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2011年11月19日 (土)

国の基礎は地域コミュニティ

4、1  国の基礎は地域コミュニティ

 

今、日本でいちばん大事な問題は何か。私は、国際的にも国内的にも、食料の問題だと思う。国防の問題もあるが、今ここでは、地域コミュニティとの関係で食料問題を取り上げながら、地域コミュニティのあるべき方向に触れておきたい。 
これからは国力の時代ではなく地域力の時代である。何故か。国の論理と地域の論理が必ずしも同じでないから、生活の場にもっとも近い地域コミュニティの論理を優先しようという訳だが、哲学的には、西田幾多郎の「場所の論理」、中村雄二郎の「リズム論」、プラトンの「コーラ」などが地域にはあって、どうも地域の目に見えない力によって人々の生き方に大きな影響を与えているらしい。どうも人間社会の基礎に場所というものを考えざるを得ないようだ。もう一つ鶴見和子の<内発的発展論>というのがある(「鶴見和子曼荼羅、Ⅸ環の巻、内発的発展論によるパラダイム転換」、1999年1月、藤原書店)。彼女はこの著書の中で次のようにいっている。すなわち、
『 西欧をモデルとした近代化のパラダイムは、「通常科学」、あるいは「支配的パラダイム」と呼ぶことができます。そして、内発的発展論は支配的パラダイムに対する「対抗モデル」の一つということができます。」どういう点で違っているかと申しますと、たとえば近代化論は単系発展モデルですが、内発的発展は複数モデルです。近代化論は国家、全体社会を単位として考えていますが、それに対して内発的発展は私たちが暮らしている具体的な地域という小さい単位の場から、地球的規模の大問題をとく手がかりを捜していこうという試みです。
私は内発的発展を、「それぞれの地域の生態系に適合し、地域の住民の生活の基本的必要と地域の文化に根ざして、地域の住民の協力によって、発展の方向と筋道をつくりだしていくという創造的な事業」と特徴づけたいとおもいます。』・・・・・と。

そうなのだ。国というコミュニティの縮図が地域コミュニティであり、地域コミュニティが社会システムの最小単位である。それがイキイキしない限り、総体としての国はイキイキとしない。地域コミュニティが壊れ、故郷が喪失すると、国全体がニヒリズムに陥り地球的規模の大問題などどうでも良くなる。そうなると、国民は、現在の多くの都市住民がそうであるように、「身体的欲望」のみで動くようになるのである。ノマドは市場経済の発展のためには力になるけれど、ある種の転轍をはからないと、これからの諸問題には対応できない。市場経済の弊害を解消するには地域コミュニティの内発的発展が必要である。世界の食糧問題や貧困問題は、地域コミュニティの論理にもとづかない限り解決しない。

地域は大別すれば、田舎と都市がある。 問題は都市である。都市は地域コミュニティが壊れ、ノマドが自由気ままに生きている、そういう空間である。都市の論理というのは、「身体の欲望」が支配する論理で、市場の倫理である。それは工業の論理でもあるし、人工の論理である。 それに対し、田舎の論理というのは、「生命の欲望」が支配する論理で、贈与の論理である。それは農業の論理でもあるし、自然の論理である。哲学でいえば、田辺元の「種の論理」であり、ホワイト・ヘッドの有機体哲学である。田舎の論理と都市の論理はこのように根本的に違うが、国全体で考えると、都市人口が圧倒的に多いので、都市の論理が優先される。田舎の論理が間違っていると言う訳ではない。多数決の原理により国の政策が都市の論理で決定されて当然かもしれないが・・・。

ここでは以下において、経済的な側面に焦点を当て地域づくりの問題を考えてみることにするが、実は、地域コミュニティに関する問題としては、村の祭りなど神に関わる問題というか「祈り」に関わる問題がある。そういう人々の心の問題というか精神的な問題も極めて重要である。野生の思考、野生の心、野生の精神、百姓の思考、百姓の心、百姓の精神などは、地域コミュニティのあり方に関連して、極めて重要だということだ。しかし、そういう精神的な問題については節をあらためて述べていくことにして、ここではまず経済的な側面から地域コミュニティの姿を述べておきたい。

さて、経済における田舎の論理としては、私は「地消地産」でなければならないと思う。一般的には、今「地産地消」と言いならされている。地域でこういうものを生産しているから、大いに地域で消費しようという訳だ。こういう生産者の論理も必要かもしれないが、私は、 経済における田舎の論理としては「地消地産」でなければならないと思う。 地域で消費するものは地域で作れという訳だ。都市では食糧の生産はできないので、食料は輸入に頼らざるを得ない。輸入が先にあるのではない。地消地産ができないから輸入に頼らざるを得ないということである。もちろん、貿易の振興は世界経済の発展の大前提であるということもある。世界経済を考えたとき、全体的には、やはり保護貿易に陥ってはいけない。あくまで自由貿易を振興すべきである。おそらくバラク・オバマは自由貿易の旗を振るであろうし、日本も今後国際的に巻き起こるであろう保護貿易の動きを押さえ込んでいかなければならない。日本が典型的な貿易立国であるからだ。
しかし、田舎の論理というか農業の論理からいえば、地域コミュニティはできるだけ自給率を上げるべきだ。食糧だけではない。エネルギーもだ。地域コミュニティも、国でいえば貿易収支ということになるが、国と同じように、消費額と生産額の収支バランスが大事である。消費額と比べて生産額が小さければそれだけ人口は減少する。これ以上の過疎化を食い止めるには耕作放棄地を利用して生産を増やさなければならない。それをやれるのは第6次産業としての企業である。
日本は先進国の使命として国際貢献しければならないが、その際、これからの第6次産業育成に関連する諸経験が大いに役立つことでだろう。地域コミュニティの問題は様々な形態があろうと、その解決に当たっての原理原則は共通していると思われるからだ。行政とNPOと企業との協力、 トランスヒューマンの引き込み、それと第6次産業の育成が三つの大事な鍵となろう。

ところで、世界平和と日本の発展を睨んで、中沢新一の「環太平洋の環」という発想がある。私は、それがもし具現化できればたいへん素晴らしいと思う。環太平洋の環では、南回りのモンゴロイドと北回りのモンゴロイドの国である日本という国はやはり特別の存在であろう。環太平洋諸国の発展に貢献できればそれが日本にも跳ね返ってくる。TPPは非とも進めるべきである。しかし、それには「農」を基本とした田舎の持続的な発展を図ることが大前提である。

実は、「農」を基本とした田舎の持続的な発展というこの問題は、従前の価値観では絶対に解決しない。パラダイムの転換をどうしても必要である。今パラダイムの転換の象徴的な問題として語られているが、地域通貨をはじめとしまったく新しいやり方をしていかないと、「農」を基本とした田舎の持続的な発展を図ることはできない。TPPを進めるためにも又日本復興を成し遂げるためにも、「農」を基本とした田舎の持続的な発展を図ることが不可欠なのである。私はこの本で、「ジオパーク」を中心として地域づくりの課題をいくつか提案してきたが、それらは総論であって、具体的に何をやれば良いかという各論が必要である。
幸い、サステイナブルコミュニティ研究所とか風土工学研究所などの21世紀型の新しい価値観で地域づくりを進めようとしている機関がある。今後それらの機関の総力を挙げて、「農」を基本とした田舎の持続的な発展を図るべき時が来た。国の基礎は地域コミュニティであり、行政的には市町村である。今、市町村は、観光用に作った遊休施設の有効活用に頭を悩ましており、また自然エネルギーへの新たな取り組みも始めようとしている。防災計画が緊急課題となっている市町村も少なくない。そういう現下の課題に対処しながら、「農」を基本とした田舎の持続的な発展をどう図るべきか? 地域の諸条件に応じてそれぞれ実現可能な具体的な計画を作っていかなければならない。
その際の地域づくりの哲学は、中沢新一の「モノとの同盟」という哲学が大きな支えとなるが、私のすすめる「リズム人類学」の立場からいえば、「祈り」と「野生の思考」が大事なキーワードである。

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