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2012年10月 9日 (火)

私の電子書籍「祈りの科学シリーズ(3)」より

第2章 御霊信仰と陰陽道

 さきに、「いかみの怨霊」と「早良親王の怨霊」と「淳仁天皇の怨霊」を天皇にまつわる怨霊の代表例として紹介したが,その他にも平安の頃に非業の死を遂げた皇族は多い。人々は天変地異の勃発や疫病の流行などを怨霊のたたりによるものと考え,それら怨霊を祀り(まつり)だした。御霊会(ごりょうえ)という神事の発生である。
 資料に初めて見えるのは,863年に平安京の神泉苑で執行されたものである。
 神泉苑は私の卒業した朱雀高校の近くあって,私などはよく出かけたものだ。神泉苑は,平安時代、私の朱雀高校のあるところも含め,朱雀門近くまで広大は土地を有し,貴族が船遊びをする庭園でもあった。徳川の世になって二条城がつくられ、その境内は今のように小さくなった。また、神泉苑はその名の通り,きれいな湧き水が大量に湧いていたが,最近は地下水が下がって湧水量は激減している。まことに残念なことだ。
 さて、そのとき御霊神とされたのは崇道天皇(早良親王),伊予親王(桓武天皇皇子),藤原夫人(伊予親王の母),橘逸勢(たちばなのはやなり)文室宮田麻呂(ふんやのみやたまろ)らであったが,やがてこれに藤原広嗣(ひろつぐ)が加えられるなどして「六所御霊」と称された。さらにのちには吉備真備(きびのまきび),火雷神(火雷天神)が加わって〈八所御霊〉となり,京都の上御霊・下御霊という神社に祭神としてまつられて今日に至っている。この京都の上御霊神社と下御霊神社は、全国各地に散在する御霊神社の中でも特に名高く,京都御所の産土神(うぶすながみ)として重要視されている。

 なお、かの有名な京都の祇園祭もその本質はあくまでも御霊信仰にあり,本来の名称は梢園御霊会(ぎおんごりょうえ)であって,八坂神社の社伝では869年に天下に悪疫が流行したので人々は祭神の牛頭天王(ごずてんのう)の祟りとみてこれを恐れ,同年、全国の国数に応じた66本の鉾を立てて祭りを行い,神輿(みこし)を神泉苑に入れて御霊会を営んだのが起りであるという。

 さて、かの有名な安倍晴明は,平安時代の偉大な陰陽師である。陰陽道そのものは奈良時代に確立された宮中の専門組織であるが,庶民相手の民間陰陽道がなかった訳ではない。否,むしろ民間陰陽道は民衆を巻き込んで大きなブームを作っていったのである。民間陰陽師が全国を回りながら,方角や暦の吉凶,占い,加持祈祷をして人々のハートをキャッチしていったらしい。平安時代の妙見信仰や室町時代の七福神信仰や江戸時代の庚申信仰などはその流れであるという。

 こっくりさん、方位や家相判断、九星占い、姓名判断などもその系譜らしいし、また大本教や金光教などの新興宗教も民間陰陽道の流れを汲むものと言われている。
 逆に,宮廷陰陽道は、空海によって密教が誕生すると、その勢いに押されて次第に衰退していったようである。
 密教の僧・道賢の力によって、菅原道真の怨霊をのりきった朝廷は、積極的に御霊会(ごりょうえ)を主催していく。祇園御霊会である。いうまでもなくそれが今の祇園祭に繋がっていく。今宮御霊会や船岡山御霊会などが誕生するたびに、密教はこれを抱き込み統合することに成功する。都では、怨霊は人々の不満を 糾合する神となった。怨霊が守護神に変身したのである。「ひっくり返し」が起っている。朝廷における暗殺や理不尽な配流もなくなった。そして祭りの誕生だ。実にいい。何という知恵か。すばらしい。



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