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2012年10月 6日 (土)

今西錦司のプロトアイデンティティ

第3章 今西錦司のプロトアイデンティティ(原帰属性)


 今西錦司のプロトアイデンティティ(原帰属性)というのがある。

 プロトアイデンティティ(原帰属性)という言葉は今西錦司が作った造語であるので,一般的でないかもしれないが,これは極めて大事な概念であるので,皆さんは是非覚えていて欲しい。 プロトアイデンティティ(原帰属性)である。
 私たちの脳は,三層構造になっている。 「祈りの科学」シリーズ(1)の第11章で述べたように,私は,虫類型脳と原始ほ乳類型脳とをひっくるめて「活力の脳」と呼び、新ほ乳類型脳を「知恵の脳」と呼ぶことにしている。
 プロトアイデンティティ(原帰属性)は、「活力の脳」に関係がある。私たち人間も含めてすべての動物が持っている大事な本能である。すべての動物が生きるためのもっとも基本になる本能である。

 この プロトアイデンティティ(原帰属性) という本能のおかげで,私たち動物は、仲間を仲間として認識できる。自分たちとは異なる種を自分たちの仲間とは認めないのだ。神は自分たちとは異なる種との交配を禁じているようだ。そうでないと、世の中の秩序はムチャムチャになり,種の保存なんてできませんからね。
 また、私たち動物は,自分たちの棲息す る「場所」を自分たちの生活の生息空間として認識できるようだ。今西錦司のすみ分け論を前提とした場合, 仲間を仲間として認識できると同時に,自分たちの生息空間をそのように認識し,決して他の生息空間を荒らさないようにしなければならないなど自分たちの生息空間を自分たちの生息空間として認識できなければならない。

 人間が生きるための基本的な本能、それがプロトアイデンティティ(原帰属性)である。

 「知恵の脳」によって人間は合理的な判断ができる。しかし,悪知恵というのもあることを忘れては行けない。世の中に悪い奴らはいっぱいいる。オレオレ詐欺というのも横行しているので年寄りは注意にこしたことはない。年寄りでなくとも口車に乗せられてえらい目に遭うことはよくあることだ。
(17)
 イギリスとアメリカを股にかけて活躍する新進気鋭の哲学者・マーク・ローランズという人がいる。この人は,変わった人で,オオカミを赤ちゃんの時から育て,死ぬまで一緒に生活をした人である。哲学者であるから,オオカミの生態を観察しながら思索を重ねた人で,オオカミから「尊厳」というものを学び,人間の本質を見抜いた人である。オオカミは何も考えることをしないで「瞬間を生きる動物」であるという。逆に,人間もそうだが,猿は知恵があるので仲間を騙すことがある。私流に解釈すると,「活力の脳」のお陰で,すべての動物がそうであるように、人間も 生きるための基本的な本能、プロトアイデンティティ(原帰属性)のお陰で無事に生きているのである。マーク・ローランズの「尊厳」の哲学については、私の論考「権威と服従の問題」がある。
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/kenhuku.html 

 
私たち人間の生きる目的は何か? 私は,「人間は生きるために生きている」・・のだと思う。中村雄二郎はリズム論から,デカルトの「我思う,故に我あり」という西洋人特有の哲学を否定しているが、私も,中村雄二郎と同じ考えの他,マーク・ローランズの考えも加えて,「人間は生きるために生きている」のだと考えている次第である。

 さて,問題はこれからだ。このことが「正義論」と関係してくるのだ。今,ハーバード大学のサンデル「白熱教室」が注目され,サンデルの「正義論」が世の関心を集めている。しかし、私は,サンデルの「正義論」は間違っていると考えている。サンデルは,ロールズの「正義論」をコミュニタリアン(地域主義者)の立場から批判しているが,それは正しい。私もコミュニタリアンである。その点は同じ立場だ。私に言わせれば,ロールズも間違っているし,サンデルも間違っている。正しい主張は多いけれど肝心のところで間違ってるをいう訳だ。今ここではサンデルのコミュニタリアンとしてロールズを批判するその論点は省略し,ロールズとサンデルの基本的論理展開にの間違いを指摘しておきたい。

 今西錦司の プロトアイデンティティ(原帰属性)というものの意味をよくよく考えていくと私のような考えにならざるを得ないのだ。

 ジョン・ロールズの「格差原理」は、社会に不平等があってもいいが、その大前提として、もっとも不遇な立場にある人の利益を最大にする社会システムがなければならない・・・というものだが、この原理は妥当なものだと思う。

(18)
 ロールズは、正義の根拠を、社会契約説に立脚しながら、合理的な人々が、彼が「原初状態」と名付けた状態におかれる時に契約(合意)するであろう内容に求めた。この原初状態とは、社会の人々が彼のいう「無知のベール」に覆われた状態・・・すなわち自分と他者の能力や地位に関する情報は全く持っていない状態である。このような状態で人々は、他者に対する嫉妬や優越感を持つことなく契約内容を合理的に選択するであろうと考えられ、おおむね同じ結論になると思われる。そして人々は、自分がもっとも不遇な立場になることを嫌うはずであり、その結果、もっとも不遇な立場にある人の利益を最大にする社会システムがなければならないという社会契約が成立するであろうという訳だ。すなわち、ジョン・ロールズの「格差原理」は、社会契約説に立脚し、「無知のベール」というものを想定するところに一大特徴があるが、これらに特に問題はないと思う。「格差原理」は素晴らしい。しかし、「格差原理」は「人間が合理的な動物」であろうとなかろうと導ける結論で、「格差原理」だけならそういう前提をおかなくても良い。
 人間は、今西錦司のプロトアイデンティティ(原帰属性)にしたがって生きている。仲間が大事なのである。自分だけが仲間はずれになることは,本能的に忌避するのだ。そういう本能がある以上,ロールズの「格差原理」は人間が何も合理的な動物でなくて導ける結論である。
 サンデルも、コミュニタリアンの立場をのぞいては,やはりロールズと同じ論理展開をしているので,サンデルもロールズと同じ間違いをしていることになる。

 ロールズの正義論,サンデルの正義論,そして私の正義論,それぞれどこ違うのか,この点については稿を改めて述べることにする。ここでは今西錦司のプロトアイデンティティ(原帰属性)が正義論まで関係する極めて重要な概念であることを説明するにとどめる。今西錦司の凄さを判ってもらえればそれで私は満足だ。
 「野生の思考」がなければ、霊感(インスピレーション)も湧かないし、直観を身につけることも難しいし、ましてや生命や地球、あるいは宇宙との一体感などというものは到底得られないのではないかと思う。そして私は「野生の思考」には必ず「祈り」があったと思う。今西錦司はまさに「野生の精神」を身に付けた巨人であるが、ロールズやサンデルは、「野生の思考」というものがほとんど判っていないのではないか。
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http://honto.jp/ebook/pd_25231955.html

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