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2011年1月25日 (火)

粋(イキ)

 

粋(イキ)

 

 

 粋(イキ)とは、広辞苑によれば「気持ちや身なりのさっぱりとあかぬけいていて、しかも色気をもっていること」とあるが、もともとは文化文政期に深川の遊里を中心に発達し、江戸の一般庶民の間に広まった美意識であるので、現在つかわれている意味合いは広辞苑のそれよりはもっと広いかもしれない。 小歌などでは粋(イキ)に唄うことが肝要で、節回しに気をつけなければならない点がある。私たちは、野暮ったくなく、粋(イキ)に生きなければならない。

 

  私は、今(平成19年1月3日)、小歌を習いだしておおむね1年になるが、師匠からは「そんな歌い方ではダメ! 粋に歌わなくっちゃ」・・・といわれる。 私などはどうしても関西訛とかカラオケの癖などが出るのであるが、どうもそれではいけないらしい。細かいところでいろいろと注意される。なかなかむつかし いものだ。しかし、まあ、慌てることはない。石の上にも3年というけれど、3年もすれば私だって小歌をイキに歌えるようになるかも知れない。

 

 ところで、粋(イキ)については、九鬼周造の有名な『「いき」の構造』(昭和5年)という本がある。彼によれば、粋(イキ)とは、日本人の民族精神を代表する美意識であり、「垢抜けしていて(諦め)、張りのある(意気地)、色っぽさ(媚態)」と定義されている。

 九鬼によれば、粋(イキ)の基本的意味は異性関係にあり、それは媚態と意気地と諦めという三つの契機からなっている。<媚態>とは、異性の征服を めざして接近しながらも、精神的合一をあえて拒否し、異性との緊張関係を持続させることによって生じる<色っぽさ>のことである。粋(イキ)の基調をな す。この媚態に一層磨きをかけたものが意気地と諦めである。<意気地>とは、異性にもたれかからない<心の強み>としての<張り>のことであり、その起源 は武士道の<道徳的理想主義>にあるという。また<諦め>とは、異性との別離を、運命としていつでも甘受しうる、執着を離脱した「あっさり、すっきり、洒 落たる心持ち」のことであり、その起源は仏教の<宗教的非現実性>にあるという。

 身ぶりや服装等の、身体を通しての粋(イキ)の自然的表現、模様や建築や音楽等に見られる粋(イキ)の芸術的表現もあり、粋(イキ)はまさに日本人の民族精神を代表する美意識である。

 九鬼の哲学は、他者と異なる個性を抱え込んだ人間が、他者との遭遇・邂逅を常に真摯に浮けとめ、それを通して自己の運命を愛していくという生き方 を目指している。私が思うに、彼の哲学は、私のいう「違いを認める文化」と通底しており、流動的知性に磨きをかけ、単なる諦めではなくてより積極的に矛盾 を生きようとするものであろう。私たち日本人は、現代の経済社会に見られる河合隼雄のいう「矛盾システム」について、この<粋(イキ)の精神>によってイ キイキと生きていくことができる筈である。

 

 註:緑色は平成19年1月3日に加筆したものである。

 

 

 

 

 

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コメント

先日、ツイートしましたが、言葉として日本人自身が改めて見つめ直す時ですね。色や音をはじめ、五感あるいは第六感も含めて、日本人の感性は何処の国から見ても豊かだと思います。
海外から来る観光者も期待していると思います。
この感性はジオにも通じますね。

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