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2011年9月 1日 (木)

第6章第4節 柄 谷行人の交換様式論

6、4 柄谷行人の交換様式論

柄谷行人の「世界史の構造」(2010年6月、岩波書店)は、交換様式から社会構成体
の歴史を見直すことによって、現在の資本=ネーション=国家を超える展望を開こうとす
る企(くわだ)てをもった・・・誠に意欲的な本である。

現在の先進資本主義国は、ヘーゲルがいうように、資本=ネーション=国家というトリニ
ティ構造になっていてそれらはボロメオの環で結ばれてい る・・・というのが柄谷行人
の基本的認識であるが、その点については、私も同様の認識を持っていて、前に、私なり
の「世界構造論」をかいた。

そのことについては、今補足することはないが、 交換様式から社会構成体の歴史を見直
し、展望新たな世界を展望しようとする柄谷行人の意欲的な本が出た以上、これをしっか
り勉強せずにはなるまい。すで に、カントの「尊厳」と「自由の互酬性」に考え方につ
いて勉強したので、さらに突っ込んでカントの勉強をするには、まず、 柄谷行人の交換様
式論を勉強しなければならない。ここでは交換様式の勉強を始めることとしたい。

まず、柄谷行人の言うことに耳を傾けよう。彼いわく。
『史的唯物論を唱えるマルクス主義者は、「資本論」を充分読むこともなく、「生産様
式」という概念をくりかえしただけだった。』

『経済的下部構造=生産様式という前提に立つと、資本制以前の社会を 説明できない。
のみならず、それは資本制経済さえも説明できないのである。資本制経済はそれ自体、
「観念的上部構造」、すなわち、貨幣と信用にもとづく巨 大な体系をもっている。マル
クスはこれを説明するために、「資本論」において、生産様式ではなく、商品交換という
次元から考察をはじめた。』

『われわれは「生産方式」=経済的下部構造という見方を放棄すべきである。だが、それ
は「経済的下部構造」一般を放棄することではまったくない。たんに、生産様式にかわっ
て、交換様式から出発すればよいのだ。』・・・と。
以上のような考えから、柄谷行人は、交換様式という切り口で、世界史がどうなっている
か、構造的な分析を行なっている。その際の交換様式とは、次のとおりである。

A、交換様式A:いわゆる贈与にもとづく交換様式。

互酬という言葉も出てくるが、それは贈与と同じ意味で使われている。
贈与は、一つの共同体の中でも行なわれたが、共同体と共同体の間で行 なわれたので
あって、その点については充分認識しておく必要がある。柄谷行人によると、「マルクス
がこのことを強調したのは、交換の起源を、個人と個人の 交換から考えたアダム・スミス
の見方が、現在の市場経済を過去に投影しているにすぎないことを批判するためであっ
た」・・という。
柄谷行人によると、「互酬は、世帯やバンドがその外の世帯やバンドと の間に恒常的に
友好的な関係を形成するときに行なわれたもの」・・・という。その際の交換材には、威
信材と呼ばれるものがあるが、そのことについては、私 もかって書いたことがある。

B、交換様式B:いわゆる略取にもとづく交換様式。

略取は、一つの共同体が他の共同体から何か価値あるものを奪うことを言うが、実は、こ
れ自体交換ではない。では、略取がいかにして交換様式になるのか?
柄谷行人はいう。『継続的に略取しようとすれば、支配共同体はた んに略取するだけで
なく、相手にも与えなければならない。つまり、支配共同体は、服従する被支配共同体を
他の侵略者から保護し、灌漑などの公共事業によっ て育生するのである。それが国家の
原形である。国家の本質は暴力の独占にある。』・・・と。

なお、柄谷行人によれば、いわゆる再配分もこの交換様式Bに含まれる概念で、灌漑など
の公共事業と同じように、略取のための手段である。
私は、これは面白い認識だと思う。その認識は、いわゆる福祉政策 を行なうために国家
があるのではなく、国家というものは税を略取するための手段として福祉政策を行なって
いるという認識だ。私の正義論からすると、ミヒャ エル・エンデと同じ考えだが、国家
は、ロールズの「格差原理」にもとづいて税の再配分だけをやっていればいい。多くの福
祉政策は不要である。私は、ここに 「ベーシックインカム」の正義論的根拠をおいてい
る。国家は、戦争は国民に不自由を強いる最たるものであるが、そういった国民の不自由
をなくし、できるだ け国民の自由を守らなければならないが、その他は、税の再配分に
より、軍備の他は、「ベーシックインカム」とさまざまな公共事業だけをやっていれば良
い。 公共施設というものは、金持ちも貧乏人も等しく使うものである。けだし、公共事
業というもは大事である。国家は、それら三つだけしかやらなくても、税を略 取するこ
とはできる。多くの福祉政策は、国家がやるのではなくて、「地域コミュニティ」に任せ
たほうが良い。その際の交換様式は、交換様式A(贈与)である。
私の「世界構造論」からすると、資本=ネーション=国家というトリニティ構造になっ
ていて、それぞれが深い関係で結ばれているが、本来、それぞれは自立していなければな
らない。ネーション、私は「地域コミュニティ」をその具体的形態と考 えているが、その
ようなネーションというものは、今は資本と国家の陰に隠れて消えかかっている。本来
は、もっと力を持っている筈である。まだ間に合う。一 日も早く、「地域コミュニ
ティ」における贈与経済を再興しなけばならない。そもそも「地域コミュニティ」の本来
の交換様式は、 交換様式A(贈与)であったのだから・・・。
交換様式B(略取)は、国家だけのものであるが、それに「心」は宿っていない。

C、交換様式C:いわゆる商品交換。

柄谷行人はいう。『商品交換というと、生産物やサービスが直接に 交換されるようにみ
えるが、実際は、貨幣と商品の交換として行なわれる。その場合、貨幣と商品、またはそ
の所有者の立場は異なる。マルクスがいったよう に、貨幣は「何とでも交換できる質
権」をもつ。貨幣をもつものは、暴力的強制に訴えることなく、他人の生産物を取得し、
他人を働かせることができる。それ ゆえ、貨幣をもつ者と商品をもつ者、あるいは、債
権者と債務者は平等ではない。貨幣をもつ者は商品交換を通して貨幣を蓄積しようとす
る。それは、貨幣の自 己増殖の運動としての、資本の活動である。』・・・と。
要するに、彼のいいたいことは、貨幣というものは自己増殖するということと、それに
よって貧富の差、階級分裂が起る・・・ということだ。
貨幣についてはさまざまな研究があり、多くの本が出ているので、ここでは柄谷行人の
いっている肝心の部分を紹介するだけにとどめておく。
D、交換様式D:交換様式Aが高次元で回復したもの。
柄谷行人はいう。『交換様式Dは、自由で同時に相互的であるような交換様式である。こ
れは三つのように実在するものではない。それは、交換様式BとCによって抑圧された互
酬性の契機を想像的に回復しようとするものである。したがって、それは最初、宗教的な
運動としてあらわれる。』

『道徳的なものに固有の領域も、交換様式と別にある訳ではない。 一般に、道徳的な領
域は、経済的な領域とは別に考えられている。しかし、それは交換様式と無縁ではない。
たとえば、ニーチェは、罪の意識は債務感情に由来 すると述べた。これは道徳的・宗教
的なものが、一定の交換様式と深く繋がっていることを示している。したがって、経済的
下部構造を生産様式でなく交換様式 として見るならば、道徳性を経済的下部構造から説
明することができる。(中略)交換様式Cが支配的となるのが、資本制社会である。だ
が、その過程で、交換様式Aは抑圧されるが、消滅することはない。むしろ、それは、フ
ロイトの言葉でいえば、「抑圧されたものの回帰」として回復される。それが交換様式D
である。』・・・と。

柄谷行人がいうように、精神的な領域と深く結びついているのが交換様式Dであ る。私の
「世界構造論」で述べたように、精神的領域を示す第3の軸・・・それは共生軸というか
「地域コミュニティ」の軸であるが、その領域(共生社会ない し互酬社会)と深く結び
ついているのが「地域通貨」である。共生社会が先か地域通貨が先かは判らない。私は、
多分、地域通貨が普及することによって共生社 会(互酬社会)が出来上がっていくので
はないかと思う。

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