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2011年5月28日 (土)

第1章の(おわりに)ほか

以下の記事は,私の本(まだ未定稿ですが)の第1章の(おわりに)と全体の(おわりに)に書いた記事です。自己紹介のつもりでここに掲載させていただきました。

第1章の(おわりに)と全体の(おわりに)

おわりに
私 は幼い頃から自然が好きで野や山や川が好きだったが,高等学校の時代は山岳部でキャプテンをやっていた。父親と一緒に北アルプスの白馬岳に行ったり,京都 山岳会の人たちと南アルプスに行ったり国体選考会の見学に行ったりしたのは高校時代のことだが,本格的な山登りをしたのは京都大学の山岳部に入ってからの ことである。
「オールランドな山登り」の重要性を教えてもらったのは私が新人の時のリーダー・高村泰雄こと「デルファー」だし,「足らぬ足 らぬは工夫が足らぬ」とか「山で死んではならぬ」と教えてもらったのは,私が新人の時の新人係・松浦祥次郎こと「コッテ」である。その他多くの先輩,同級 生,後輩に恵まれて,実に素晴らしい大学時代を過ごした。大学院の時代もそれなりに山に行ったが,私の工学部土木学科が結構勉強にうるさかったので,山岳 部の中では比較的山に行かなかった方かも知れない。それでもいちばん山に行った年は,一年365日あるが,120日ぐらい山に行った。もっと多い人は何人 もいたと思う。
この「<100匹目の猿>が100匹」というシリーズを書くにあたって,今西錦司の進化論から筆を起こしたが,それは今西錦 司を頂点とする京都大学山岳部の末端に連なっているという意識から,今西錦司をことのほか尊敬し,今西錦司の著作をそれなりにしっかり読んできたからに他 ならない。今西錦司の教えを直接受けたことはないし,もちろん今西錦司といっしょに山に行ったこともない。一度魚釣りに誘われたことはあったが,その時 は,何かの都合で同行できなかった。今から思うと誠に残念なことであったと思う。私の無二の親友・松尾稔君から,今西錦司の話を聞くにつれ,今西錦司の凄 さに感動を覚えている。
さて,私は,建設省に入り,河川局長の前は,中国地方建設局長をしていたが,哲学を勉強しだしたのはその頃からである。
原爆ドームは、あまり知られていないが、私達・・・建設省(中国地方建設局)の庁舎であった。そんなことで、毎年8月6日には、建設省中国建設局長が主催して、原爆ドームの下で、誠にささやかだが内々の原爆慰霊祭を行なっている。
私も、平成元年から平成4年まであしかけ4年、丸3年間、中国地方建設局長をやっていたので、原爆慰霊祭をやってきた。
御遺族やら当時の職員に御出席願い、亡くなった方の霊を弔うとともに平和を祈るわけである。
平 和の国づくり、・・・・・国土建設という立場から平和の国づくりに尽くすことを誓うわけだ。爆心地に一番近い ところ・・・それが又原爆ドームでもあるが、そういった誠に心苦しいというか・・・恐ろしいというか・・・・なんともいえない場所で慰霊祭をやってい る。・・・・それが私達である。
そういったことで、私は、国土建設という立場から平和ということについて、どうしても真剣に考えざるを得な いのである。平和の哲学とは?・・・・そして、そういった平和の哲学に則った国土建設とはどんなものなのか?・・・・平和の哲学に則った地域づくりはどう 進 めていけばいいのか?・・・・そんなことをいろいろと考えさせられてきた。
中国地方というのは,全国の中でいちばんはじめに過疎化が始 まり,いちばん先鋭的に過疎化の進行した地域である。私は建設省で地域計画課の地方建設局担当の係長をしてたことなどもあり,もともと地域づくりには重大 な関心を持っていたが,中国地方の現状を見るにつけ,このまま放置しておくことはできないと考えていた。
ところで、東京に地域交流センター という、ユニークで日常的に意義深いいろいろな活動をしておられるセンターがあって、その代表・田中栄治君ともおつきあいが深かった。そこで田中栄治君と も相談をし,地域交流セン ターの中国版がぜひ欲しいというのがそもそもの発端で、当時広島市役所におられた伊藤利彦さんら何人かの仲間の助けを借りながら,中国地域まちづくり交流 会発足のための準備会的なシンポ&交流会を平成二年一月の末に宮島で開いた。 参加者の多くの賛同を得て、そしてまた当時広島大学在籍の吉長成恭(よしながはるゆき)先生らのご尽力もあって,修道大学の香川不苦三学長を会長とする 「中国地域づくり交流会」という組織が発足したのである。
シンポ&交流会をやる意義は国や県、市町村の枠を超え、行政と民間の区別なく中国 地方の活性化、活充化について語り合う、そして各々が親しくなって、今後の友情と交流、中国地方の活性化のために共に努力することを意識する、そういった ものだと思う。しかし、そういう活動をやりながら,私が思ったのは,どうも何かが欠けている。よくよく考えてみると,地域活性化にもやはり哲学が必要なの ではないか。私はそう思うようになったのである。持続可能な地域づくりとは平和の地域づくりでなければならない。では、平和の地域づくりとは何か?平和の 国づくりとは何か?
そこで私は吉長成恭(よしながはるゆき)先生と相談をした。私たちは地域づくりの専門家であって哲学者ではない。だか ら、哲学研究会というのはおこがましい。そこで,私は,京都の哲学の道というのを思い出して、「哲学の道研究会」というのを作りたいと申し上げ,中国地域 づくり交流会で今なおつづいている「哲学の道研究会」が発足したのである。
初回は梅原猛先生をお招きし講演をしていただいたが,三回目で あったろうか,「哲学のみち研究会」に中村雄二郎さんをお呼びしたのである。第5節もに書いたが,先生 は、講演の最後に・・・、「宇宙のリズム」を会場いっぱいに流された。私たちはそれにもうびっくりしたのだが、私は,・・・・あとの飲み屋(流れ川) で・・・、先生に「21 世紀はどういう世紀になるか?」と聞いたところ・・・・、先生は・・・、ちょっと考えられて・・・「私もまだはっきりしないが、多分・・・、多分,リズム の時代になるのでは?」と言われた。そこで,私はそれなりに中村雄二郎の哲学を勉強しはじめたのである。その後,中村雄二郎は西田幾多郎の系譜に繋がると いうことが判り,私は,西田幾多郎の「場所の論理」の勉強をはじめた。
そうこうしているうちに,私は中沢新一の「フィロソフィー・ヤポニ カ」という本に巡り会い,もうびっくりして、中沢新一をむさぼり読みはじめたのである。参議院議員になってからことであったと思う。中沢新一の哲学は,西 田幾多郎の系譜ではなく,田辺元(はじめ)の系譜である。田辺元の多様体哲学「種の論理」については中沢新一の著書からその多くを学んだ。

と ころで,日本の歴史の中で平安時代がいちばん平和な時代であったと言われている。平安時代のどこに平和の原理が隠されているのか?ちょうど平安遷都 1200年ということもあって、私は, 平安時代のどこに平和の原理が隠されているのか・・・ そんな疑問を持ちながら,「怨霊,妖怪,天狗」の勉強をはじめた。平安時代というのは,怨霊のうごめく時代であった。多くの権力者が「呪い」におびえる時 代であった。そういう時代がなぜ歴史上いちばん平和な時代になったのか? その秘密は,どうも御霊神社がそうであるように,「祈り」にあるようだと気がつ きながら,私は、これから私の哲学の勉強をどう進めていけば良いのか,はたと困ってしまった。「平安遷都を訪ねて」という・・・「怨霊,妖怪,天狗」を訪 ねる私の旅は,そのとき、山寺(立石寺)の慈覚大師まで辿り着いていたのだが,それから先どういう旅すれば良いのか?

山形 には千歳栄という人がいる。中沢新一さんとも懇意の方である。参議院時代,次の旅のテーマを考えあぐねていた頃,ちょうど千歳栄さんと懇意になり山形には 草木塔というのが多いということを聞き,山形に通っているうちに,千歳栄さんから徳一のことを教えてもらって,徳一を訪ねる旅を始めた。そして徳一を訪ね ながら奈良にもたびたびかよっているうちに,明恵のことをを知った。徳一は興福寺の逸材,明恵は東大寺の逸材である。徳一は最澄と,明恵は法然ともの凄い 宗教論争をしているが、その思想に私は強く引かれている。共感するものが多いのだ。徳一の勉強をひとしきりして,私は,「武家社会源流の旅」と称して明恵 の勉強を始めた。しかし、徳一や明恵の思想がどう私の哲学と結びつくのか?

以上の事柄は,おおむね,拙著 「桃源雲情」や「劇場国家にっぽん」に書いたが,多少の手直しが必要なところもある。また,私は拙著「劇場国家にっぽん」を上梓してから、引き続き「地域 通貨」の勉強を重ねると同時に・・・,地域コミュニティーの勉強, ジオパークの研究、 祭りの再魔術化の勉強,世界構造(社会構造)のあるべき姿についての勉強,政治哲学の勉強・・・などいろいろ勉強を重ねてきていて、新たな知見も増えてい る。

今回,「<100匹目の猿>が100匹」という論文を書き終えたのを機会に,今までの勉強を集大成する形で整理し,私 の考えを整理したいと考えた。中沢新一の「対称性人類学」や「芸術人類学」と中村雄二郎の「リズム論」を習合して、私としては,「リズム人類学のすすめ」 を書きたいと思ったのだ。あくまでも「すすめ」だ。誰か・・・今回の「<100匹目の猿>が100匹」に同調していただける哲学者が,「リズム人類学のす すめ」を参考に、なにか新しい哲学を打ち出していただければ嬉しい限りである。それを期待しながら第1章の筆を置くこととする。


以上は第1章の(おわりに)であり、全体の(おわりに)は次の通りです。

(おわりに)
今 回のこの本は、できるだけ若い人にも判ってもらえるように書いたので,かなり平易な文章になっている反面,論理的に理解されにくいものになっているし、詳 しい情報にも欠けている。また,紙枚の都合で書けなかったものも多い。言葉だけはできるだけこの本にちりばめておいたので、それらの点については,私の 「劇場国家日本」というホームページにあるGoogleのホームページ内検索エンジンで検索してもらえば,いろいろと出てくる。Googleのホームペー ジ内検索エンジンは,実は,私のサーバーをクロールしているので,ホームページの分だけでなく,ブログの記載分も検索してくれる。この本の補足情報につい ては,是非,Googleのホームページ内検索エンジンをご活用願いたい。
Googleのホームページ内検索エンジンは次のページの右上にある。http://www.kuniomi.gr.jp/geki/

私 が今特に気になっているのは,今回の「リズム人類学」の立場から若い人たちに対していろいろな真実を語りかけていくのは良いとして、多くの政治家や評論家 は、フィジックスの世界(第1章第12節参照)で勝負しようとしている・・・まあいうなれば頭の固い人たちばかりなので,やはり私もフィジックスの論理展 開をしていかねばならないのではないか・・・ということだ。それはおおむねブログという場の仕事になろうかと思う。片方でフィジックスの論理展開をやりな がら,もう片一方、すなわちtwitterたfacebookなどのソーシャルネットワークシステムのなかで、私の哲学や思想の普及活動をやるということ がはたして可能なのか? まあやってみないと判らない。
また、健康を維持するために山にも行かねばならないし,リズム感覚を磨くために小唄 のお稽古もやらねばならない。囲碁もやりたいし市町村向けの啓蒙活動もやりたいし,モンゴルとの友好親善のための活動も続けたい。頼まれ仕事も少なくな い。そういったことがはたして時間的にできるのか・・・という心配をしている次第である。
そういう心配をしている最中に,新たな課題が出てきた。
今 回の東日本大震災による未曾有の国難に直面して,我が国のパラダイムの転換をどうしてもやらなければならないが,その象徴的な問題として原始力の問題があ る。以前に私は「光と陰の技術」と題して私の技術論の原則的なことを書いたが,第2章第5節では「原始力発電は悪魔的技術」とまで言い切った。原子爆弾に しろ原始力発電にしろ,こういう技術は人類に無用のものである。
「すばる」という雑誌の6月号に中沢新一が「日本の大転換」と題して原始力技術廃絶の哲学を発表した。頭の固い人を説得し,「<100匹目の猿>が100匹」出てくるためにはどうしても中沢新一の哲学が必要だ。
中沢新一はただ単に哲学という象牙の塔に閉じこもっているだけでなく,パラダイムの大転換を図るために何らかの運動を考えているようだ。私としては日本のパラダイムシフトを図るために願ったり叶ったりのことでもあるので,お手伝いできることはお手伝いしなければならない。

さ らに、第1章の(はじめに)書いた理由で今回あえて取り上げなかった・・・ラブロックの「ガイヤ説」や松井孝典の「地球進化論」の他に,今回のこの本と関 係の深い図書も少なくない。リズム人類学の立場からそれらの解説もぜひやってみたい。 ますます忙しくなりそうな予感もないではない。
しかし、そういう中で優先順位を決めて時間的余裕を持ちながら残る人生を楽しく生きていかねばならないと思っている。関係の皆さんにはご迷惑をおかけするだろうしお力添えを願わなければならないことが多いと思う。この場を借りてよろしくお願い申し上げる次第である。

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