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2012年8月11日 (土)

トリスタン・ツァラ

トリスタン・ツァラ

中沢新一は、トリスタン・ツァラの「野生の思考」に着目し、著書「野生の科学」(講談社)の第3章「頭上のコン」でトリスタン・ツァラについて詳しく書いている。その要点は次のとおりである。すなわち、

『ツァラの詩的思考の秘密をもっと深いところで見抜いていた同時代の人は、画家のマックス・エルンストであったと思います。二人の間には思考法におけるいちじるしい共通性があります。ツァラはエルンストの絵画技法の本質を「イメージの裏返し技法」と名付けたことがありますが、この言葉はそっくりツァラの詩的言語のものでもありす。先ほど取り上げた詩を見てもわかりますように、ツァラはたえまなく平面をひっくり返したり、裏側に入り込んだりしながら、奇妙にねじれたイメージ群を生み出していますが、そこではこのこの「裏返し技法」が活躍しています。
それについてツァラは、こんなことを書いています。私たちの身体は、皮膚という表面の下に内蔵をしまい込んで、外からは見えないようにしています。それと同じように、イメージにも皮膚と内蔵があると考えることができると思います。するとイメージを裏返しにするとは、内蔵的記憶につながるものを、皮膚の表面に引きずり出してくることを意味します。そのとたん、こんどは皮膚が内蔵のように内部にひっくり返って見えなくなります。』

『トリスタン・ツァラの芸術をめぐる今日の話を、私は、市場社会を動かしている心的プロセスと非市場社会で重要性を与えられていた心的プロセスの違いのことから、話を始めました。市場社会は、人間の生のすべての領域に、市場の原理が侵入してきて、その原理に従って現実が作り替えられています。そこでは、人間はいつも何かの目的を持って行為し、その目的が実現できるように因果の連鎖で動いている現実に従って、論理的なものの考え方だけを採用するようになります。市場の原理にとって、たがいに矛盾し合っているAと非Aは、けっして両立することはできませんし、過去ー現在ー未来の時間的軸にそって、あらゆるものごとには因果の論理にしたがって、生起していきます。この原理が支配している世界では、ひとつの表面の表から裏へは出て行くことができません。そんなことをしたら、矛盾律が壊れてしまうからです。この世界は、したがって「表と裏の違いのある表面」の上で、生起している現実でできている、ということになるでしょう。
ところが、非市場社会で大きな価値付けを与えられている心的プロセスは、あきらかにそれとは違う成り立ちをしています。そういう世界で重要視されていた神話や宗教的な儀礼や夢やさまざまな遊戯や戦争や贈与の祭りなどにおいて、活発な働きをみせていた心的プロセスを観察してみますと、そこでは、現実社会を動かしている目的論や因果の法則によっては、思考や感情が動いていないところが判ります。現実の世界に設定されている何かの目的に向かって心は動いているのではなく、スポンテニアスに自由な運動をしているように見えます。現実世界では矛盾していて、ぜったいに共存できないものまでも、そこでは共存し合っています。ものごとは時間の秩序にしたがって並べられるかわりに、夢の中の出来事のように、過去と現在と未来は、ひとつの空間の中で行き来しあっています。この世界は、したがって「表と裏の見分けがつかない表面」の上で生起している、と見ることができます。
ダダイズムの「イメージの裏返し技法」というのは、この考えを使ってみると、「表と裏の違いのある表面」を突き破って、「表と裏の見分けのつかない表面」へたえまなく抜け出していく、心的トポロジーの運動としてとらえることができるのではないでしょうか。』

『そこでツァラとエルンストは、無意識が動いている心的トポロジーの厳密な観察をつうじて、この反転を「イメージの裏返し技法」として実現しようと試みました。』

『言語修得の以前、あるいはもっと誕生の以前に、人は子宮内にいる時分に体験した内蔵的な感覚を記憶しているものです。胎児の状態では、子宮の感覚は身体の内側と外側の両方に広がっています。胎児の身体を取り巻いて、生暖かい水があり、その外側には子宮の壁が接触します。子宮の感覚は、その頃胎児の身体の外側に広がっておりました。この感覚は、誕生後の子どものうちにあっても、じつは消えることなく持続しているのです。そのために、言語をしゃべり始める以前の子どもにとって、身体の裏と表はひとつに繋がり合っていて、その全域で子宮的快感が感じられている、と見ることができます。』

『1933年の夏にヨーロッパで、(中略)シェシェア帽(おちんちん型帽子)が流行しました。(中略)その翌年、「割れ目型帽子」の流行が始まりました。(中略)おしゃれな女性が頭上に戴いているのは、自分の体内にある秘密の洞窟が、子宮から外に向かって開かれている通路を通って、両足の間に顔をあらわしたところの器官、すなわちヴァギナにほかなりません。女性はこの帽子をかぶることで、自分の裏側の空間で活動している「内蔵的なもの」を、外側に引き出していると観察できます。(中略)
誰がそんな帽子を最初にデザインしたかは知りませんが、そのデザイナーの心はそのとき「野生の思考」に突き動かされていました。そこで「イメージの裏返しの技法」の達人であるツァラは、「割れ目帽子」の流行に、現代世界のまっただ中で蘇った神話的思考を見出して、おおいに喜んだのです。』

『トリスタン・ツァラが身をもって生きた「野生の思考」は、今日でも私たちに鮮烈な呼び声を届け続けています。』・・・と。

ツァラの詩的思考の秘密をもっと深いところで見抜いていたと中沢新一が絶賛するマックス・エルンストの絵画を紹介しながら、心的トポロジー現象に関して少々補足的な説明をしてみたいと思うが、その前に、「ひっくり返し」の思想を説明しておきたい。

中沢新一は、その著「野菜の科学」(講談社)の第3章「頭上のコン」の中で「裏返し技法」のことを述べている。「裏返し技法」とは、「表と裏の見分けのつかない表面」を「表と裏の違いのある表面」に「裏返す」ことである。「表と裏の見分けのつかない表面」とは非論理の世界に現れる現象のことであり、「表と裏の違いのある表面」とは論理の世界に現れる現象のことである。これは矛盾に満ちたように見えるけれど、実は、真実である。その真実を正しく理解するには、論理的な思考ではダメで、直観によるほかはない。
さあ、そこで、以上の認識をもとに、私流に判りやすく説明しよう。「裏返す」ことを「ひっくり返す」と言いかえる。
現実の世界は言語で思考する世界であり、それはトーラス構造(ドーナツのように真ん中に穴が空いている構造)になっていて、真実はその穴の中に存在していて私たち言語に飼いならされた人間には見えない。真実は、互いに矛盾するものの根源的なところにあるので、直観でしか見えないのである。直観とは、相対的な認識方法ではなく、両頭截断した絶対的な認識方法である。直観で把握した真実を現実の世界で表現するには、「 表と裏の見分けのつかない表面」を「表と裏の違いのある表面」に「ひっくり返す」ことが必要である。「穴」の中にある真実を現実の世界で構造化する、それを私は「ひっくり返し」と呼んでいるのである。
心には論理的に把握できる現象と直観でしか把握できないものがある。心には両面があるということだ。直観でしか把握できないものを、現実の世界に表現するには、「ひっくり返し」が必要である。そういう両面あるものの現象については、最新の位相幾何学(トポロジー)で取り扱うことができる。したがって、中沢新一は、遠い将来、心の奥で生じている現象を数学的に取り扱うことができるのではないかという期待を込めて、心に関わる科学を「心のトポロジー」と呼んでいるのである。

ヨーロッパ人の発達させてきた数学は、自然過程を超越した真理として自分を示すことを求めるあまり、矛盾を含まない整合的な体系の構築を目指してきました。その結果、岡潔の言い方では、「情緒を失う」はめになったのでした。岡潔はそこで、自然過程を自分の内部に組み込んで自らが「不思議な環」としてできているような文化をつくっていた日本人の能力を最大限に発揮することによって、「不思議な環」そのものであるような新しい数の概念を創造してみせたのでした。それがのちの「層」である。古典論理の限界を示すゲーデルの仕事の後、数学は古典論理の拡張をめざすような方向に転じて、直観論理のなかで働いている論理過程を、厳密なかたちで取り出す試みをはじめた。すると、そこに「不思議な環」が、ごく自然なかたちで出現したのである。(中略)「層」や「トポス」や「圏」として、このような論理の世界を描く探求が、いままさに現代数学の世界では進行中である。そういう数学は「ひっくり返し」の数学と呼ぶにふさわしい。


河合隼雄の「中空均衡構造」というのはそういう「ひっくり返し」の思想であるが、河合隼雄によれば日本はそういう国家構造にできているという。
この点については、ここでは紙枚の関係から省略するが、皆さんのお馴染みのところで、日本における「ひっくり返し」の典型的な例を挙げておきたい。

 「いかみの怨霊」と「早良親王の怨霊」と「淳仁天皇の怨霊」を天皇にまつわる怨霊のとしてつとに有名であるが、その他にも平安の頃に非業の死を遂げた皇族は多い。人々は天変地異の勃発や疫病の流行などを怨霊のたたりによるものと考え,それら怨霊を祀り(まつり)だした。御霊会(ごりょうえ)という神事の発生である。
 資料に初めて見えるのは,863年に平安京の神泉苑で執行されたものである。
 神泉苑は私の卒業した朱雀高校の近くあって,私などはよく出かけたものだ。神泉苑は,平安時代、私の朱雀高校のあるところも含め,朱雀門近くまで広大は土地を有し,貴族が船遊びをする庭園でもあった。徳川の世になって二条城がつくられ、その境内は今のように小さくなった。また、神泉苑はその名の通り,きれいな湧き水が大量に湧いていたが,最近は地下水が下がって湧水量は激減している。まことに残念なことだ。
 さて、そのとき御霊神とされたのは崇道天皇(早良親王),伊予親王(桓武天皇皇子),藤原夫人(伊予親王の母),橘逸勢(たちばなのはやなり)文室宮田麻呂(ふんやのみやたまろ)らであったが,やがてこれに藤原広嗣(ひろつぐ)が加えられるなどして「六所御霊」と称された。さらにのちには吉備真備(きびのまきび),火雷神(火雷天神)が加わって〈八所御霊〉となり,京都の上御霊・下御霊という神社に祭神としてまつられて今日に至っている。この京都の上御霊神社と下御霊神社は、全国各地に散在する御霊神社の中でも特に名高く,京都御所の産土神(うぶすながみ)として重要視されている。

 なお、かの有名な京都の祇園祭もその本質はあくまでも御霊信仰にあり,本来の名称は梢園御霊会(ぎおんごりょうえ)であって,八坂神社の社伝では869年に天下に悪疫が流行したので人々は祭神の牛頭天王(ごずてんのう)の祟りとみてこれを恐れ,同年、全国の国数に応じた66本の鉾を立てて祭りを行い,神輿(みこし)を神泉苑に入れて御霊会を営んだのが起りであるという。

 さて、かの有名な安倍晴明は,平安時代の偉大な陰陽師である。陰陽道そのものは奈良時代に確立された宮中の専門組織であるが,庶民相手の民間陰陽道がなかった訳ではない。否,むしろ民間陰陽道は民衆を巻き込んで大きなブームを作っていったのである。民間陰陽師が全国を回りながら,方角や暦の吉凶,占い,加持祈祷をして人々のハートをキャッチしていったらしい。平安時代の妙見信仰や室町時代の七福神信仰や江戸時代の庚申信仰などはその流れであるという。

 こっくりさん、方位や家相判断、九星占い、姓名判断などもその系譜らしいし、また大本教や金光教などの新興宗教も民間陰陽道の流れを汲むものと言われている。
 逆に,宮廷陰陽道は、空海によって密教が誕生すると、その勢いに押されて次第に衰退していったようである。
 密教の僧・道賢の力によって、菅原道真の怨霊をのりきった朝廷は、積極的に御霊会(ごりょうえ)を主催していく。祇園御霊会である。いうまでもなくそれが今の祇園祭に繋がっていく。今宮御霊会や船岡山御霊会などが誕生するたびに、密教はこれを抱き込み統合することに成功する。都では、怨霊は人々の不満を 糾合する神となった。怨霊が守護神に変身したのである。「ひっくり返し」が起っている。朝廷における暗殺や理不尽な配流もなくなった。そして祭りの誕生だ。実にいい。何という知恵か。「ひっくり返し」の思想はすばらしい。

では、ツァラの詩的思考の秘密をもっと深いところで見抜いていたと中沢新一が絶賛するマックス・エルンストの絵画を紹介しながら、心的トポロジー現象に関して少々補足的な説明をしてみたいと思う。

http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/100tou.pdf

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