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2011年5月17日 (火)

要点

要点
はじめに
私は広島時代に「哲学の道」に入っていった経緯に触れながら,どのように哲学の勉強をしてきたか,また今 回このような本を出すようになった経緯を述べている。広岡聖二君や中村恵子さんらと一緒に「バズブロ(口コミ放送局)」という新しいメディアを通じて新し い価値観を発信していこうとしている矢先に,東日本大震災が発生した。 私は今こそ,「平和な国づくり」に邁進することが肝要だと考えた。平和の哲学,今こそ実践すべき時だ。そう考えると,今までの私の哲学や思想では何かが欠 けているのではないか・・と思わざるを得ない。そこで、中村さんらの助言もあり,今までの哲学に,「リズム(波動)の摩訶不思議な力」を科学的に説明する 論理を加味できればその欠けている部分を埋めることができるのではないか。そこでできたのがこの本である。

第1章、<100匹目の猿>が100匹・・・リズム人類学のすすめ
こ の章の(はじめに)に書いたように,世の中には、今西錦司の研究室グループが発見した「100匹目の猿現象」という摩訶不思議な現象がある。それを科学的 にどう説明するかということが大問題で,私はその勉強に苦労しながらも,何とか一般の人にもある程度分かり易く説明するように努めた。すうっと頭に入って いくかどうかはこの本を読んでいただいてのお楽しみだが,最先端の能科学や量子物理学の入門書にもなっている。 シェルドレイクの「形態形成場」とかポウリグラム博士の「ホログラフィー理論」というものを是非知って欲しい。
それら最先端の科学的知見をもとに私はネットワークというものの不思議な力を説明しているし,さらには神の問題にも科学的に切り込んでいる。そして、「リズム」や「祈り」の重要性,直観の重要性について語っている。
こ の章の(おわりに)書いたのは,私が広島時代に「哲学の道」に入ってから,今日までどのように勉強を重ねて来たかを詳しく述べながら,「<100匹目の 猿>が100匹」というこの章を書き終えたのを機会に,今までの勉強を集大成する形で整理し,私の考えを整理したいと考えた。中沢新一の「対称性人類学」 や「芸術人類学」と中村雄二郎の「リズム論」を習合して、私としては,新しいジャンルとして「リズム人類学のすすめ」を書きたいと思い,次の第2章から第 8章までを書いた。。あくまでも「すすめ」だ。誰か・・・今回の「<100匹目の猿>が100匹」に同調していただける哲学者が,この「リズム人類学のす すめ」を参考に、なにか新しい哲学を打ち出していただければ嬉しい限りである。

第2章、今西錦司の直観・・・その科学的考察をするために
こ の本は、今西錦司の研究室グループが発見した「100匹目の猿現象」という摩訶不思議な現象の科学的説明をするところから始まっている。私は京都大学山岳 部時代から今西錦司には深い尊敬の念を抱いていて,先生のことをそれなりに勉強してきている。先生とのご縁を語りながら,今西錦司の進化論の真髄とでもい うべきプロトアイデンティティ(原帰属性)という概念について、解り易く説明することとした。私は、この概念がきっちり理解できていなとあらゆる哲学はあ やふやなものになると考えている。政治哲学もそうだ。それほど大事な概念,プロトアイデンティティ(原帰属性)。皆さん方も是非ご理解いただきたい。
そ して,この章の最後に,今西錦司が直感的に判っていたであろう原始力発電技術の危険性について書いた。私はかって,ハイデッガーの向こうを張って,中沢新 一の「モノとの同盟」という哲学を下敷きにした「光と陰の技術」という私なりの技術論を書いたことがある。今回の福島原発事故にかんがみ,少しでも早く脱 電発を目指さなければならないという立場から,「 原始力発電は悪魔的技術である」と言い切った。

第3章、怨霊・・・密教のひっくり返し哲学
平 安時代というものは,日本の歴史の中で、江戸時代と並んでもっとも平和な時代であったと言われている。しかし,平安時代は人々が怨霊の祟りに凄くおびえた 時代でもあった。なのにどうしてもっとも平和な時代になったのか?どこに平和の秘密が隠されているのか?平和の原理を何とか知りたいと考える私としてはそ の秘密をどうしても探らなければならない。ということで,私は,怨霊の勉強を真剣に始めた。そこで判ったことは,密教の,密教といっても空海の始めた密教 ではなく,古密教というか奈良時代の密教であるが,その密教の「ひっくり返し」の哲学が大きく寄与していることが判った。怨霊というおぞましい存在が、密 教の特別の仕掛けによって、守護神にひっくり返るのである。密教の特別の仕掛けで作られたのが,京都でごりょうさんとしておなじみの御霊神社であり、天神 さんこと北野天満宮であり,祇園さんこと祇園神社である。祇園祭はあまりにも有名であるが,あれはその「ひっくり返し」の哲学を背景として京都に根付いた 祭りである。
「ひっくり返し」の哲学は,密教から始まっているが,日本に広くしみ込んでいる。平将門の怨霊を祀ったのがあの神田明神であ り,源頼朝の怨霊を祀ったのが鎌倉大仏である。この章ではその辺の事情を説明し,最後に,祭りに未来を託すことの重要性を説いている。祭りこそ平和を実現 する基本的な仕掛けである。その哲学は「ひっくり返し」の哲学である。

第4章、魂の「タマ」・・・その変幻自在の姿・スピリット
中 沢新一の「モノとの同盟」という新しい哲学のことを、私は技術の立場から「光と陰の哲学」と呼んでいる。ものごとには何ごとも両面がある。光があれば陰も あるし、物があれば「モノ」もある。「モノ」とは心のこもった物のことである。物とは単なる物質のことだ。私の技術論は第2章で述べたので,第4章では 「モノとの同盟という新しい哲学について述べている。
中沢新一の「モノとの同盟」という新しい哲学は,「スピリット論」とも言われる。 この第4章では, 中沢新一の「スピット論」にもとづいて、この社会において具体的にどのようなことが大事になってくるのか,その説明をしている。
天 台宗に「後戸の神」という妙な神が活躍する。よく建前と本音というが,「後戸の神」はご本尊の後にいて本音の部分を支えている大事な神である。まずはその ことに触れ,話は「スピリット」に移っていく。地域づくりは 河童の棲む川づくりや天狗の棲む森づくりなど「スピリット」を意識することが大事であるし、NPO活動や贈与経済も「スピリット」のひとつの現れであって 地域にとって欠かすことができない。すべて心に関係するからだ。
スピリットについて中沢新一を勉強することの重要性は言うまでもないが,その他,円仁はスピリット的感性を養う上で極めて大事な人である。そういう観点から, 第4章では特に節を設けて円仁(慈覚大師)について書いた。
ま た、中沢新一は「環太平洋」ということを言っており,それを「東北」と読んでいるが,これからの東北の復興、それは日本の復興そのものでもあるのだが,そ れを考えた時,彼の「環太平洋」という考え方は基本的に重要である。「環太平洋」に共通するのはスピリット的感性だ。そういう観点から, 第4章では特に節を設けて「地域コミュニティ」のことを書いた。
さらに,これも中沢新一から学んだことだが,私は, 結婚というのは,ただ単に子供を産むためにするのではなく、そこには神話で語られるような深い意味があると思う。結婚は神聖なものである。「外なる神」が ちゃんと見ている。そのことを十分認識して欲しい。かかる観点から, 第4章では特に節を設けて「結婚」のことを書いた。
さて,私は第1章 第10節で「内なる神」と「外なる神」のことを書き,「内なる神」は,脳の中に存在する神で,中沢新一のいうスピリットがそうであると述べた。そして、私 は,「天は自ら助く者を助く」という格言を紹介したが,やはり日頃の自助努力の重要性を思う時,どうしても「明恵の<あるべきようは>」を述べざるを得な い。そこで 第4章では特に節を設けて「明恵の<あるべきようわ>」を書いたのである。
そして第4章の最後に,日本の「中空構造」のことを 書いたが、それは「空」であり、 河合隼雄もいうように、自然とともに生きる民族の理想とする国家構造は「空」であることが望ましいと考えてのことである。「中空構造」というのは、右に偏 することなくまた左に偏することもなく,右に偏すれば揺り戻しが起り,左に偏すればまた揺り戻しが起る・・・という変幻自在の姿である。変幻自在の姿、そ れは「スピリット」の姿そのものであるようだ。

第5章,天皇はん・・・天皇は私たちの何を象徴するのか?
京都人は天皇のことを「天皇はん」という。親しみを込めて言うのだ。これは京都人が持っている感性である。私もそういう感性を持っているが,これは理屈ではない。日頃の生活の中で培われる感性である。
そして,京都人である私が思うに, 天皇及び皇室がもっと積極的な文化活動(NPO活動を含む)をするようになれば,全国の人たちも,天皇のことを「天皇はん」と呼ぶようになるのではないか。私はそう思えてならない。
そ こで第5章では,京都人と天皇とが如何に深い関係性の中で存在しているか,全国の皆さんがご存じないようなことをいろいろと紹介した。京都のチンチン電車 が誕生したその背景の凄さ,廬山寺(ろさんじ)という天皇ゆかりの寺の面白さと不思議,「知のトポス」としての宇治は源氏物語のいちばん大事な「場所」で もあるということなど結構詳しく書いたつもりである。
そして第5章の最後には,「 天皇について思うこと・・それは<空>!」であるということと「天皇制が危ない!」ということを書いた。これらは私がいちばん言いたいことである。是非,じっくり読んでいただきたい。

第6章、お中元とかおすそ分け・・・贈与の哲学
私 は,第4章第1章で、『 今わが国は資本主義の真っただ中にある。キリスト教という絶対的な神のもとで発達した資本主義の真っただ中にあり、贈与の空間が 消滅しつつある。真の豊かさと真の幸福が消滅しつつある。中沢新一が言うように、いま大事なことは、「モノとの同盟」である。それは「物とモノとの同盟」 であり、物質的なものと精神なものとの同盟である。これはわが国だけの問題ではない。資本主義が猛威を振るうところでは、「モノとの同盟」が必要である。 物とモノとの新しい同盟関係の創造が、今こそ求められている。贈与空間の復活である。』と書いた。
また、私は第1章第10節で「内なる神」 と「外なる神」のことを書き,「内なる神」は,脳の中に存在する神で,中沢新一のいうスピリットがそうであると述べた。「モノ」には心、つまり 魂の「タマ」、それにはスピリットの作用が働いているのであり,そのお陰で「内なる神」が振動するのであり,「内なる神」と「外なる神」との響き合いが起 るのだ。
最近,ソーシャルネットワークの世界で「シェア」ということが重視されているが「シェア」は贈与であり素晴らしい。その素晴らしい 「シェア現象」がなぜ起るのか? そこが問題であるが、第1章第9節で説明したように,私は,「シェア現象」の不思議を解く鍵は「100匹目の猿現象」に ある、すなわちネットワークの秘密は「リズムの神秘性」によるのだと思う。
私のすすめる「リズム人類学」にもとづきパラダイムの転換を図る時,その柱のひとつに「贈与」があることは間違いない。
かかる観点から,第6章では,今まで私が勉強してきた「贈与」「贈与経済」「地域通貨」について、その大事な部分を判り易く説明している。

第7章、響き合い・・・それは「協和」。すなわち「共生」である
1789 年8月26日、当時力を持っていた軍人兼政治家であったラ・ファイエットという人が「自由・平等・友愛」のフランス人権宣言を発表した。フランス革命が勃 発してからほぼ一月半後である。しかし、 フランス革命を私が評価しないのは、 ヴァンデの反乱のような悲惨なことが起こっているからだ。だから、はたして「友愛」がフランス革命を成功させる原動力になったとして礼賛して良いのかどう かはなはだ疑わしいのである。私としては,「友愛」は忌避すべきことばであって、他に適当な言葉を考えねばならない。
フランス革命を評価すべきでないのは,アメリカ建国時の思想を勉強すれば容易に判る。合衆国憲法の特質は、もちろん民主性をとっているが、基本的にはイギリスの伝統が色濃く反映されて いる。およそフランス型の憲法とは異質のものである。
星 川淳によれば(『小さな国の大いなる知恵』、ポーラ・アンダーウッド/星川淳、1999 年・翔泳社)、アメリカの建国の父といわれる人たちは、初代から第5代の大統領に到るまで、インディアンのイロコイ族の影響を受けており、アメリカの独立 宣言やその憲法には、イロコイ族の思想が色濃く反映されているという。合衆国憲法制定会議の起草メンバーたちは、「インディアン・クイーン」という居酒屋 で熱い論争を交わしたという。そして、アメリカ建国の足どりはイロコイ族に「手を引かれるようにして」進んだのである。
ところで、 アメリカ先住民族(インディアン)と私たち日本人は同じ人種のモンゴリアンである。したがって、イ ンディアンと私たちは、「野生の思考」というか縄文の感性というか、かなり似た神話を持っている。そういう点からすると、わが同胞・インディアンというこ とになるかもしれない。
インディアン社会は,我が国と同様,平和な社会である。おおよそ皆さんが持っておられるイメージとは逆である。このことはしっかり頭に叩き込んでおいてもらいたい。インディアン社会と日本社会に共通する哲学なり思想は「共生」である。
かかる観点から,私は,「自由、平等,友愛」に代る旗印として「自由、平等,共生」をずっと考えてきた。しかし、「リズム人類学」をお進めする今,「共生」よりもっと「協和」の方が良いと考えるようになった。
第7章は以上のことを書いている。

第8章、トイレの神様・・・21世紀は「リズムの時代」である
昨 年は「トイレの神様」が、年末のレコード大賞を受け,NHKの紅白歌合戦でも唱われ,上海万博でも中国語の字幕付きで会場にも流れたそうである。何故これ ほどまでの人気を博したのだろう? 私はこの現象に,時代の流れというものを読むことが重要であると思う。 私は,「トイレの神様」が人気を博したその奥に,そういう「響きあい」つまり「リズム」というものの力と「おばあちゃんの不思議な力」がある。「トイレの 神様」は「リズムの時代」の幕開けを示すものではないか? 私はそう思えてならない。
第4章に述べたように、「リズムの時代」は中沢新一いうところの「スピリットの時代」でもある。 天狗の棲む森づくりや河童の棲む川づくりに努めることが重要で,この章ではそのことについて書いた。
また,「リズムの時代」は「祈りの時代」でもある。祭りの再魔術化を行うなど、伝統を守りつつも新たな取り組みをするなど 、地域としては祭りに未来を託す覚悟が必要である。
さ て、 わが国のアイデンティティーは違いを認める文化にある。これをどのようにして文明にまで高めるかがこれからの課題である。今回の東日本大震災という 未曾有の国難に直面している今,日本は大転換を図らなければならないのである。パラダイムの転換,価値観の転換を図らなければならない。いろんな課題が山 積している。第一に、憲法改正にあたって「歴史と伝統・文化の継承」を大きな柱にする。第二に、ビジター産業をわが国のリーディング産業に育てなければな らない。第三に、歴史と伝統・文化にもとづく地域づくりを進めなければならない。第5に、さまざまな生物とスピリットの棲息空間を確保するためエコロジカ ル・ネットワークを整備したい。第6に,原始力発電はもう止めて,自然再生エネルギーへの大転換を図りたい。そして最後に、住民主導の地域づくりを進めな ければならないという重大な課題がある。。
最後の章・第8章ではそれらの課題の内「リズム」の観点から,ビジター産業の育成について話をし た。ビジター産業は単なる観光産業ではない。ビジター産業は、いわゆる観光産業のほか、研修や会議、スポーツ大 会、グリーンツーリズム、草の根国際交流などを対象とし、その整備からサービス提供までさまざまな職業があり得る。重要な点はコンテンツ産業を含むという ことだ。
コンテンツ産業とは、インターネットで入手する情報を作る産業のことである。各地域の歴史と伝統・文化に もとづいて作られるものすべてがその対象となり、地域の人々が幅広く従事できる。コンテンツ産業は,大都市より地方都市,地方都市とは地方拠点都市,さら にそれよりもっと小さい小京都のような盆地都市の方が有利であるように思われてならない。歴史と伝統・文化に恵まれて、山あり川ありの大変「スピット」の 多いところだからだ。「リズム」に恵まれているのである。
そして,私は,最後の最後のところ(第8章第5章)で今いちばんやりたいと思っている「平和国家のジオパーク」について書いた。多くの外国観光客に来てもらい,日本の文化に触れていただきたい。そして海外の日本ファン,日本文化のファンを増やしていきたいのだ。

(おわりに)
この本を締めくくる最後の決意として,私は,次のように述べた。
今 回の東日本大震災による未曾有の国難に直面して,我が国のパラダイムの転換をどうしてもやらなければならないが,その象徴的な問題として原始力の問題があ る。以前に私は「光と陰の技術」と題して私の技術論の原則的なことを書いたが,第2章第5節では「原始力発電は悪魔的技術」とまで言い切った。原子爆弾に しろ原始力発電にしろ,こういう技術は人類に無用のものである。
「すばる」という雑誌の6月号に中沢新一が「日本の大転換」と題して原始力技術廃絶の哲学を発表した。頭の固い人を説得し,「<100匹目の猿>が100匹」出てくるためにはどうしても中沢新一の哲学が必要だ。
中沢新一はただ単に哲学という象牙の塔に閉じこもっているだけでなく,パラダイムの大転換を図るために何らかの運動を考えているようだ。私としては日本のパラダイムシフトを図るために願ったり叶ったりのことでもあるので,お手伝いできることはお手伝いしなければならない。
私がこう言い切れるのも多くの方のお陰である。感謝!感謝!

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