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2012年8月19日 (日)

トポスとアースダイバー

トポスとアースダイバー

私は、今までいろんな場で「アースダイバー」のことを語ってきた。とりあえず、それを振り返っておきたい。

『(基本的認識として)
 今、中沢新一の「アースダイバー」というのが注目されはじめている。彼は言う。「  アメリカ先住民の「アースダイバー」神話が語るように、頭の中にあったプログラムを実行して世界を創造するのではなく、水中深くダイビングをしてつかんで きたちっぽけな泥を材料にして、からだをつかって世界は創造されなければならない。」』

『(川との関係において)
  私たちは、その地域の「歴史と伝統・文化」の奥深くダイビングをして泥臭い何かをつかんできて、それを材料にからだをつかって新しい 世界を創造していかなければならないのである。そのためには川とか水というものが大事である。地域は河川を中心に発展してきたので、地域の「歴史と伝統・ 文化」は河川と切っても切れない関係にある。河川は独特のトポスを成している。ただ単に自然だけでなく、文化的な意味でも河川の復権が望まれている。
 これからはコミュニケーションの時代である。いろいろな人びとが行き交いいろいろな情報が飛び交う のである。そういう時代に必要なのは、交流活動のリーダーであり情報の編集者である。その先駆性が求められるのである。人というものは「風土」の現れであ る。だから、ここでは、そういう山道省三さんや大野重男さんという人を紹介して、関東の川のトポス性に迫りたいと思う。進士五十八さんは、山道省三さんら との鼎談のなかで、「現代人はバーチャルな環境にとりこまれて、生の根源とは無縁になってしまっている。だから水を通して本当を体験したい。そう生きたい という運動になっていると思います。」とおっしゃっているが、山道省三さんと大野重男さんはひょっとしたら「川のアースダイバー」であるかもしれない。私 は、山道省三さんと大野重男さんの活動に、何か得体のしれない先駆性を感じるのである。』
『( 内山節(たかし)の説との関連で)
注: 下記において小文字は私岩井國臣の注書きである。その他の部分は,「日 本人はなぜキツネにだまされなくなったのか」(内山節,2007年11月,講談社)からの引用。
  1965年頃を境にして 、身体性や生命性に結びついて とらえられてきた歴史が衰弱した。そ の結果 、知性によって とらえられた歴史だけが肥大化し、 広大な歴史がみえない歴史になっていった。
 も つとも 、身体性や生命性と結びついた歴史は もともと知性からはみえない歴史だったといってもよい 。それは村人にとつては 、つかみ とられた歴史、感じられた歴史であり、納得され た歴史、諒解された歴史であった。
(注: 知性からは見えないが,そういう歴史があったのだから、今は,アースダイバーとなって,そのカケラを探し出し,少しでもそういう歴史に学ばねばならな い。)
  身体性 と結びついた歴史は 、身体と結びつい た力が受け継がれていくかぎり、感じられる歴史でありつづける。た とえば畑を耕やす技で もよい。その技を受け継いだとき、同じように畑を耕してき た人々の身体 とともにある歴史が感じられる 。それは ,ずっと人々はこうやって自然 とともに生きてきたのだ と感じられるよ うな歴史である。身体とともにある世界が 、たえず循環し継承されることによって諒解されていく歴史である。
  ところが生命性の歴史は、それ自体としては とらえよ うがない 。だからこの歴史は何かに仮託されなければみえるこ とはないのである。

  「神のかたち」は仮託された代表的な ものであろう。
(注: 「神のかたち」のほかに、キツネなど「おのずからある」そしてやや神秘的なものに仮託することも当然あり得る。)
村 人と ともにある 「神」は 、つきつめれば姿かたちがないばか りでな く教義もない。なぜなら神の本体は自然 と自然に還ったご先祖様であ り、その本質は「おのずから」だからである。「おのずから」のままにあ りつづけることが神なのである 。だから人々は神が展開する世界に生命が流れる世界をみた 。生命を仮託したのが神ではな く、「おのずから」の生命の 流れが神の展開なのである。だから人間も「おのずから」に還るこ とができれば神になれる。

  神と生命の世界には「おのずから」があるだけで何もない。ゆえにこの世界は何かに
仮 託しなければみるこ とができない。その結果生まれてきたのが「神のかたち」なのではないか と私は思っている。
  ときに神は山の神や水神、田の神などになって「かたち」をみせる。 とともにそれらの神々は「神の物語」 という「かたち」で伝えられる。さらに神を下ろし、祀る儀式である祭 とい う「かたち」つくるこ とによって神を体感する 。ときには山に入って修行をする という「かたち」に身を置 くことによって神をみいだす。こうして神はさまざまな ものに仮託され、そこに生命の世界を重ね合わせながら、人々は生命性の歴史を諒解してきたのではなかっ ただろうか。
 と ころで生命的世界を仮託したのは「神のかたち」だけではなかった。な ぜならもっと日常的な、いわば里の生命の世界もまた存在したからである。
  この里の生命の世界と神としての生命の世界とが重なり合うかたちで仮託されたものとしては、村の人々の通過儀礼や里の儀式、作法などがあったのだと思う。 それらは一面では神事というかたちをもち、他面では日々の生命の営みともにあった。

 そ して、最後に。日々の里(さと)の生命の世界のあり様を仮託していくもののして、人々はさまざまな物語を生みだしていた。こ の村が生まれたときの物語、我が家、我が 一族がこの地で暮らすようになった物語。さらには亡くなったおじいさんやおばあさんの物語。
 生命性の歴史は、何かに仮託されることによってつかみとられていたのである。
(注: 「神のかたち」のほかに、キツネなど「おのずからある」そしてやや神秘的なものに仮託することも当然あり得る。)
 そ して、この生命性の歴史が感じとられ、納得され、諒解されていた時代に、人々はキッネにだまされていたのではないかと私は考えている。だからそれはキッネ にだまされたという物語である。しかしそれは創作された話ではない。自然と人間の生命の歴史のなかでみいだされていたものが語られた。
 それは生命性の歴史を衰弱させた私たちには、もはやみえなくなった歴史である。』

『(正しい歴史観が重要との観点から)
 中沢新一の「アースダイバー」ではないけれど、私は最近、中沢新一の言葉をヒントに「景観10年、 風景100年、風土1000年、精霊万年」と言っているのだが、1万年前まで遡ってその土地の歴史を語らねばならない。地霊との響き合いが必要だ。中村雄 二郎流に言えば、地霊のリズムと共振しなければならない。私はそう思って石器文化の勉強をしつつある。石器時代にも人びとの生活があり、その生活環境ごと に石器文化があった。特に、日本では、その地域その地域で生態系が違い石器の原石が違っていて、さまざまな石器文化が生まれている。すばらしい石器文化の 花が開いていたようだ。その辺を勉強しようという訳だ。私の考えでは、国家構造や生態系の違いによって地域の生活環境はさまざまであるが、日本の場合は幸 いにも多様性の文化が発達した。そういう「多様性」というものに着目したとき、日本の場合、「違いを認める文化」を有しているという点が人類史上まれにみ る特徴ではないか。須藤隆司は、その著「石槍革命・八風山遺跡群」(2006年3月、新泉社)で次のようにいっている。すなわち、
 「 各地域には地域固有の石材環境があり、それに適した技術を開発した。革命的な技術が周辺部で生 じても、そのまま受け入れるのではなく、地域の資源を枯渇させない有効な技術に組み替えた。それを可能にしたのは、地域をこえる社会ネットワークとして、 資源が特定地域集団で消費されることなく、地域集団間で共同消費できるシステムを同時に開発したからである。旧石器社会の進化は、氷河期において激動した 寒暖の環境変化を生き抜く技術革命であった。石器時代本来の<革命>とは<定住革命・新石器革命>であり、その後、幾多の「革命」を経て現代社会がある が、自らが引き起こした地球温暖化・環境変動をいかに生き抜くのか。地球規模の遊動生活社会である現代社会は、地域資源の活用法と共同消費の原則を誤って いなのか。旧石器社会の本質的<革命>にそれを学ぶべきであろう。」・・・・と。
けだし、適切な問題提起だ。石器時代をも勉強すべきである。仮にそれが難しいとしても、少なくとも縄文文化を勉強した上で、日本の文化を語らねばならない。安 田善憲は言う。「メソポタミア文明、エジプト文明或いは黄河文明が発達した古代文明の時代は、日本では縄文時代に相当する。(中略)広い意味において人類 史における日本民族の歴史の独自性が、もっとも明白に示されているのが縄文時代ではないか。そして、その独自性の認識によって、未来の人類史における日本 の果たすべき役割もおのずと明らかになってくるのではなかろうか。」
 私が直感的にいう「芸術史観」からすれば、多分、「歴史と伝統・文化」というものは、縦軸に科学的 な力というか画一性をとり、横軸に魔術的というか宗教的というか芸術的な多様性をとり、その進化なり退化を観察するのが良い。現在、科学的な力というか合 理的な力というか国家的な画一性はものすごい勢いで進展し、わが国特有の魔術的というか宗教的というか芸術的な多様性に影響を与えようとしている。私は、 石器時代から縄文時代へ、縄文時代から歴史時代へ、そして中世から最近まで、わが国の多様性文化というものがずっと継続的に発展をつづけてきたのだと思 う。科学的な合理性や国家的な統一性もさることながら、今こそ、非科学的な、非合理的な、反国家的な、魔術的な、宗教的な、芸術的な力を奮い立たせなけれ ばならない。今こそ、そういう・・・「多様性に着目した歴史観」が必要なのだ。おおいに「違いを認める文化」を語り、おおいに「違いを認める文化」を語る ことのできる「場所」を磨かなければならない。「場所」の持つリズム性に着目しなければならない。地霊の声に耳を傾けるのだ。「幽聞地籟」・・・天籟、人 籟もさることながら、ひそかに地籟を聞かなければならない。』

以上、私が今までいろんな場で「アースダイバー」のことを語ってきたその要点であるが、以下において「アースダイバー」と「トポス」との関係を説明しておきたいと思う。しかし、その前に、「トポス」という概念を明らかにしておく必要がある。
今ここで、中沢新一の「野生の科学」との関連で、「トポス」に対する認識を明確にしておきたい。「野生の科学」はトポロジー(位相幾何学)を背景に、心的トポロジーを問題にし、新たな文明を創造していこうとするものである。トポロジーにおいて、「トポス」とは位相空間上の層のなす圏を一般化した概念である。すなわち、最新の数学では、まず層があって、その習合の圏がある。その圏を一般化した概念が「トポス」ということのようであるが、私たちにはさっぱり判らない。数学的にはとても理解困難な概念ではあるが、まあ仕方がないだろう。ただ、「トポス」ということは、数学で取り扱うことができるらしいということだけはしっかり頭の中に入れておいてほしい。それを前提に、以下において、「トポス」の哲学的概念について整理しておきたい。

日本には「風土」という言葉がある。和辻哲郎に「風土」という哲学書があるが、私たち日本人にもこれを理解することは容易ではないが、とりわけ外国人にはさっぱり判らないらしい。オギュスタン・ベルクというフランスの地理学者が「風土」という概念を知りたくて、十数年日本に住みついて、必死になって研究を重ねた人がいる。オギュスタン・ベルクによれば、「風土」とは「自然のおもむき」であり「歴史のおもむき」である。私は、これに付け加え、「風土」とは「人びとの生きざまが場所に染(し)み付いたもの」と言っておこう。場所には、そこに立って静かに心の窓を開けば、心に何か響くものがある、という場所がある。「風土」を一言(ひとこと)で言えば、心の「響き合い」のある場所の、その「響き合い」である。
オギュスタン・ベルクは、「風土」はトポスというよりプラトンの「コーラ」に近い、と言っているが、私は、トポロジーとの関係でいえば、すなわち中沢新一の心的トポロジーの立場から言えば、通常言われているトポスと考えても良いし、「コーラ」と考えても良いと考える。したがって、「トポス」とは「風土」のことであると言い切って良いと思う。「トポス」とは「風土」のことである。

さて、「トポス」の説明が終わったところで、中沢新一の著書「アースダイバー」(2005年5月、講談社)から、「トポス」との関連部分を吟味したいと思う。中沢新一は、その中で次のように言っている。すなわち、
『アメリカ先住民の「アースダイバー」はこう語る。
初め世界には陸地がなかった。地上は一面の水に覆われていたのである。そこで勇敢な動物たちが次々と、水中に潜って陸地を作る材料を探してくる困難な任務に挑んだ。ビーバーやカモメが挑戦しては失敗した。こうしてみんなが失敗した後、最後にカイツブリが勢いよく水に潜っていった。水はとても深かったので、カイツブリは苦しかった。それでも水かきにこめる力をふりしぼって潜って、ようやく見ず底にたどり着いた。そこで一握りの泥をつかむと、一息で浮上した。このとき勇敢なカイツブリが水かきの間にはさんで持ってきた一握りの泥を材料にして、私たちの住む陸地は作られた。
頭の中にあったプログラムを実行して世界を創造するのではなく、水中深くにダイビングしてつかんできたちっぽけな泥を材料にして、からだをつかって世界は創造されなければならない。こういう考えからは、あまりスマートではないけれども、とても心優しい世界が作られてくる。泥はぐにゃぐにゃしていて、ちっとも形が定まらない。』

『表通りにはパリとそっくりなすてきなお店が並ぶ代官山の裏山には、猿楽町の遺跡群が泥の堆積のようにうずくまっている。それと同じように、そこに暮らしている人びとの心も、さまざまは時間を同時に生きている。誰もが泥でできた心の動きをもてあまし、計画どおりに運ばない出来事に不安をいだいている。古い心のなりたちを映す夢の部分が、っプログラマーの神さまによってつくられた経済社会の現実の中に、ひそかに忍び込んできて、システムに不調を生み出しているのだ。ぼくたちは、なんてこんなぶかっこうな心を抱えたままなんだろう。しかし、カイツブリが水底から運び上げてきた、泥を材料にしてできた心を持った生き物にとっては、そのぶかっこうさこそが生命であり真実なのである。』・・・と。

以上の中で、「 頭の中にあったプログラムを実行して世界を創造するのではなく、水中深くにダイビングしてつかんできたちっぽけな泥を材料にして、からだをつかって世界は創造されなければならない。 」と「 古い心のなりたちを映す夢の部分が、っプログラマーの神さまによってつくられた経済社会の現実の中に、ひそかに忍び込んできて、システムに不調を生み出しているのだ。 」という中沢新一の指摘は重要な指摘である。
現実の社会は、人間の合理的な考えにもとづいて出来上がっている。しかし、人間には、心的トポロジーが明らかにしてくれているように非合理の側面がある。そういう側面に立ってこの現実の社会を見たとき、夢も希望もないと言えば言い過ぎかもしれないが、このままではいけないという思いが募(つの)ってくる。現在の社会は不調なところがあまりにも多いのではないか。それを正して、私たちの心が本当に安まる安寧の世界、平和の世界を創造していくには、勇気あるカイツブリが水中深くにダイビングしてちっぽけな泥をつかんできたように、私たちは、古代人には見えていた心的トポロジーの片方の部分に属する世界、すなわち一見非合理と思える考えに従って作り上げていた世界にこれからの希望を託さなければならないのではないか。
古代人には見えていた心的トポロジーの片方の部分に属する世界、すなわち一見非合理と思える考えに従って作り上げていた世界を描いた芸術家は少ないが、私たちの良く知るところでは、宮崎駿がいる。例えば、「風の谷のナウシカ」では、腐海の森のような森でも樹木の力は絶大であるし、人間と危険きわまりない生物とも共存はできる上に、心の通い合えるような動物も少なくない、そのような心的トポロジーにもとづいた世界を宮崎駿は描き出している。さらに、「もののけ姫」では、森には動物の姿を借りた神々がいること、その動物を人間の作り出した奇妙な弾(タマ)で殺戮したときその動物の神は荒ぶる神となって人間を呪うようになるということ、そしてその呪いはその人を死ぬまで苦しめるということ、など単なる作り話ではなく、心的トポロジーにもとづいた真実の世界を描き出している。
動物だけでなく、生物はむやみやたらに殺傷してはならない。食べるために生物を殺傷することはやむを得ないが、遊びとして生物を殺生してはならないのである。森林は今まさに荒廃し続けている。この再生を図らなければならない。そして生物の生態系を守らなければならないのである。私たちは「もののけ姫」にはなれないけれど「アシタカ」にはなれる。宮崎駿はそう言いたいのであろう。私は真剣に思っているのだが、「風の谷のナウシカ」のように、すべての動物との「共生」を図らなければならない。オオカミや熊との共生ができない社会はほんまものの世界ではない。宮崎駿は多分そういいたいのだと思うが、私は真剣にそれを望んでいる。

次に、上記の文章で、中沢新一が「古代遺跡群が泥の堆積のようにうずくまっている。それと同じように、そこに暮らしている人びとの心も、さまざまは時間を同時に生きている」と指摘しているこの部分も重要である。私たちは、まずは古代人がどのような感覚を持って生活していたのか、その「生きざま」を知らなければならない。私は先に、「風土」について述べたが、その土地の「自然のおもむき」と「歴史のおもむき」と「人びとの生きざま」を知らなければならない。「風土」は「トポス」である。そういう「トポス」というものを明らかにしながら、「野生の科学」の基礎資料とすると同時に、私の提唱する「日本型ジオパーク」において人びとの啓蒙を図らなければならない。「風土」と「トポス」と「野生の心」とは繋がっているのである。そういう心的トポロジーの啓蒙を図るのである。

そして、中沢新一は著書「アースダイバー」(2005年5月、講談社)で、「大地の歌」が聞こえてくると言っている。これを私流に言えば「風土」すなわち「トポス」との「響き合い」である。古代人の生きざまとの「響き合い」を是非体験していきたいものだ。

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