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2012年8月 4日 (土)

対称性とは?

中沢新一のいう「対称性」とは何か? 中沢新一の説明を要約するとしよう!

どうやら私たち現生人類の心は、まったく仕組みのちがう、ふたつの思考のシステムの共存として働き続けているようなのです。

ひとつは外の環境世界の構造に適応できるような論理(それがアリストテレス論理というものの本質にほかなりません)の仕組みをもって作動する言語のモジュールで、それにしたがって生きるときには、私たちは合理的な行動ができるようになります。

ところが現生人類の心にはそれとはまったくちがう、対称性の仕組みで動く層あるいは領域があります。ここでは、言語の論理が分離しておこうとするものをくっつけてしまい、
ちがう意味の領域を隔てている壁を突破して、時間の秩序からさえも自由になって、多次元的にさかんに流動していく知性の流れがみられます。つまり、人類の心は、合理的な言語のモジュールにしたがって組織されて非対称の論理で動く層と、現生人類の心を特徴づけている「流動的な心」の流れでできた対称性の論理で動いている層とが
ひとつに結合している、複論理=バイロジック」としてつくられているのです。

ふたつの心の働きのうち、どちらが先につくられたかというと、おそらく言語モジュールで動く、合理的な非対称の論理のほうだと思います。なぜならば、現生人類以前の人類たち、宗教も芸術ももたないけれども、すでに完成した石器制作の技術をもち、みごとな狩猟者であり、植物の利用にたけている博物学者であり、また立派な社会をつくっていた社会学者でもあった人類たちの思考を、厳しい自然環境の中でまちがいなく導いていけたのは、現実とみごとにフィットできる非対称の論理のほうでなければならないからです。
ひと
ところが大脳の中のニューロンの結合方法に画期的な進化をとげることによって出現した現生人類の心に生まれたのは、それとはちがう対称性の論理で動く「流動的な心」でした。

神話は無時間的でものごとをくっきり分離してしまわない「対称性の論理」と、ものごとを物語の秩序にしたがって配列しながら語っていくことのできる論理能力との結合体にほかなりません。そのために、神話にはふつうの論理には絶対にあらわれない、独特の「ねじれ」をもった神話特有の論理で語られるのです。伝統的に人類学が対象としてきた社会の人々は、このように「対称性の論理」と合理的判断を可能にしてくれる「非対称的な論理」とを対等な立場において、社会生活の場面場面に応じて、自在に組み合わせて使う能力に恵まれた人たちだったのだ、と言うこともできます。別の言い方をしてみますと、
「対称性の論理」というのは一般に「右脳」に特有な働きであり、「非対称的な思考」は
「左脳」がつかさどっていると言われていますから、人類学は近代世界で急速に失われてきた、「右脳」と「左脳」の働きのアンバランスを正して、人類に「右脳」と「左脳」のバランスのとれた「バイロジック」を実現しようとしてきた学問である、と考えることもできます。


中沢新一のいう「対称性」というものの概念は、お判りになりましたか? なかなかすっと頭に入っていきませんね。そもそも「対称」と「対称性」という言葉の意味が私たちにはなじみが薄いからです。ということで、以下に「対称」とか「対称性」という言葉に関してネットの説明から始めますが、この部分はややこしいので、飛ばして読んでもらっても結構です。

デジタル大辞泉の解説では、「対称」という言葉について次のように説明されている。すなわち、
『1 ものとものとが互いに対応しながらつりあいを保っていること。「左右―」
2 二つの図形が、点・線・面などについて互いに向き合う位置関係にあること。それぞれ点対称・線対称・面対称とよぶ。シンメトリー。
3 結晶面の間の規則正しい関係の一。結晶面のある面による鏡像、またはそれをある軸のまわりに回転させたものが、他の結晶面に一致する性質。
4 ⇒二人称』・・・と。

ところで、 世界大百科事典で、シンメトリーとは次のように解説されている。すなわち、
『図形において,対応する各部が,ある点や直線または面などを介して,互いに等距離に配置された状態。幾何学でいう左右対(相)称,点対称など(対称)。古代ギリシア語の〈シュンメトリアsymmetria〉が語源で,これは事物の大きさがある共通の尺度で測り切れる(割り切れる――通約)状態を指し,さらにある基準に対して一定の比例を保つこと,またそのような比例の保証する美的・宇宙的調和をも意味した。幾何学的対称はこの本来の語義の一部にすぎず,このように限定されたのは近世以後のことである。図形において,対応する各部が,ある点や直線または面などを介して,互いに等距離に配置された状態。幾何学でいう左右対(相)称,点対称など(対称)。古代ギリシア語の〈シュンメトリアsymmetria〉が語源で,これは事物の大きさがある共通の尺度で測り切れる(割り切れる――通約)状態を指し,さらにある基準に対して一定の比例を保つこと,またそのような比例の保証する美的・宇宙的調和をも意味した。幾何学的対称はこの本来の語義の一部にすぎず,このように限定されたのは近世以後のことである。』・・・と。

なお、対称とは、世界大百科事典では、次のように説明されている。すなわち、
『平面上または空間内に定点Oがあるとき,平面上または空間内の各点Pに対し,線分POの延長上にPO=OP′となる点P′をとって,PをP′にうつす対応を考える。この対応をOを対称の中心とする対称変換と呼び,対応する2点P,P′をOに関する対称点と呼ぶ。また,この変換で図形Fが図形F′にうつるとき,FとF′はOに関して点対称であると呼び,とくにF=F′のときFをOに関して点対称な図形という(図a)。例えば,円や球はそれらの中心に関して,平行四辺形や平行六面体は対角線の交点に関して点対称な図形である。』・・・と。

さて、問題は対称性という言葉の意味である。ネットではこの言葉の説明がほとんどないが、次のような説明が見受けられる。すなわち、
『1、ものが互いに対応しながらつりあいを持つこと。2、ものが互いに向き合う位置関係にあること。』・・・と。
そして、ウィキペディアでは、『対称性(たいしょうせい)、又はシンメトリー (英語: symmetry) は、ある変換に関して不変である性質である。』・・・と説明されている。ここで、変換については、ウィキペディアでは、『数学的意味での変換(へんかん、transformation)とは、点を他の点に移したり、式を他の式に変えたり、座標を取り替えたりすること。』・・・という簡単な説明があり、さらに次のような詳しい説明がなされている。すなわち、
『もっとも単純には、一つの集合 A が与えられたとき、A の各元 a に対して、A の元 b をただ一つ a の行き先 f(a) として指定するような対応規則 f のことである。すなわち、A から A 自身への写像(または関数)を (A の、A 上の、A 上で定義された、あるいは A における)変換というのである。文脈によっては、特にことわりなく可逆変換(全単射でしたがって逆写像を持つ変換)を意味することがある。
ただし通常、変換という語を用いるとき、与えられた集合には距離空間の位相やベクトル空間などの何らかの構造が入っているのが普通である。そして、(主に幾何学的な)構造を持つ集合 A に対しては、A 上の変換という語は、A から A 自身への構造を保つ写像に対して用いる。すなわち、写像 φ A → A でその像 φ(A) = {φ(a) | a ∈ A} ⊂ A が A と同様の数学的構造をもつ(言い換えれば φ(A) が A の部分系となる)ようなものに限って変換という語を充てるのである。
特に、幾何学では点からなり、距離(大きさ)や連結性などの位相的な構造によって束縛された集合である図形が対象であり、空間(面、線、点あるいは一般の位相空間)における変換により図形は一般には変形される(英語のtransformation(変換)には変形の意味もある)。ただし、回転や平行移動などの図形の形状を変化させない変換もある。
代表的な変換には射影変換とその特別な場合であるアフィン変換がある。これらは線形変換の仲間である。
冒頭で、変換は集合を自分自身に移す写像であると述べたが、必ずしも集合や写像という言葉に拘泥する必要はない。実際、圏論においては圏の対象とし て集合という実態は必ずしも必要でなく、圏の射は写像である必要を持たない。したがって変換という言葉もさらに広い意味で用いられることがある。』・・・と。

以上対称とか対称性という言葉について、ネットではどのように説明されているか、その紹介をしてきたが、これらの数学的な説明は、私たち素人には難しすぎる。そこで、私は、中沢新一がいう「対称性」という言葉をもっと判りやすく説明しておきたい。中沢新一のいう「野生の科学」は「対称性人類学」の延長線上にある。したがって、「野生の科学」というものを理解する上で「対称性」という言葉の意味がしっかり頭の中に入っていることが基本的に大事だと思うからだ。
根源的なものが、ある変換を受けて現実に見える「枝葉」となっている。しかし、どのような変換を行っても、根源的な「根」は変わらない。この根源的なものを対称性と呼び、枝葉的なものを非対称性と呼ぶ。現実に見える枝葉的なものは論理的に理解できるが、私たちの目には隠れて存在している根源的なものは通常の論理では理解できない。ここでいう通常の論理とは、今私たちがいるこの物質の世界での論理という意味であって、量子の世界では、特別の論理でいろいろな現象が説明されている。

すなわち、量子の世界における対称性とは、対称性を有した波動方程式のことである。しかし、さらにその奥があって、「対称性の破れ」という不思議な現象があるようだ。ヒッグス粒子はこの「対象の破れ」によって生成され、さらにこのヒッグス粒子によって質量をもったいわゆる物質というものが生成され、今私たちがいるこの物質の世界が作られている。この量子の世界を理解することは、容易ではないので、ここではちょっと横におく。ちょっと横にはおくが、中沢新一のいう「対称性」という概念は、量子力学の世界における対称性の概念と同じであるということだけは覚えておいてもらいたい。

さて、中沢新一のいう「対称性」という概念の説明に戻ろう。簡単にはこのように理解しておいてほしい。ある事柄にXとYが関係している。その関係がXとYを入れ替えても変わらない場合、その関係は不変的であり、根源的である。こういう状態を「対称性がある」という。すなわち、事柄の不変的なもの、根源的なものを「対称性」というのである。
そして、中沢新一のいう「対称性の論理」とは、通常の論理、すなわち物質の世界に通用する論理では起こりえない論理ということである。これを「ねじれ」の論理ともいう。パラドックスの論理と言っても良いし、私流にいえば「両頭截断の論理」と言っても良い。

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