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2012年7月31日 (火)

ニューエイジ

現在「ニューエイジ」(ニューエイジ・ムーブメント、ニューエイジ運動)と言うときには、アメリカ合衆国、とりわけ西海岸を発信源として、1970年代後半から80年代にかけて盛り上がり、その後商業化・ファッション化されることによって一般社会に浸透、現在に至るまで継続している、霊性復興運動およびその生産物全般、商業活動全般を指す場合が多い。

ニューエイジ運動は、60年代のカウンターカルチャーをその直接の起源とする。物質的な思考のみでなく、超自然的・精神的な思想をもって既存の文明や科学、政治体制などに批判を加え、それらから解放された、真に自由で人間的な生き方を模索しようとする運動である。
その中には、以下のような共通項をもつ、新旧の多様で雑多な要素が、互いに力動的に関わり合いながら共存している。
反近代、反既存科学、脱西欧文明(禅や道教、チベット仏教などの東洋思想やアメリカ・インディアンの思想、あるいは“異教”的文化への親和性)
ポジティブ・シンキング(個人に内在する力と可能性の強調)
五感や身体性・主観的体験の重視
論理的思考に対する直観的理解(「気づき」)の優位
快の感覚や欲望の肯定
旧来の社会道徳の否定と極端な自由主義の思想
汎神論的・宇宙神的存在あるいは「大いなる意志」への信仰と、万象に対するその介在を根拠とする「偶然性」の否定
自然への回帰(しばしば人間以外の生物との精神的な交感を含む)
女性性の尊重
などが挙げられる。

具体的な構成要素としては、チャネリング/リーディング、瞑想法、前世療法・催眠療法等の心理療法、ヨーガや呼吸法・さまざまな整体術等の身体技法、ホーリスティック医療、心霊治療、アロマテラピー、パワーストーン、輪廻転生信仰、さまざまな波動系グッズなどを挙げることができる。これらのうちのいくつかの物は一般に「オカルト」と呼ばれる領域に属する。
その裾野部分では、ニューエイジは現代の行き過ぎた消費文明や経済的効率主義に対して警鐘を鳴らし、これを中和しようとするようなオールタナティヴな社会思潮として機能する可能性を期待されている。しかしその一方で、しばしば、その信奉者の理性的・論理的・科学的な思考力を鈍化させて批判力を鈍らせ、また極端な場合には、破壊的カルトやオカルト商法といった反社会的な形をとって立ち現れる。そのようなわけで、ニューエイジの功罪について、明快な評価を下すことは容易ではない。
このようにオカルトには、破壊的カルトがある。破壊的カルトは、科学的にそういうことは絶対に起こりえないと考えられるオカルトであり、そうでないものは科学的にひょっとしたら起こりうるかもしれないというオカルトである。「破壊的カルト」はインチキであるが必ずしもインチキとは言えないものがあるということだが、その境目ははっきりしない。そこで私としては科学的に説明しうるものを「創造的カルト」と呼び、現在のところ科学的には説明できない、科学的にもひょっとしたら起こりうるというものを単に「カルト」と呼ぼう。すなわち、私は、「破壊的カルト」と単なる「カルト」と「創造的カルト」の三つを、言葉としては使い分けたい。

ニューエイジ運動についても、「破壊的カルト」に属するものがあるので、注意を要するが、現在、北欧を中心として展開されている「カルト運動」は、特定の神を対象とした物ではなく、伝統的な神を敬おうという一般的な神についての思考や主張であるし、社会的に重要な意義を持っている運動であるので、私としては、「創造的カルト」であると考えたい。

また、100匹目の猿現象は創造的カルトである。オーム真理教のように、反社会的なインチキ宗教もあるが、伝統的な宗教は、歴史的な淘汰を受けており、社会的意義を十分有しておりインチキなものではない。したがって、伝統的な神は、キリスト教の神であれ、イスラム教の神であれ、ヒンドゥー教の神であれ、少なくとも破壊的カルトではない。現在のところ、それらの神の区別を科学的に説明することはできないので、既存の宗教における神々に関する思考や主張は、創造的カルトとはいえず、単なるカルトである。特定の神ではなく、一般的な神についての思考や主張は、私は、拙著「祈りの科学シリーズ(1)<100匹目の猿が100匹>」で科学的に説明しているので、創造的カルトであると考えている。

神についての議論は古代からいろいろあるし、体験のみがその姿を明らかにするという非合理主義的な見方も大事だと思いますが、私は、科学的に考えて、神は存在するとしか考えられないという結論に達しました。それを書いたのが「祈りの科学シリ−ズ(1)」の「100匹目の猿が100匹」です。


http://honto.jp/ebook/pd_25231954.html 





神は存在するという私の立場からは、まず第一に、これから自然との共生が大事だという結論になります。これは「故郷」を大事にしなければならないことを意味しています。 北欧を中心として展開されている「カルト運動」は、まさにそういう運動なのです。

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