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2012年8月15日 (水)

エコトポロジー

エコトポロジー

中沢新一は、その著「野生の科学」(講談社)で「エコトポロジー」という経済学における新しい概念を提唱している。中沢新一が「日本の大転換」(集英社)で展開した贈与論はモースの贈与論を超える画期的なものであるが、この「エコトポロジー」という経済学における新しい概念は、彼の贈与論と彼の心的トポロジーという概念を合体させるもので、まさに「野生の科学」というにふさわしい。中沢新一は その著「野生の科学」(講談社)の中で次のように言っている。すなわち、

『カタラクシー空間が二種類のトポロジーで作られており、第一種の空間ではGDPによって、つまり経済計算によって、その豊かさが図られるのに対して、その奥に隠されている第二種のカタラクシー空間では、ただ質的な差異だけが、豊かさや幸福の感覚の差異を生み出している。このカタラクシー2の構造が、生活の質や豊かさと感覚に関わりを持っている。私たちにいまもっとも必要なのは、経済学にトポロジーを導入して、モノと心の両面から豊かさのいうものの源泉を探っていく「エコトポロジー」の創造であろう。』

『ケネーの経済理論とモースの贈与論は、正統派経済学からすれば異端的な理論であるかもしれないが、それら二つの理論の特徴は、それらをトポロジーで表現してみると、カタラクシー1を表現するトーラスとカタラクシー2をあらわすクラインの壷を合体させた構造になるという点に、求めることができます。ここで私は予測するのですが、今日の経済学に欠けている部分を補うことのできる「来るべき経済学」もまた、同じ型に属する複論理の構造を持つことになるのではないでしょうか。
その「来るべき経済学」なるものは、ケネーの経済理論やモースの贈与論のような単純ななりたちはしていないでしょうが、それでも理論の根幹には、今日まで正統派から完全に無視されてきたカタラクシー2の交換構造が組み込まれている筈ですから、来るべき理論はより人類の心の本性に近づくことができる筈です。』・・・と。

ここで「カタラクシー」という聞き慣れない言葉が出てくるので、以下にこの解説をしたいと思う。

上記の文中にあるトポロジーという言葉についてはすでに解説をしたので、詳しくはそれをご覧戴きたい。 心には論理的に把握できる現象と直観でしか把握できないものがある。直観でしか把握できないものを、現実の世界に表現するには、「ひっくり返し」が必要である。そういう両面あるものの現象については、最新の位相幾何学(トポロジー)で取り扱うことができる。したがって、中沢新一は、遠い将来、心の奥で生じている現象を数学的に取り扱うことができるのではないかという期待を込めて、心に関わる科学を「心のトポロジー」と呼んでいるのである。
また、上記の文中にトーラスとクラインの壷という言葉が出てくるが、トーラスもクラインの壺も位相幾何学で扱われる立体形で、前者はドーナツの形、後者は表裏の区別も持たないねじれを持った壷の形をしている。人間の心は位相幾何学的にいうと心的トポロジー構造をしているということなのだが、心的トポロジーというは、位相幾何学では、このトーラスとクラインの壷で説明できる。枝葉的な現象を見てその根源的な真実に近づこうとする・・・論理的な思考のことをトーラス型という。これは通常の論理の世界にとどまっている。その典型がケネーの経済論である。私は、ハイデガーの根源学もそういうものではなかろうかと考えている。しかし、心の働きというのは、メビュースの帯のように 表と裏の区別のない、すなわち矛盾した事柄が一体になっている。それを位相幾何学的に表現すると、クラインの壷型になる。クラインの壷は、メビュースの帯の立体形で、位相幾何学では、メビュースの帯とトーラスと合体して作られる。これは、通常の論理の世界から離れて、互いに矛盾したものをひとつの真実として捉えるものであって、通常の論理では説明できないものである。人類学では、これを「神話論理」と呼び、その歴史的事実を広範に渡って研究してきている。その典型がモースの贈与論である。私は、直観で真実を悟るというのも、 通常の論理の世界から離れて、互いに矛盾したものをひとつの真実として捉えるものであって、これをどう呼べば良いかいろいろと考えているが、今のところただ「直観」としか呼びようがないのではないかと考えている。しかし、「神話的論理」と「直観」とを合わせた言葉としては、禅語でいうところの「絶対的認識」と呼ぶのが良いのではないかとは思う。

さて、「カタラクシー」の説明に入ろう。中沢新一は、著書「野生の科学」(講談社)のなかで、「カタラクシー」について次のように述べている。すなわち、

『近代社会の産業は市場を中心に動いています。企業家が原料を仕入れたり機械を導入したりするためには、市場でそれを購入しなければなりませんし、労働者も労働力市場を通して、自分の労働力を賃金と交換しています。資本家が金利を得るのも、金融市場や株式市場を通してでなければなりません。ですから、こういう近代社会の活動とその仕組みを「エコノミー」や「エコノミクス」という言葉で表現するのは、あまり適切ではないと思います。エコノミーという言葉は、ギリシャ語の「オイコス=家」と「ノモス=きまり」を合成して作られた「やりくり」おあらわす言葉ですので、市場を中心として動いている近代社会の経済活動の特徴から、かずれてしまっているからです。
そこで、もっとましな言い方はないだろうかと探し回った末に、別の言葉を見つけました。古代ギリシャ語で交換行為をあらわす言葉から直接につくられた「カタラクティクス」という言葉が、それです。市場は交換をおこなう場所です。近代の経済は市場を中心に動いているのだから、そこでおこなわれる交換行為の本質を研究する学問としての「交換学」として、カタラクティクスという言葉が使われ出しました。
カタラクティクスという言葉の理解は、オーストリア学派のミーゼス(1881ないし1973)によって大いに深められました。ミーゼスは交換を人間の合理的行為のいちばんの原型と考えましたから、この言葉は近代社会の特徴を言いあらわすための、もっとも重要な言葉のひとつと見なされるようにいたったのです。
こうした探求を受けて、ハイエク(1899ないし1992)はさらに思考を深化させていきました。彼はこの言葉の古代での語感に、鋭い反応を見せました。市場の本質をあらわす言葉としてカタラクティクスやそのもとになっている「カタラクシー」を使用するとして、その言葉の古代的な語感には、たんに「交換する」という以上にの意味が含まれていることに、ハイエクは人びとの注意を喚起しようとしました。ハイエクは主著の中で、そのことを書いていますが、その主著の中の文章は人類学者にとって、きわめて興味深い内容を含んでいます。資本主義の本質を生産の現場ではなく、市場の働きのうちに見出そうとしたハイエクは、「マーケット」のような曖昧な概念に代えて、含意の明確な古代ギリシャ語の単語を採用したわけですが、そこから取り出された「カタラクシー」には、まことに深遠な人類学的・哲学的な意味が含まれているからです。とりわけそれが「交換する」ことだけでなく、「コミュニティーに入ること」や「敵から味方に変わること」という意味を含んでいたという一節は、決定的です。』・・・と。

ミーゼスの「交換を人間の合理的行為のいちばんの原型であるとする」考えやハイエクの「カタラクシーを<交換する>ことだけでなく、<コミュニティーに入ること>や<敵から味方に変わること>という意味を含んだ言葉である」という考えは素晴らしいと中沢新一は言っているが、中沢新一によれば、ミーゼスは論理の世界にとどまり、ハイエクは非論理の世界を強調するにとどまっているということらしい。中沢新一の心的トポロジーの立場からすれば、論理の世界と非論理の世界との合体がなされていない。
中沢新一によれば、交換には第一種の交換と第二種の交換がある。彼は、第一種の交換をカタラクシー空間1、第二種の交換をカタラクシー空間2名付けているが、心的トポロジーの立場からすれば、すなわち位相幾何学的には、カタラクシー空間1はトーラス、カタラクシー2はクラインの壷に対応する。先ほど申し上げたように、前者は論理的な思考を重ねていけばかなり真実に近づくことのできるものであるが、後者は私のいう「絶対的認識」によらないととうてい理解することの困難なものである。論理の世界も大事であり、非論理の世界も大事である。問題は非論理の世界の現象をどのように科学的な理解を深めていくかである。中沢新一によれば、それは、「層、圏、トポス」などという最新の数学的知見の助けを借りれば、可能である。それが中沢新一の提唱する「野生の科学」である。
以上、エコトポロジーという新しい概念に関してカタラクシーの要点のみ説明したが、中沢新一は、カタラクシーについて縷々詳しく説明しているし、また日本の交易、すなわち「市(いち)」の実例なども紹介しているので、皆さんには、是非、「野生の科学」(講談社)を読んでいただきたいと思う。私の説明がその際の多少の参考になれば幸いである。
なお、日本では、「市(いち)」というものが開かれるもっともっと古い時代の古代において、同様の交易が行われていた。私としては、第9章の補足説明として、いずれそれを紹介したいと思う。回帰的威信財は贈与財であって、中沢新一の「野生の科学」の立場から言えば、「クラインの壷」で位相幾何学的に表現されるものである。「クラインの壷」については、上述したように、表裏の区別も持たないねじれを持った壷の形をしているものであるが、画像を示さなかったので判りにくかったと思う。

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