2019年9月21日 (土)

浄蔵について


浄蔵について

浄蔵は、非常に呪力に長けた修験者であり、平安時代、京の人々にとっては、京を守り、自分たちを守ってくれる頼もしい人物であった。


平将門の反乱の折、浄蔵は、朝廷 から命ぜられて、比叡山は延暦寺で、大威徳法(だいいとくほう)という祈祷を行っている。将門の生き霊は四明岳(しめいがだけ)の将門岩に押し込められ、 将門の勢いは急速に衰えていく。京都では伝承としてそういう話が伝えられている。
京都では、浄蔵についていくつかの伝承が語られている。
文章(もんじょう)博士の三善清行が亡くなったのは918年だが、その死去の知らせを聞いたその子の浄蔵(じょうぞう)・・・、彼は天台の修験行者で大峰山で修行中であったのだが、その彼が京都に戻ってきたとき、偶然父の葬列に出会った。 そこで・・・祈祷上手の高僧・浄蔵が念じたところ、亡くなった三善清行が一瞬蘇生したと言われており、「戻り橋」の名がある。
宇治の平等院に「葉二(はふたつ)」という名笛が残っている。元は朱雀門の鬼の笛であったところから、別名「朱雀門の鬼の笛」という。その笛を吹ける者がいなかったので、天皇の命により、浄蔵という笛の名手が、月のあかるい夜、朱雀門にきてその「葉二」を吹いた。 そうすると、朱雀門の上から、鬼が大きな声、でそれを褒め称えたという。
平安時代の初め、この八坂の塔が西へ傾くということがあった。人々は凶事として恐れた。時の天皇は浄蔵を呼びつけ元通りにするのを命じた。浄蔵は、八坂の塔に向かって祈りはじめた。天空にわかにくもり、一陣の風が吹いたかと思うと塔はゆらゆらと揺れ、元の形におさまったという。

なお、祇園祭における山伏山は、浄蔵が怨霊調伏の修行のために山伏となって金峰山や大峰山に立て籠もった時の姿である。これも誠に不思議な話である。

以上のことを書いたのが次のエッセイである。

浄蔵について: http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/jyouzouni.pdf

天山(その4)

天山(その4)
はじめに(その4)

天山山脈の氷河は、「氷河マリモ」に力で猛烈な勢いで溶けて伏流水となって地下を流れていく。それをトルファンではカレーズという地下トンネルで町に導いている。その数と総延長は半端な数ではない。そのような歴史的な知恵によって、トルファンは素晴らしい「水と緑」の町になっている。第4章は「トルファンとカレーズ」とし、それらの紹介をした。

 

日本林業のあり方(その4)

第1章 問題だらけの日本林業(その4)
第3節 無秩序な林業用道路


もし路網がなかったら、作業するにも歩いていかなければならず、育った木を運びさすこともできない。膨大な森林面積を維持管理していくためには、整備された林内路網が不可欠である。ところが、日本の路網は問題だらけである。


路網はそもそも、地域森林全体を合理的に管理することを前提とした基本設計の上に整備される必要がある。具体的には、その地域全体を見渡して、どこまでトラックの通れる林道を整備するのか、どこから先は林業機械専用の作業道にするのかというグランドデザインである。
ところが、現実にはグランドデザインなしに場当たり的に作れるところに道をつくることが行われており、作ることの自己目的化が常態となっている。これではカネをいくらつぎ込んでも、まともな林業用の路網は整備されない。
また、その作り方も問題だらけである。かって批判されたスーパー林道や大規模林道は論外としても、現状の林道は設計者が公道と同様の発想で、自動車が無理なく走れるようにできるだけまっすぐに道を通すことを目的として山を切り崩して作るのが一般的である。こうした作り方では、土砂を大量に動かしたり、岩盤が現れた場合もそれを回避するのではなく、破砕して設計通りに作るので、巨額の建設経費がかかる上、集中豪雨などで壊れやすくなる。このような道は、環境に莫大な負担がかけることはもちろん、維持管理に巨額のカネがかかり続ける。林道とは名ばかりで、林業用に使うには無理がある。
このような道ができてしまうのは、林業用の路網のはずなのに、設計士が公道の延長でしか設計しない、実際に道を作るオペレータが訓練を受けていないから、現場で判断して柔軟に対応できず、ひたすら設計どおりに施工することに起因している。

もっとも、日本に技術力がないわけではない。たとえば、三重県にあるトヨタの森では、かなり傾斜であるが、」可能な限り山を切り崩さず、地形を読みながら自然な形で、トラックの通れる広めの基幹道を作っている。ここはもともと昭和40年ころにオーストリアの路網設計の専門家の指導を受けて路網整備を始めたところである。そうした設計思想がある上に、訓練を積んだオペレータがいる。現場の状況に応じ、たとえば岩盤にぶつかりそうになるとそれを迂回する形で開設するなどして、現場で柔軟に対応できることから、このような道作りが可能となる。しかも、こうした技術力があれば、1日あたりかなりの距離の道を作ることができる。だからこそ、設計費もそれほどかからず、開設経費も低く抑えることができる。

以上の通り「林道」は従来生活道も含めて作られてきており、公道に準じた規格になっている。このため、これから日本で必要とされるトラックの通れる林業用に基幹道と、従来の従来の林道を区別するため、林野庁では林業用に基幹道を新たに「林業専用道」という名称で呼ぶことにした。

美しい日本の歌(その1)

美しい日本の歌(その1)
故郷

https://www.youtube.com/watch?v=_C_WIGih-V8

2019年9月18日 (水)

松尾大社

松尾大社

 

嵐山に有名な堰がある。この堰は一の井堰または葛野堰(かどのせき)」といい、左右岸に用水の取り入れ口がある。取水堰である。その用水路は、現在、松尾大社の前を流れている。もちろん葛野堰ならびに用水路は何度も作り変えられているけれど、最初の堰ならびに用水路はとても古く、秦氏が太秦を本拠地として定住した時に造られたのである。したがって、秦一族が京都にやってきた時期は、おおむね葛野堰が最初に作られた時期と考えて良い。松尾大社と秦氏にまつわるこの一連のことについては、次をご覧ください。

松尾大社: http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/matuotaisya.pdf

 

天山(その3)

天山(その3)
はじめに(その3)

2016年2月に放送されたBSフジの特別番組は、『日中共同制作 天山を往く~氷河の恵み シルクロード物語~』というテーマだったが、その核心部分「天山」とはどのような山脈なのか? また、氷河の恵みとは何なのか? それらのことを放送にしたがって勉強することにし、その成果を第3章「天山について」で紹介することとした。放送では、天山第一氷河を取り上げ、そこに生息する「氷河マリモ」という不思議な微生物のことを取り上げているが、そもそも天山第一氷河は天山山脈の何処にあり、そもそも「氷河マリモ」とはどのような微生物なのか、第3章「天山について」ではその点を詳しく説明することとした。さらに、天山山脈には 世界遺産「新疆天山」があるので、その説明をすることとした。第3章を読んでいただければ「天山」について詳しく理解することができるであろう。

日本林業のあり方(その3)

第1章 問題だらけの日本林業(その3)
第2節 間伐の量も質も問題


森林を将来につなぐには、伐採のルール整備と並んで、適正に間伐が行われていることが重要な要件である。しかし、これも問題だらけである。

人工林は40〜50生前後までは木の間隔が狭いうえ、枝も短い間隔で張っていることから、間伐してもすぐに暗くなってしまう。このため、最低でも10年に一度のローテーションで間伐をする必要がある。つまり、年間にどの程度間伐しなければならないかは、森林面積から自ずと導き出せる。
これを日本の森林にあてはめると、人工林は1040万ヘクタールだから、年間に間伐すべき面積は100万ヘクタールになる。このうち、このうち、もっとも間伐が必要となる20年生から50年生の林分は700万ヘクタールなので、間伐の緊急性の高い森林面積は70万ヘクタールということになる。
ところが、間伐面積は、長年にわたり30万〜40万ヘクタール前後とこれを大幅に下回る面積で推移してきた。
間伐の最大の担い手である森林組合が一般民有林の間伐を行う場合、新規顧客開拓をほとんど行わず、過去に施行したことのある所有者の森林の間伐を繰り返しやるのが通常だからである。このため、間伐が繰り返される森林がある一方で、手つかずの森林はいつまでも手つかずのままであり続ける。

間伐の問題は面積という量が不十分なだけにとどまらない。適切に間伐がなされているかという質の面でも多くの課題を抱えている。
間伐の目的は、目標とする森づくりのためである。林分の状況に合わせた施業が行われなければならない。ところが目標を念頭に置いた施業がなされることはまれで、大部分は補助金の規定に従って機械的に間伐されているだけだ。この結果、間伐しても林内が薄暗く、その効果が希薄だったり、反対に切りすぎて、すかすかになっていることは日常茶飯である。
また、利用間伐の場合、いい木ばかり刈ったり、必要以上に刈ったり、残った木が傷だらけになっていることも珍しくない。これでは長期的な成長はできないし、収穫量は減り、材の質も大幅に劣ってしまう。経営上も森林の多面的機能の面からも大きなマイナスになってしまう。
最近の流行りは、列状に機械的に伐採する列状間伐である。この場合、いい木も悪い木も刈ることになるため、列状間伐が適応できるのは、比較的立木本数が多く、混んだ若い林分などの条件とところであるべきである。ところが、現実には、林分にかかわりなく、列状で間伐される例が至るところで起こっている。
このような施業の問題は、国有林や地方公共団体が所有する公有林、県が運営する林業公社、独立行政法人である旧緑資源機構や森林組合すべてに共通である。

施業が適切に行われている例は、所有者自らが森林の管理を行い、そこで生計を立てている森林か、所有者が直接経営に関与しない場合でも、数十年にわたり継続して同じ方針の下で管理している責任者がいる森林に限られる。たとえば、前者については、三重県の速水林業や北海道の石井林業などが代表例である。後者の事例としては、鹿児島県の藤川山林(今治造船所有)や長崎県の鍋島家山林などがある。


岩井國臣の注:施業が適切に行われている例は、上記の他に、住友林業の例があるかと思われます。住友林業では次のように言っておられます。
住友林業グループは、約46,000ヘクタールの社有林でSGEC森林認証(2003年に一般社団法人「緑の循環」認証会議にて設立された森林認証制度)を取得し、持続可能な森林経営を実践すると同時に、各事業分野において国産材を積極的に活用し、国内林業の活性化に貢献していきます。

勝ち名乗り

勝ち名乗り
https://www.youtube.com/watch?v=Pc-lb4UbH-I

2019年9月14日 (土)

蹴上疏水公園について

蹴上疏水公園について


明治になって、東京が首都となり、天皇が東京にお移りになった。

 京都は、「<天皇はん>がおられなくならはった!」ということで、騒然となった。
明治政府はそれを鎮めるため、わが国近代化の先駆けをまず京都で行うこととした。すなわち、かの有名な疎水運河と、そしてそれに関連し、わが国最初の発電所と電気鉄道、この三大プロジェクトの建設である。私は,明治政府に天皇ゆかりの人たちが多かったので,こういう世紀のプロジェクトが行い得たのだと思う。明治政府にはまさに心のこもった人たちがいたのである。

天皇が京都から東京に行かれたことで、京都は大騒ぎになった。それを抑えるために明治政府は、世紀の大事業をやらざるをえなかった。 琵琶湖疏水によって、今まで荷馬車による運搬が舟運に変わったこと、ついで発電により個人の家に電灯がつき始めたこと、三つ目にチンチン電車が走り始めたこと、これらの世紀の大事業によって、京の人たちは、明治政府の誠意を見て、やっと納得したのである。

それら大事業の要となる琵琶湖疏水は、非常な難工事で、当時の土木技術では到底成し遂げられない筈のものであるが、それを成し遂げたが田辺朔郎である。田辺朔郎と言っても知らぬ人がほとんどだと思うが、誠に偉大な人物で、明治維新の大功労者の一人である。その銅像が南禅寺の蹴上疏水公園にある。蹴上疏水公園では、蹴上の発電所の発電用水の取り入れ口やかの有名なインクライを見ることができるし、近くの疏水記念館に行けば、琵琶湖疏水がいかに難工事であったか、またそれを田辺朔郎がいかに取り組んだかを知ることができる。

明治維新を理解するため、何はともあれ蹴上疏水公園に是非一度は出かけて欲しい。では、蹴上疏水公園の詳しい説明をしたいと思う。

蹴上疏水公園: http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/sosuikouen.pdf

 

天山(その2)

天山(その2)
はじめに(その2)


第1章で書いたシルクロードは、全体の中の一部分であり、新疆ウィグル自治区に限ったものであるが、そもそも新疆ウィグル自治区とはどういうところなのか? 中国の最西部に位置しているが、産業はどうなっており、交通はどうなっているのか、また首府であるウルムチという大都市はどのような都市であるのか? それら勉強し、第2章は「新疆ウィグル自治区について」とした。

 

 

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