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2012年9月 3日 (月)

熱海とアースダイバー

熱海とアースダイバー

私は先に、 「アースダイバー」(中沢新一、2005年5月、講談社)にもとづいて「トポスとアースダイバー」という拙文を書いたが、その中で次のように申し上げた。すなわち、
『中沢新一が「古代遺跡群が泥の堆積のようにうずくまっている。それと同じように、そこに暮らしている人びとの心も、さまざまは時間を同時に生きている」と指摘しているこの部分も重要である。私たちは、まずは古代人がどのような感覚を持って生活していたのか、その「生きざま」を知らなければならない。私は先に、「風土」について述べたが、その土地の「自然のおもむき」と「歴史のおもむき」と「人びとの生きざま」を知らなければならない。「風土」は「トポス」である。そういう「トポス」というものを明らかにしながら、「野生の科学」の基礎資料とすると同時に、私の提唱する「日本型ジオパーク」において人びとの啓蒙を図らなければならない。「風土」と「トポス」と「野生の心」とは繋がっているのである。そういう心的トポロジーの啓蒙を図るのである。
そして、中沢新一は著書「アースダイバー」(2005年5月、講談社)で、「大地の歌」が聞こえてくると言っている。これを私流に言えば「風土」すなわち「トポス」との「響き合い」である。古代人の生きざまとの「響き合い」を是非体験していきたいものだ。』・・・と。

私はその土地の「風土」、すなわちその土地の「自然のおもむき」と「歴史のおもむき」と「人びとの生きざま」をアースダイビングするというやり方、このやり方は中沢新一のそれとはまったく異なるやり方ではあるが、私流のやり方で、価値ある「ちっぽけな泥」を掴み上げてみたいと思う。 ここでいう価値ある「ちっぽけな泥」とは、その地域の人々が今後地域の「風土」に誇りを持ってイキイキと生きていくための基礎的資料である。それをもとに今後の地域づくりが行われれば、地域の人々は、古代人と「響き合い」ながら、地域に誇りを持ってイキイキと生きていくことができるようになるだろう。
「自然のおもむき」「歴史のおもむき」「人びとの生きざま」・・・要するに「響き合うもの」とは、地域のブランド商品といっても良い。自然的資源や歴史的資源に限らず、人びとの生きざまにもとづくその地域の自慢できるものであれば何でも良い。要するにソフトとハードに限らず、地域のブランド商品を作り出し、それを威信財として、他の地域とカタラクシー的交換を行えば良い。模造品を回帰的威信財として使うのではなく、お互

い異なるブランド商品を、等価交換を前提とする市場経済ではなく、誇り信頼を前提とする贈与経済によって、お互いに交換すれば良い。威信財の広域的な広がりによって、誇りと信頼が広域的に広がっていくだろう。浜矩子が言うように、21世紀の基軸通貨というものはそういうものであって、お互いの誇りと信頼によって流通するものであり、もはや基軸通貨と呼ぶのは適当ではない。しかし、世界に流通する基本的な通貨というものは、そういう威信財としての地域通貨であろう。

では、古代における回帰的威信財について、語ろう。中沢新一は、熱海についてアースダイビングをおこなっているので、ここでは伊豆半島における回帰的威信財としての黒曜石について話をしたい。それでは熱海をサンプルとして私流のアースダイビングを行ってみよう。しかし、その前に、中沢新一がその著「野生の科学」(講談社)の第15章「熱海のアースダイバー」で言っていることを紹介したい。彼は次のように言っている。すなわち、

『「熱海」の地名は、古代の海人族「あずみ=安曇」から来ている。海人と呼ばれたこの人びとのおおもとの出身を辿ると、古代のインドネシアあたりにあって水没したスンダーランドという巨大大陸に行き着く。おそらく水没をきっかけとして太平洋に乗り出し、島伝いに北上を続けたこの人びとの先祖は、一万年以上も前にすでに日本列島にたどり着いたと言われている。潜水や海の漁に巧みなこの人たちは、朝鮮半島の南部と北九州を共通の故郷として、たくましく海に生きていたのだった。(中略)安曇の人びとが今の熱海に上陸した頃、そこにはすでに縄文時代以来そこを生活の場にしてきた、先住の人たちがいた。』

『熱海の隣の来宮(きのみや)駅に降り立つと、そこがまさに古代に安曇の人びとが上陸した地点であることを感じる。(中略)海辺には、早くも安曇の人びとの到着を知った先住の人びとが集まり始めていた。彼らは何千年も前からこの島に住みついてきた人びとで、穏やかな性格のとても賢い人びとで、安曇の人びとは列島のどこへ上陸しても、先住民の人びととは良い関係を保つことができた。(中略)海岸ベリで贈り物を交換し合う「出会いの儀式」が、厳かに執り行われた。安曇の首長は一束の極上の勾玉(まがたま)の首飾りが、立派な体格をした先住民の首長に手渡されると、みんなの表情がいっせいに喜びに輝いた。お返しに安曇の人びとは木の実や魚介などたくさんの食料をもらったが、長い航海を続けてきた人びとには、これがいちばんの贈り物であった。先住民の人びとはそれをよく知っていたのである。』

『こうして、熱海の基礎は、安曇の人びとの定住とともに築かれた。楠の巨木が林立するあの渓谷が、新しい村の精神的な中心となった。伊豆半島に散って行った安曇の人びとは、自分たちの精神的な中心となる場所に、「来宮(きのみや)」という名前をつける癖があった。そのために、この楠の巨木を中心とする聖域も、この名前で呼ばれることに

なった。(中略)熱海という土地を生み出した世界観は、じつに深くて広大だが、それはまず来宮神社を中心とするいまの熱海の南西部の海岸で、かたちづくられたのだった。』

『ところが、熱海にはもうひとつの中心があった。それはいまの伊豆山神社のある北東の山裾、「走り湯」と呼ばれている場所である。(中略)長く地中を走り続けた竜の身体が、走り湯の海岸段丘に到着するや、そこで温泉に姿を変えて、海に向かって吠えたてているのだ。来宮神社に依る安曇の人びとも、この地帯には容易には近づかなかった。そこに最初に足を踏み入れたのは、「山伏」と呼ばれた山岳宗教の行者たちである。熱海の場合、その山岳宗教者は「秦」という渡来系の氏族の人びとだった。時代が古代から中世に移り変わろうとしていた頃、彼らは竜の口から少し山の中に入ったあたりの小さな平地を開いて、そこに自分たちの修行の場所を築いた。日金山修験の道場である。中世になると、そこは伊豆山神社として、政権を執った武士たちに深く崇敬されるようになる。(中略)古代から中世にかけての熱海は、来宮神社と走り湯というふたつの聖域を極に持つ、尋常ならざる海岸世界をかたちづくっていた。』

『その熱海が、21世紀にふたたびよみがえろうとしている兆しを、いろいろなところで私は感じとる。惑星的な意識を発達させた現代の人間には、熱海の地下に眠っている「野生の記憶」が、なによりも魅力的に感じられるのだ。来宮神社の楠の大木はまだ生き続けている。走り湯はいまもぼこぼこと音を立てて、竜の雄叫びを海に向かって放っている。熱海を歩き、温泉につかるとき、身も心も裸になった私たちは、惑星地球の深部から送られてくる信号と波動に、素肌で触れているのである。どんなスポーツによっても得られない、自然力との直接のコミュニケーションだ。日本の温泉文化の21世紀は、おそらくここからはじまるだろう。』・・・と。

では、これから以下において、私流のアースダイビングを熱海で行って見ることにしよう。私の考えの特徴は、今の考古学で考えられているものとは違うけれど、黒曜石は回帰的威信財として機能していたということと、それを加工していた人たちはしかるべき工房を持って定住していたということにある。前段についてはおいおいと話を進めるとして、とりあえずここでは後段について私の異説を説明しておきたい。今の考古学では、旧石器時代の人びとは「遊動」していたので、人びとは一カ所に定住するのは縄文時代に入ってからだと考えられている。私はそこに一石を投じるものだ。一般的には「遊動」で良いと思うが、特殊な場合、それは定住してもサケなどの動物タンパクが容易に得られる場合とか、回帰的威信財として黒曜石が加工されている場合のことであるが、そういう特殊な場合に人びとは一カ所に定住していた。そういう事実は、北海道の白滝に黒曜石加工の工房があったことが判っているし、愛鷹山山麓では以前から旧石器時代の黒曜石加工工房が見つかっていたが、最近、第2東名で行われた旧石器時代の遺跡調査でも黒曜石加工の工房が見つかっている。私は、黒曜石を回帰的威信財と考え、そういう貴重なものを加工する

ところでは、一応定住といえる状態で人びとは生活していたのではないか、と考えている。



これに続く文章は、次をクリックしてください。

http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/atamiaas.pdf

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