなく、たえず「生成」するものだという考え方です。世界はただ「ある」のではなく、生成し、変化してゆく。つまり「成ってゆく」のです。きわめて東洋的な言葉を当てはめると「流転」するものである。(中略)ニヒリズムをこういう意味で理解すると、これは、たとえばわれわれ日本人にもわかりやすい「無常観」や「万物の流転」といった観念とあまり変わりません。しかし、ニーチェのいうニヒリズムにはそれ以上の意味がある。(中略)どうして変転し生成するのかというと、人間の本質はたえず、新たな力を求めて意思するところにあるからです。人間の本質とは何かというと、「力への意思であるとニーチェはいうのです。「力への意思」とは、常に今ある状態を超え出ようとすること、より高いもの、より大きなもの、より偉大なものへ至ろうとする意思を人間は持っている。』

『 ニヒリズムとは最高諸価値の崩落です。これまで自明のものとして信じてきた価値を一度すべて疑い、放棄する。このとき、われわれのかかわっている世界はバラバラになります。世界や歴史の目的は存在せず、統一はなく、真理は存在しない。まず、そのことを知らねばならない。絶対的な価値の基準はこの世には存在しないことを知る必要がある。
知ることによって、われわれはそこから価値転換を図る。価値転換を図るために、まずは従来価値があるとされていたものが無価値であることに気づく。しかし、人間はなおかつ力への意思をもっていますから、今ある状態を抜け出して、より高いもの、より高貴なものを求める。そのために人間は新しい価値を創出することができる。それがニーチェのいう価値転換なのですね。そして、この新しい価値は、誰もがつくり出せるものではなく、それを行うのは「高貴な種の人間」、つまり彼のいう「超人」です。ですから「超人」の役割は、世界や他人を支配することではなく、新たな価値の基準を人々に指し示すことにある。』

『 ハイデッガーは次のように述べています。ニーチェのニヒリズム論は、じつはデカルト主義と同じであり、いわばその再来である、と。こうして、ニーチェこそは、西洋形而上学の完成者であるというのです。ニーチェはデカルト哲学の継承者であり、その完成者である、と。(中略)
 ニーチェはたしかにデカルトの合理主義を批判しますけれど、しかしニーチェがやったことは、非常に強力な主体の創出です。それを彼は「主体」とは呼ばずに「超人」といった。しかし、人間主体が価値をつくり出すことによって、世界を新たにつくることができる。これは本質的に主体性の形而上学であり、デカルト主義の再来という訳ですね。
 そういう意味で、ニーチェは西洋形而上学の完成者である。いいかえれば、ニーチェのニヒリズムは西洋思想の中からしか出てこない。それは、プラトン以来の西洋の形而上学的な哲学の終局形態だということになります。』・・・と。

 佐伯啓思のニーチェにたいする認識は以上のとおりであるが、以上の中で最後に言っている「 ニーチェのニヒリズムは西洋思想の中からしか出てこない。それは、プラトン以来の西洋の形而上学的な哲学の終局形態だということになります。」という指摘は、まことに重要な指摘であるので、みなさん、この点をよく覚えておいてください。ニーチェは東洋の思想に強いあこがれをもっていたが、ニーチェにとってそれは消化不良で自分の血肉になっていなかった。これからの世界文明を引っ張っていく哲学としては、西洋思想と東洋思想の融合(シンクレティズム)が必要である。それに挑戦した超人的な哲学者が西田幾多郎とハイデッガーである。


(2)林道義はこう見る

 林道義はその著書「ツァラトゥストラの深層」(昭和54年7月、朝日出版社)の中で次のように言っている。すなわち、

『 ツァラトゥストラとは、人々に「神は死んだ」ことを告げ、「超人」を教えるという使命をもって「ふたたび人間となる」者である。』

『 人類には古来「賢者」「老賢者」という元型的イメージが存在しており、つねに大きな影響力をもってきた。「賢者」は純粋な精神性をもっており、なまなましい生や現実から超越していて、至高の理想や知恵を告示し、迷いや誤り・罪の中にある人間を教え導くものである。結局これは人類に普遍的に存在している神の像につながるものであり、神の元型ということができる。このような「賢者」の像をツァラトゥストラと結びつけるということに対しては、おそらく強い疑念又はとまどいが読者の心に生ずることと思う。正直いって、はじめ私自身もそのように思ってもみないことであった。というのは、第一に、ツァラトゥストラとは男性的な強さ、生命力あふれる偉大な超人を説く人であり、その人が「精神」などというキリスト教的(宗教的)特徴をもつということに、どうもなじめなかったからである。また第二に他方で私は「賢者」をすぐれて「老賢者」というイメージでとらえ、穏やかで深い知恵をもつ老人と考えていたので、男性的で怒りっぽく攻撃的な面をもつ壮年のツァラトゥストラを、ユングが「老賢者の元型をあらわすもの」と述べていることがどうしても納得がいかなかったのである。しかし、じつは、この二つの理解の仕方は勝手な思い込みであり、誤った先入見にすぎなかった。』

『 盲点というのは、ツァラトゥストラの説く説教が精神としてのキリスト教の神を否定し、そのかわりに大地や肉体を賛美するところにある。このためにツァラトゥストラは容易に反「精神」の「生」の思想とは一つの理想であり、純粋な理念である。理想を説くということは、それがいかなる内容のものであれ・・・たとえばそれが反精神をとくものであれ、唯物論でさえあっても・・・それ自体精神性の現れであり、その人間が「精神=賢者=神」の元型にとらえられていることを意味していると考えなければならない。「精神」の性質はつねに高いもの、上にあるものと感じられる。(中略)ツァラトゥストラには、現実の汚い人間のあり方をこえて高まっていかなければならないという心理がは働いている。この箇所は実存主義者がニーチェの実存主義的な面を示すものとして好んで引用するところであるが、ここはむしろもっと一般的に現実の欲望や衝動から高まりたいという精神への純化の欲求を示す、深い元型的な心の現れと見るべきであろう。』

『 ツァラトゥストラの性質と酷似しているのがミトラス教の神の性質である。神の息子ミトラスは牡(おす)牛を殺して天に昇っていく。この牡牛は自我であり、本能的衝動であると解されるが、これを殺すことによってミトラスは純粋な精神性を獲得し、それが父なる神のもとへ飛翔として象徴されていると考えられる。ミトラスが牡牛を殺すことは、エリアが堕落した人間を殺すことと同じであり、私の「騎馬の神」が戒律を破ったふしだ
な女たちを撃ち殺すのと同じである。これらの男性的な行為によって人は精神性を獲得し、昇天する。男性的な激しさと精神性とは一対の性質なのである。』

『 ユングによれば、精神を表すドイツ語のガイストは、「肉体に対する超現世的な存在」という意味を持っているが、他方で怒りや激情という語とのつながりをもっていると言われている。また精神と本能は対立する原理でありながら、精神は本能のイメージ化されたものであり、本能からエネルギーをもらっており、本能的なダイナミックな性質を、また生気を与え、活気づける働きをもっている。精神とはギリシャ語のプネウマ(風、生気)であり、激しく吹くものであると同時に、現世を離れて純化し、高まるものである。この二面性をツァラトゥストラもまた備えているということができる。』

『 ツァラトゥストラは、三十歳になったとき、その故郷を去り、故郷の湖を捨てて、山奥に入った。そこで自らの精神と孤独とを楽しんで、十年の間倦(う)むことがなかった。故郷を去るということは、現実の欲望の世界を去ることであり、ニーチェはここはさらりと書いているが、しかしそのことはアブラハムが故郷と家族を捨てたと同じ男性的な激しい強さを必要としたことであろう。また「山奥」と訳されてあるのは「ダスゲビルゲ」山岳地帯のことであり、人里離れた高地である。日本でも出家した者が煩悩を捨て高野山にこもって修行するのと同じである。』・・・と。

 林道義のニーチェにたいする認識は以上のとおりであるが、以上の中で最後に言っている「 ツァラトゥストラは、三十歳になったとき、その故郷を去り、故郷の湖を捨てて、山奥に入った。 (中略)「山奥」と訳されてあるのは「ダスゲビルゲ」山岳地帯のことであり、人里離れた高地である。日本でも出家した者が煩悩を捨て高野山にこもって修行するのと同じである。」・・・という指摘は、まことに重要な指摘であるので、みなさん、この点をよく覚えておいてください。ニーチェが日本の山岳仏教にどの程度の知識を持っていたかは判らないが、私は東洋の思想に強いあこがれをもっていたことだけは間違いないと思う。

 また、ミトラス教の神の話で「 男性的な激しさと精神性とは一対の性質なのである」という点は非常に重要な指摘であると思う。ミトラス教は、古代ローマで繁栄した、太陽神ミトラスを主神とする密儀宗教である。普通、ミトラス教は古代のインド・イランに共通するミスラ神(ミトラ)の信仰であったものが、ヘレニズムの文化交流によって地中海世界に入った後に形を変え、主にローマ帝国治下で紀元前1世紀より5世紀にかけて発展、大きな勢力を持つにいたったと考えられている。そのミトラスがツァラトゥストラとそっくりだと林道義は言っている。ミトラスはゾロアスター教の神である。ニーチェはゾロアスター教に強いあこがれを持っていたのだと思う。


(3) ニーチェ自身はこう見る

 1888年の秋、ニーチェ44歳の時に書かれた『この人を見よ』は、ニーチェの最後の著作である。この自叙伝的な作品を書き上げて以降、ニーチェは精神状態に変調を来たし、遂に、1900年、その人生の幕を閉じた。
 ニーチェ哲学の入門書・解説書にも良書は少なくないが、『この人を見よ』はニーチェ自身が書いた自伝であると同時に、ニーチェの思想の解説書となっている。この著作を読めば、ニーチェがどういったことを言いたかったのかを正確に知ることができる。幸い、日本には、西尾幹二の翻訳書「この人を見よ」(平成2年6月、新潮社)があるので、ここではその中から、私が注目する部分を紹介することとしたい。ニーチェは「この人を見よ」の中で次のように言っている。すなわち、

『 私はディオニュソスの弟子である。』

『 はっきり言っておくが、「神の世界」と呼ばれてきたものが虚構された世界なのである。』

『 私の著作の空気を吸うことを心得ている者は、それが高山の空気であり、強烈な空気であることを知っていよう。読者はこの空気に向く人間にあらかじめ創られていなければならない。さもないと、この空気に当てられて風邪をひく危険は決して小さな危険とはいえない。氷はま近だ。孤独は凄絶(せいぜつ)としている。・・・それなのに、万物は光の中に何と平静に横たわっていることだろう!何と自由に呼吸ができることであろう!何と多くのものが自分の足の下にあるように感じられることであろう・・・私がこれまで理解し、身を以て生きてきた哲学とは、氷と高山の中を自ら進んで生きることであり・・・存在の中にある異様なものや怪しげなもののいっさいを、すなわち道徳によってかねて追放されていたもののいっさいを、捜し出すことであった。』

『 私の著作の中では私のツァラトゥストラが独自の位置を占めている。私はこの一作を以て、人類に対し、これまで人類に与えられた中での最大の贈り物を捧げたことになるであろう。』

『 人はすべからくツァラトゥストラの口から漏れ出る調子、長閑(のどか)な凪(なぎ)日和(びより)の調子に、正しく耳を傾けなければならない。彼の叡智が示す意味を乱暴に取り違えることがないように。嵐を引き起こすのは、もっとも静寂な言葉だ。鳩の脚で歩んでくる思想が、世界を左右する。』

『 宗教などは寓衆の所管事項である。宗教的な人間と接触した後では、私は必ず手を洗
うことにしている。』

『 あらゆる価値の価値転換、この言葉こそが私の内部ですでに血肉となり、天分とさえなっている。』

『 否定を行うことと肯定を口にすることとを分離し得ない私のディオニュソス的本性に、私は従うのである。』

『 ツァラトゥストラはまず善と悪との戦いを、事物運行の本来の歯車と見たのであった。』

『 善人の生存条件は嘘なのである。・・・別の表現でいうなら、現実というものが究極的にはどういう性質のものであるかということが、善人にはどんな代価を支払ってもどうしても見えてこない。』

『 「善意」とは本能の欺瞞が原因で発生するものなのであるから、そもそもしめるべき場所を一つでも「善意」に与えてやるだけでも、よほどの度量にひろさがなくてはならないでだろう。』

『 善人は決して真理を語らない。偽りの岸辺と偽りの安全場所を君たちに教えたのは、善人たちであった。君たちは善人たちの嘘の中で生まれ、その中に匿(かくま)われてきた。いっさいは善人たちによって、底の底まで偽られ、ねじ曲げられている。』

『 ツァラトゥストラの好む人間は、現実をあるがままに構想するのだ。この種の人間は現実に堪えられるだけ十分に強い存在である。この種の人間は現実から冷ややかに阻害されたりはしない。現実から夢心地に消え失せたりもしない。この種の人間は現実そのものだといっていい。じつは、この種の人間は現実における恐怖すべきものと疑わしきものの何もかも、自分自身の内部に抱えている。これでこそはじめて人間は偉大さを持つことが可能になるのである。』

『 何人もまだ、キリスト教の道徳を自分以下のものと感じた者はいない。そう感じるためには一つの高さが、一つの遠望が、これまでついぞなかったある未曾有の心理学的深さと深遠性とが必要なのだった。キリスト教的道徳は従来すべての思想家にとって魔女キルケであった。思想家たちはみなこの魔女に仕えたのだ。私以前にいったい誰が、この種の理想の・・・世界誹謗(ひぼう)の!・・・毒気を湧き上がらせている洞穴(ほらあな)の中へ降りていったのであろうか?』

『 これまで教えられてきた唯一の道徳、自我滅却の道徳は、隠そうとしても終末への意志を隠しきれないのだ。その下心の底の底において、生を否定している。』

『 「彼岸」とか「真の世界」とかいう概念は、現に存在しているこの唯一の世界を無価値であるとして・・・もはやわれわれのこの地上の現実のためにはいかなる目標も、いかなる理性も、いかなる使命も今後ずっと残さないままにしてしまうために、発明されたのであある!「霊魂」や「精神」といった概念、さらにその上最後に「不死不滅の魂」といった概念は、身体を侮辱し、身体を病気にするために発明されたのである。』・・・と。

 ニーチェのツァラトゥストラや自分自身に対する認識は以上のとおりであるが、以上の中で語っている洞窟(ほらあな)の話は、まことに重要な指摘であろうかと思われる。というのは、洞窟(ほらあな)は穴(あな)であるが、拙著「書評<日本の文脈>」で論じた「穴の論理」で述べたように、穴は「認識の穴」のメタファー(暗喩)である。この世には、論理的な思考ではきっちり認識でないもの、神はその典型であるが、そういう摩訶不思議な現象があって、そのことを私は人間の認識には穴が開いていると言っている。それが私の呼ぶ「認識の穴」である。

 魔女キルケは孤島アイアエアに住むたぐいまれな美貌の魔女。ギリシャ神話の中では最高の魔女。毒薬を作るのが得意でそれでもって男たちを豚などの動物に変え、飼いならし
ていた。オデュッセウスだけは魔術が効かず、遂に、彼の愛人となって彼を助けて数々の助言をなした。

 地元の人々は孤島アイアエアの岬にある洞窟の1つを「キルケーの洞窟」と呼んでいる。魔女キルケがそこで毒薬を作っていたらしい。 毒気を湧き上がらせている洞穴(ほらあな)とは、魔女キルケが毒薬を作っていたと考えられている洞窟のことであるが、それはとりもなおさず「認識の穴」のメタファーになっているのだと思う。そこは、毒気に満ちているのかそれとも霊気に満ちているのか? 
 その穴は「認識の穴」であるから、毒気か霊気かの判断はできない筈である。それを毒気と認識するのは妄想かもしれない。かといって、霊気がある訳でもない。毒気はあるといえばあるし、ないといえばない。霊気もあるといえばあるし、ないといえばない。それが絶対的認識というものであって、相対的認識しかできない人には、毒気に見えたり霊気に見えたりする。それが間違っているのである。毒気が湧き出るかもしれないと思うと、洞窟(洞穴)には入っていけない。毒気も良し、霊気も良しという勇気がないと怪しげな洞窟(ほらあな)には入っていけないのである。
 ニーチェは、そのような洞窟に平気で入っていっている。ということは、ニーチェは、上記洞窟(ほらあな)の話では、自分は絶対的な認識をしているのだということを暗に言っているのだと思う。実は、このことはニーチェをどう見るかの重要問題であって、ニーチェは必ずしも西田幾多郎やハイデッガーのいう絶対的無の境地まではまだ達してはいなかったようである。それがニーチェというかそれまでの西洋における形而上学的認識の限界だと言えよう。その点についてはまことに重要な問題であるので稿を改めて詳しく述べたいと思う。


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