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2012年10月12日 (金)

私の電子書籍「女性礼賛」第4章

第4章 結婚とは「神と人とのインターフェースである」

 私は、「祈りの科学」シリーズで、その序章で述べたように、「 祈りの科学」シリーズ(1)の知見にもとづいて、 私の哲学なり思想の集大成として、今までにないまったく新しい価値観を論じたものであるが、2011年10月に私のもっとも尊敬する哲学者・中沢新一によって「野生の科学研究所」が誕生したので、「野生の思考」の重要性を意識して書いた。したがって、「祈りの科学」シリーズ(1)以下ものを貫くキーワードは「祈り」と「野生の思考」である。
 また、「祈りの科学」シリーズ(2)「 今西錦司のリーダー論と松尾稔の技術論 」の第3章で述べたとおり、今西錦司のプロトアイデンティティ(原帰属性)というのがある。

 プロトアイデンティティ(原帰属性)という言葉は今西錦司が作った造語であるので,一般的でないかもしれないが,これは極めて大事な概念であるので,皆さんは是非覚えていて欲しい。 プロトアイデンティティ(原帰属性)である。
  私たちの脳は,三層構造になっている。 「祈りの科学」シリーズ(1)の第11章で述べたように,私は,虫類型脳と原始ほ乳類型脳とをひっくるめて「活力の脳」と呼び、新ほ乳類型脳を「知恵の脳」と呼ぶことにしている。 プロトアイデンティティ(原帰属性)は、「活力の脳」に関係がある。私たち人間も含めてすべての動物が持っている大事な本能である。すべての動物が生きるためのもっとも基本になる本能である。
 この プロトアイデンティティ(原帰属性) という本能のおかげで、私たち動物は、仲間を仲間として認識できる。自分たちとは異なる種を自分たちの仲間とは認めないのだ。神は自分たちとは異なる種との交配を禁じているようだ。そうでないと、世の中の秩序はムチャムチャになり,種の保存なんてできませんからね。
 また、私たち動物は、自分たちの棲息する「場所」を自分たちの生活の生息空間として認識できるようだ。今西錦司のすみ分け論を前提とした場合、仲間を仲間として認識できると同時に、自分たちの生息空間をそのように認識し、決して他の生息空間を荒らさないようにしなければならないなど自分 たちの生息空間を自分たちの生息空間として認識できなければならない。

 イギリスとアメリカを股にかけて活躍する新進気鋭の哲学者・マーク・ローランズという人がいる。この人は、変わった人で,オオカミを赤ちゃんの時から育て、死ぬまで一緒に生活をした人である。哲学者であるから,オオカミの生態を観察しながら思索を重ねた人で,オオカミから「尊厳」というものを学び、人間の本質を見抜いた人である。オオカミは何も考えることをしないで「瞬間を生きる動物」であるという。逆に、人間もそうだが、猿は知恵があるので仲間を騙すことがある。私流に解釈すると、「活力の脳」のお陰で、すべての動物がそうであるように、人間も 生きるための基本的な本能、プロトアイデンティティ(原帰属性)のお陰で無事に生きているのである。マーク・ローランズの「尊厳」の哲学については、私の論考「権威と服従の問題」がある。

是非、http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/kenhuku.html を参照されたい。

 私たち人間の生きる目的は何か? 私は,「人間は生きるために生きている」・・のだと思う。中村雄二郎はリズム論から、デカルトの「我思う,故に我あり」という西洋人特有の哲学を否定しているが、私も、中村雄二郎と同じ考えの他、マーク・ローランズの考えも加えて、「人間は生きるために生きている」のだと考えている次第である。
 デカルトの哲学「我思う、故に我あり」はもう古い。中村雄二郎のリズム論が新しい。しかし、「祈りの科学」シリーズ(4)の「<祈りの国>にっぽん」で述べたとおり、「我語る故に我あり」というのは中村雄二郎のリズム論だが、私のすすめる「リズム人類学」では「我祈る、故に我あり」ということになろうか。私の考えの方が良いと思う。

 「祈りの科学」シリーズ(1)の第13章では、「外なる神」と「内なる神」の科学的な説明をした。「天は自ら助くる者を助く」のである。私たちは「内なる神」に働きかけ、「外なる神」と響きあわなければならないのである。人間というものは「内なる神」の存在する誠に不思議な動物だが、その秘密は「知恵の能」にある。
 そしてその不思議な「知恵の能」をつくったのは、実は、「外なる神」である。「内なる神」があって「外なる神」があるのではない。もともと「外なる神」がおわしますのである。「外なる神」のつくったその不思議な「知恵の能」は、私たち人間はまだ一割ぐらいしか使っていないらしい。ほとんどのものがこれからの発達を待っているという。
 「祈り」こそ大いに実践すべきである。私はこれからの時代は、「祈り」の時代であると思う。「祈り」によって、「内なる神」が振動して「外なる神」と共振する。再度申し上げる。 私たちは「内なる神」に働きかけ、「外なる神」と響きあわなければならないのである。それが人間らしく生きるということだ。

 さて、私は「祈りの科学」シリーズ(4)「<祈りの国>にっぽん」の第7章で「結婚」とは「神と人とのインターフェースである」ということを書いた。是非それを読んでいただきたいが、ここでは、何故結婚が「神と人とのインターフェース」なのかをもう少し深く考えてみたい。
 私はこの第3章で、母親の腹の中で「系統発生」という実に摩訶不思議な現象が起るのは、「内なる波動」と「外なる波動」との共振によると申し上げた。これは、「内なる神」と「外なる神」との響きあいによると言い換えても良い。おおかたの人は子供は天からの授かりものと考えているかと思うが、それを科学的に説明するとすればそういうことになる。もちろん子供を作ることを前提にしない結婚もあるし、欲しくても子供に恵まれな人も少なくない。しかし、通常は、結婚によって子供ができ、命が子孫に繋がれていくのだし、女性はおばあちゃんになって人類発展に寄与していくのである。「人類発展おばあちゃん説」については後で述べる。「系統発生」という実に摩訶不思議な現象が起るのは女性の腹の中だが、そういう現象が始まるのは男性の精子が女性の卵子に受け入れらてからである。男性の働きかけがなければ、そういう「系統発生」という摩訶不思議な現象は起こりえないのである。男性と女性の恊働作業によってはじめて「内なる神」と「外なる神」の響き合いが起るのである。すなわち、結婚によって初めて「内なる神」と「外なる神」との響き合いが起る。まさに、結婚とは「神と人とのインターフェースである」。

 結婚とは「神と人とのインターフェースである」 ということをご理解いただけたであろうか。「内なる神」と「外なる神」との響きあいなどといっても判りにくかったのではないかと思う。若い人たちにもう少し判り易い説明ができないか。
 何故子供は生まれるの?このことを考えてほしい。このことは身近かに起っている最大の疑問といえよう。何せ自分も生まれてきたのですからね。何故、種をまいたら芽が生えてきて、トマトがなるの?何故クモはあんなに上手に巣を張るの?何故メダカはあんな風に群れるの?何故雁はあんな風な形をして飛ぶの?こういった疑問も考えてほしいと思うが、身近かに起っている最大の疑問は、「 何故子供は生まれるの?」という疑問である。みなさん、何故でしょうね。結論をいうと、「シェルドレイクの形態形成場」という考え方に立たない限り科学的に説明できない。「そんなの当たり前じゃないですか。精子と卵子が結合して子供が生まれるのですよ」というのでは説明になっていない。精子と卵子が結合したら何故子供が生まれるのかの説明にはなっていないからである。どうしても「シェルドレイクの形態形成場」という考え方に立たない限り科学的に説明できないのである。ところがこの「シェルドレイクの形態形成場」の説明がむつかしい。ではお手上げか。何とか若い人にわかってもらう言い方がないか。
 世の中には神秘なことが一杯ある。摩訶不思議なことが一杯ある。 自然のなせる技というか神のなせる業だと思われるようなことが一杯ある。 このことはお判りですね。そういう摩訶不思議なことの中で、「シェルドレイクの形態形成場」という考え方に立てば科学的に説明できるものも少なくない。そのひとつに子供の形態形成(子供の誕生)があるが、この世の中に重力の働く「重力場」があるように、いろんなものの形(形態)を決める(形成する)「形態形成場」というものがある。それに母親の腹の中にある波動と天空に存在する波動が共振を起こして、子供が生まれるのである。こういってもまだ判りにくいかと思うが、今のところこうとしか言いようがないのである。
 私は、身体の中にある波動を「内なる神」、天空に存在する波動を「外なる神」と呼んでいるのだが、「外なる神」の存在を信じてもらえるだろうか。外とか内とは別として、ともかく神の存在ということだ。しかし、神の存在なんて言われてもなかなか信じてもらえないのではないかと思う。人に言われなくてもその人の感性で、神は存在すると思っている人もいるし、そんなものは信じられるかと思っている人もいるだろう。前者は良いとして、後者に対してはどう説明すれば良いのか。私は宗教家ではないので、どのような方法で説明をすれば良いのか。そこが問題である。そこで私は思うのだが、古来、人々は神を感じてきたのか、それを説明して人々の感性を変えるしか方法がない。 今この本で言いたいのは「女性礼賛」ということだが、それは「おばあちゃん礼賛」ということでもある。おばあちゃんになるには子供ができることが大前提である。子供誕生の最大の摩訶不思議は「系統発生」である。そういう摩訶不思議なことに対して、古来、人々はどのように感じ、どのように生きてきたのか。その歴史的な事実を説明しながら、頭の固い人の感性を呼び覚ましたい。それができれば、結婚とは「神と人とのインターフェースである」 ということを感覚的にご理解いただけるかもしれない。そういうことを期待しながら、次章でこの章の補足として、女性の持つ不思議な力、ホトの不思議な力について古来人々はどのように感じてきたのか、その歴史的な事実を説明したいと思う。
 どういうメカニズムで母親の腹の中で「系統発生」という摩訶不思議なことが起っているのか、前章で行ったその科学的説明をご理解いただければまことにありがたいのだが、それはなかなかむつかしいことかもしれない。河合隼雄(昔話と日本人の心、p290)がいうように、感性がなく、言語的説明に頼ろうとする人にとって、「シェルドレイクの形態形成場」の考えにもとづく私の説明などはまったく不可解であり、無価値なものであろう。したがって、野生の感性を是非身に付けてほしい。自然現象を見つめ、驚き、そして祈るという野生の感性を身に付けてほしい。神話、民話、摩多羅神、猿田彦、道祖神、そして現在の神社などに残る縄文文化のかけらというか残像を体験を通じて心に感じてほしい。縄文遺跡に訪れて縄文人と響きあうのも良いだろう。野生の感性が身に付けば、 結婚とは「神と人とのインターフェースである」ということが自ずと理解できるようになる筈だ。

結婚が「神とのインターフェースである」。まあいろんなことがありますね。

私の電子書籍「女性礼賛」は、電子書籍ショップで購入していただけると誠にありがたいと存じます。
http://honto.jp/ebook/search.html?athid=1001816269

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