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2012年10月10日 (水)

私の電子書籍「祈りの科学シリーズ(6)」第1章より

第1章 「地域通貨」の経済学的側面

 国際経済の第一人者・浜矩子が2010年のVoice九月号に,通貨不信の現状と行方について書いた。浜矩子が言うように、ギリシャ問題の発生で世界のユーロ離れが著しい上に,ドルもまた景気の二番底懸念が深まる中で大きく売り込まれている。そのあおりを受けて,円が 実力なき高騰に見舞われている。浜矩子は、二年前に金融大激震で始まった恐慌ドラマは,いよいよ通貨大波乱の幕を迎えるに至ったと言っているのだ。彼女は通貨大波乱の現状を歴史的観点から的(まと)を得た分析をしているのだが,その行方については,21世紀的解答を考えねばならぬと言っている。
 通貨大波乱の21世紀的解答とは何か???浜矩子は,どうしても「地域通貨」に一つの解答を見いだしたくなると言っている。驚きだ!!!ここに「地域通貨」が出てくなんて!!!浜矩子は、国家の枠組みが力を失う時代であれば,従来は国家のなかに封じ込められていた地域共同体の存在感を強めておかしくないだろうと言っているのだ。

 浜矩子は,今起っている恐慌は,ソブリン恐慌といって国の財政破綻に起因する恐慌であり,今までの恐慌概念とはまったく状況の違う経済現象だと言う。アメリカの財政破綻も深刻で,もはやドルは世界の基軸通貨にはなり得ない。だとすれば,これから世界の基軸通貨になる通貨を持つ国はあるのか? 彼女は無いという。私も無いと思う。世界の基
軸通貨が存在しないでは,世界経済は混沌として,世界はまさにグローバルジャングルになってしまう。これから私たちは,そのグローバルジャングルの中をどう歩いていけば良いのか? 彼女の問いかけはそういうことであって,彼女は「地域通貨」に一つの可能性を見るようになったという次第である。

 さて,経済学者の大物・玉野井芳郎が、著書「地域主義の思想」(昭和54年12月、農山漁村文化協会)に掲載された中村尚司との対談の中で、地域通貨について語っている。これは貴重な出来事であったと思うので、やや古いものではあるがその部分をここに紹介しておきたい。

玉野井:ところで、地域と地域との関係、あるいは地域と外部世界との関係のあり方というものが、開かれた地域主義にとってはたいへん重要な問題ですね。
中村:確かに、日常的な範囲内だけの付き合いとか生活だけに、人間は満足できるものではない。一度は外の世界に飛び出したい。(中略)そこで地域と外部世界との関係としては、商品や財を地域を越えて動かす、とくに遠隔地間で動かすということはなるべく抑える。そのかわり人間が地域を越えて動く、それも労働力として動くのではなく、文化の担い手として動けるシステムを考えていく必要があるのではないか。
 どの一つとして、さきほどの地域内通貨と域外通貨を分けることも大切だと思います。域内通貨をどの範囲で設けるかは一概に言えないけれど、なるべく通貨の流通範囲を狭くして、しかもなるべく交換手段としてのみ使われるようにする。今日のサラリーマン金融のように、まったく知らない人のところへ、つまりもっとも信用のないところに信用が展開されていくというのではなく、信用というのはやはり人格的なものに結びついて行なわれるべきだという意味からも、貨幣の流通範囲をできるだけ狭くしていくことが望ましいと思っているのです。
玉野井:一国の中に複数の通貨が流通するという形は、地域主義の考えから当然出てきますが、経済学者の中でもたとえば、ハイエクなどがすでに主張しているところですが,通貨の発行を中央が独占しないで、いくつかの地域に分散させる。そして、その交換割合は各地域にそれぞれ決定させるというやり方は、理論的にもすでに何人かの人々によって提唱されている訳です。
 また、通貨をなるべく交換手段として使う、つまり貨幣の資金化をコントロールするということは、上から包括的に市場の一般理論として考えた場合には不可能に近い。地域市
場と全国市場がフラットに結びついて一つの国民経済になっているような場合には、如何しても貨幣は利子を生む資本になってしまう。やはり、各地域の自立および地域内の経済循環が進展してくるにつれて、そういう問題の扱い方もはっきりしてくるのではないかと思います。(中略)
 通貨の地域内循環を拡大させていくということが、さきほどの通貨発行権の分散化と併せて重要な問題だと思いますね。
中村:(中略)欧州共同体ではいま、国境を越えて流通する新しい通貨をつくりだそうとしている。このことの意味は、日本ではよく理解されていないようなのです。ポンドとかマルクとは別個の新しい共通通貨をつくり出すことによって、国民貨幣の地位を弱めるという効果がかなりあると思うのです。同時に地域単位の通貨ができれば、さらにいいのではないかと考えている訳です。
玉野井:貨幣に二つのカテゴリーがあるということは、理論的にも明らかにされつつあります。ドイツの19世紀末の経済学者シュルツは、「貨幣の生成史」で、貨幣の発生の仕方に二種類あるということを書きました。それに刺激を受けてマックス・ウェーバーが、「内部貨幣」と「外部貨幣」という区別をそこから引き出したのです。
「内部貨幣」というのは共同体の内部で使われる貨幣、それに対して共同体の外から、共同体を壊す形でだんだん発展してきたのが外部貨幣で、通常われわれが貨幣として考えているものです。

 玉野井芳郎と中村尚司との対談は以上のとおりである。

 地域通貨については、参議院議員時代に随分勉強して、私のホームページ「劇場国家にっぽん」において、「愛の通貨」というテーマで一連のページを書いた。そのなかに参議院の財政金融委員会で地域通貨に触れた時の議事録も掲載してある。是非、目を通していただければありがたい。

 また,最近では,「地域通貨の哲学」と題して,私なりの考えを書いた。上で述べたのは経済学的に「地域通貨」をどう見るかということであるが,私は,中沢新一の贈与論を基礎として,哲学的立場から一連のページをブログに書いたのである。未熟なものではあるが,地域通貨の問題は極めて重要な問題だと考えるので、引き続き根気よく世間に訴えていくために、次章にその要点を記述しておきたい。

私の電子書籍「祈りの科学シリーズ(6)」は、電子書籍ショップで購入していただけると誠にありがたいのですが・・・。
http://honto.jp/ebook/pd-series_B-MBJ-27435-9-124989X.html

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