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2011年9月 2日 (金)

第6章第6節「自立の思想」

6、6 「自立の思想」

今私は、 「資本=ネーション=国家」 という「トリニティ構造」をもとに「世界の構造」を考えている。浅学の私などは考えているというのはおこがましく、勉強していると言うべきかもしれない が、まあ一生懸命考えていることは考えている。このシリーズの最初に申し上げたように、間違いもあろうかと思うので、折角のご指摘をお願いする。
テロの問題を抜きに「世界の構造」を考えるわけにはいかないし、デヴィッド・ハーバート・ローレンスの「アポカリプス論」を抜きにテロの問題を考えるわけにはいかないが、ロレンスの「アポカリプス(ヨハネの黙示録)論」は非常に奥が深く難しい。そこで私としては、見田宗介の「社会学入門」(2006年4月、岩波新書)を手掛かりに、勉強を始めよう。
アポカリプス(ヨハネの黙示録)は、ロレ ンスもいうとおり、キリスト教徒の中で、特に不遇な階級、民族、地位にあるキリスト教徒たちの間で、もっとも親しまれ、強い共感と支持を得てきた書物で、 いわば権力に対する怨念の書である。そういう怨念は、個人感情というよりも、風土みたいに、人々の遺伝子の中に組み込まれているかのようだ。そう言う絶対 的な怨念を「関係の絶対性」というらしい。
見田宗介によれば、ビン・ラディンのテロ リズムも、ブッシュ前大統領のテロリズムも、「関係の絶対性」という視点が加担するときに、正当化されてしまう。しかし、「関係の絶対性」を、「関係の絶 対性」によって否定することはできない。「関係の絶対性」は幾千年を生き延びて、又死に延びてでも復習する。見田宗介はそう言っている。そうかもしれな い。プラトンの「コーラ」を勉強した今、それが判るような気がする。怨念が風土化しているというか文化化しているのだ。
吉本隆明もこの「関係の絶対性」という問題に取り組んだ思想家であるが、見田宗介は、その吉本の思想について次のように語っています。すなわち、
『 吉本の思考のうちには早い時期から、 「関係の絶対性」という思想が、例えば自爆テロのような仕方で死ぬことの根拠になることはできても、生きるということの積極的な根拠としては、貧しいもの であることの的確な予感があります。不当な秩序に屈服することなしに生き続けることのできる積極的な思想としての吉本がのちに獲得するのが「自立」という 概念でした。
「自立」という思想は、「関係の絶対性」の思想の、止揚された形、展開された形といえます。』・・・と。

なお、「自立」には、「経済的自立」と 「精神的自立」があるが、このことはしっかり認識しておかなければならない。ともに、個人単独では決して自立できないことを肝に銘ずべきだ。経済的な問題 は国が大いに関係するし、精神的な問題は地域コミュニティが大いに関係する。個人と国と地域の「関係」をもっともっと考えねばならない




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