山の神は女性か
狐は、狼がそうであるように、神のご眷属であり、神そのものではない。稲荷信仰では狐がご眷属というか神の使いとして極めて重要な役割をしている。狼がご眷属の神は現在それほど多くはないが、狐がご眷属の稲荷神社は全国に約3万社あり全神社数の約3分の1を占めている。1万〜2万社といわれる八幡神社もその数は非常に多いが、こちらの方はハトがご眷属である。そのほか、春日大社のシカ、日吉神社のサル、熊野大社のカラスなどが有名であるが、ご眷属で「古層の神」につながるのは狐と狼のみである。前に述べたように、柳田国男によれば、狐信仰も狼信仰も、そのルーツを辿れば山に行くようである。 山の神に対する信仰、それが狐信仰や狼信仰の原姿である。
ところで、私は、先に書いた「 マダラ神( 地の神)と妙見さん(天の神)との結びつき」というページで、『 マダラ神は、変幻自在にいろんなものに姿を変え、宇宙のどこかから突然私たちの前に現れ出てくる。そういう意味で、マダラ神の本質はその宇宙性にある。誠に摩訶不思議な神である。』・・・と述べたが、山の神というのもあらゆる信仰の原姿であり、本来、女性的な性格と男性的な性格と両方を持っている筈である。しかし、縄文時代が進んで・・・農耕社会が始まると、次第次第に・・・山の神は女性的な神に特化して行くようである。
柳田国男は、 昭和6年10月に書かれた「狼と鍛冶屋の姥(うば)」という論考(「定本・柳田国男全集・第8巻」、昭和44年1月、筑摩書房)の中で、次のように述べている。すなわち、
『 野洲那須郡では清水文彌翁の郷土史話に、毎年4月8日から月末までのうちに、狐様山犬様の初衣祝(うぶぎいわい)と」称して、村内各戸より米銭を集め、油揚わかさぎなどを調理して狐塚に供える。これをするのは狐山犬が、いたづらせぬようにという趣旨であったとある。この記事はちょっと混乱しているからもういちど聞き合わす必要があるが、とにかくに狐だけでなく狼にも物を送り、それを初衣祝(うぶぎいわい)と名付けていたことはあるらしいのである。陸前の狼河原(おいぬがわら)をはじめとして、狼をよく祭らぬと野獣の害が怖いといって、食物を供していた習慣は方々にあるが、それのみでは特に人間と同様に産養(うぶやしな)いの礼儀を守っていた理由は解釈し得ない。関西に広く行なわれている寒中の狐施行(きつねせぎょう)にも、稲荷下(いなりおろ)しを頼んで狐の口を寄せるとき、まずご眷属が何人いるかを尋ねて、食物の分量を多くしたり少なくするのは普通であるから、この二つの贈遺は起こりにおいて似寄ったものであったらしい。そうして自分はその起源を山の神の信仰と見ているのであるが、これも「山の人生」にあらまし述べたから、この場合にはあまり深入りしない。』・・・・と。
柳田国男の「山の人生」におけるひとつの課題は、「何故多くの山の神が女性であったのか」ということで、その論考の中で、前に紹介した三峯神社の御産立(おこだて)の神事が詳しく述べられている。
なお、農耕社会において地の神が女性であることは、「宗教、原始形態と理論」(監訳者柳川啓一、1976年11月、東京大学出版会)にも書かれているので、ここにそれを紹介しておきたい。すなわち、
『 (前略)農業文化ないし耕作社会の宗教においては、春の植え付けと秋の収穫の循環や、自然の再生と生産の力が強調される。この場合の中枢的な象徴は天ではなく地であり、男性ではなく女性である。そして、特に出産、生殖力、成長、成熟などが重視される。この場合には、女神が男神よりも重要な役割を担う。種々の農耕社会の宗教は、「小麦の母」や「穀物の母」などのような、大女神の象徴を対象として形成される場合が多い。文明社会の宗教を見ても、ギリシャのアルテミス、デメテル、ヘカテ、ペルセフォネ、ローマのディアナ、シピレ、インドのカリ、スメルのイナンナ、アッシリア.バビロンのイシュタル、エジプトのイシスなどの「大母神」が知られている。』・・・と。
さああ、それでは・・・これから皆さんを・・・上野のお稲荷さんにご案内するとしましょうか。原姿の神さんです。
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