2020年5月30日 (土)

広隆寺について

広隆寺について

広隆寺は、平安遷都以前から存在した、京都最古の寺と考えられているものの一つである 。
現在の広隆寺は太秦にあり、太秦広隆寺とも呼ばれる。これは、 平安遷都にあたり、 損野(かどの)から移転したものであり、 元の広隆寺は損野広隆寺と呼ぶのがいい。 損野は現在の白梅町付近(北野神社の少し西)である。そこに秦河勝が建立したのである。

秦氏は山背(やましろ)の地方豪族として、平安遷都に尽力する。その際、損野広隆寺の敷地を平安遷都のために朝廷に提供し、寺を太秦に移転させるのである。そのあたりの経緯を説明する。

広隆寺について:http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/kouryuujini.pdf

玄奘とシルクロード(その5)

玄奘とシルクロード(その5)
2、キルギスについて

面積は日本のだいたい半分くらい。約570万人の人々が暮らす、小さな国。
「ビシュケク」という街が首都です。
キルギス最大の都市ですが、人口は90万人ほど。

天山山脈と神秘の湖”イシククル”で有名なキルギス共和国は、中央アジアのスイスと呼ばれるほど、山、川、氷河、など自然に富んでいます。

キルギスという国の国土について、詳しい説明は次をご覧ください。
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/kiru02.pdf

 

 

 

田舎暮らしの勧め(その8)

田舎暮らしの勧め(その8)
ニワトリ

田舎では「ニワトリ」の声を聞く。ニワトリの声とともに起きるというのは自然に溶け込んだ生活だ。自然との一体感、それは日常生活の中に自ずとあるというのが理想である。それこそ近代技術文明に毒されない一つの生き方ではないか。
https://www.youtube.com/watch?v=8TX-fMIU9fg

美しい日本の歌(その19)

美しい日本の歌(その19)
スキーの歌

https://www.youtube.com/watch?v=KNWI19yTOPg&list=PLrw8btfus_oVvN5sx4-LQx3kCEmOwPXRM

2020年5月27日 (水)

今宮神社

今宮神社


今宮神社は、平安遷都以来、京都では災厄や疫病が増え、それを祓うため建立された。

四月の第二日曜日に行われる「やすらい祭」は、京都三大奇祭のひとつとして有名。今宮神社の「やすらい祭」は、1987年(昭和62年)に、国の重要無形民俗文化財に指定されている「地域に根差した民俗行事」である。

大徳寺側の横の入り口の門の手前には「あぶり餅」の店がある空間がある。灯篭もあったりしてなかなかいい空間である。江戸時代の時代劇にも出てくるお馴染みのところである。

境内には、本殿のすぐ脇に、七夕伝説の織り姫に機織りの技術を伝えたとされる、栲幡千千姫命(たくはたちぢひめのみこと)が祀られ、織姫社は織物の神様として西陣の人々に深く信仰されています。

 

今宮神社: http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/imamiyajin.pdf

 

玄奘とシルクロード(その4)

玄奘とシルクロード(その4)
1、チベットとキルギスとの繋がり(その1)


インドの仏教は、401年、鳩摩羅什によってシルクロードを通じて中国に伝えられたが、上に述べたように、シルクロードとは別ルートでチベットに入ってきて中国とは異なるチベット独特のチベット仏教として発展した。チベットは、古来、交通の要所であった。インドやシルクロードとも繋がっていた。

そういうチベットというとこについて書いたのが、次の報告書である。
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/tibettoto.pdf


その中でチベットのガリ地区については次の通り説明した。
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/garitiku.pdf

グゲ王国は、9世紀に、7世紀初めから9世紀中ごろにかけてチベットにあった統一王国・吐蕃の王族の一部が西チベットで建国した王国。


ガリ地区について、ウィキペディアでは次のように説明している。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AC%E3%83%AA%E5%9C%B0%E5%8C%BA#%E3%83%81%E3%83%99%E3%83%83%E3%83%88%E8%87%AA%E6%B2%BB%E5%8C%BA%E3%82%AC%E3%83%AA%E5%9C%B0%E5%8C%BA

インド、ネパールの貿易拠点として栄えた。さらに、キルギス側からトルファンやウルムチにも行けたのである。つまりチベットは古くからキルギスにおいてシルクロードとつながっていたのである。

これをキルギス側から言えば、キルギスはヨーロッパや中国のみならず、インドとも繋がる大拠点であったのである。玄奘三蔵のインドへ旅は、高昌国の次はキルギスに滞在し、諸般旅の準備をしたのである。

田舎暮らしの勧め(その7)

田舎暮らしの勧め(その7)
田んぼの音楽

田舎では、近くの田んぼでも野鳥の歌を聴くことができます。森林セラピーは少し山に登らなければなりませんが、田んぼなら手軽に野鳥の歌を聴くことができるのです。これが田舎暮らしのいいところ。

https://www.youtube.com/watch?v=0PYIqdjW7s8


カエルの合唱

田舎では、近くの田んぼでもカエルの合唱を聴くことができます。野鳥のさえずりも心が癒されますが、カエルの合唱もなかなか乙なものです。野鳥のさえずりもカエルの合唱も自然の音楽ですね。生態系豊かな田んぼを増やしてほしいものです。そして、都会の若者にはできるだけ多く、田舎に来て、自然に溶け込んだ田舎暮らしをしてほしいものです。

https://www.youtube.com/watch?v=jX6uVmmcfQs

美しい日本の歌(その18)

美しい日本の歌(その18)
雪やこんこ

https://www.youtube.com/watch?v=aIIuUOl-n8Y

2020年5月24日 (日)

高台寺

高台寺

秀吉が死んで、豊臣政権は、加藤清正、福島正則、黒田長政らおねのグループと石田三成のグループに別れて、内紛状態になっていく。そして、徳川家康の実力を認めるおねは、政権安定のため徳川家康に力を貸すのである。徳川家康自身の配下にも力のある武将は少なくないけれど、加藤清正、福島正則、黒田長政らおねのグループが力を貸したこそ徳川家康は天下を手中にすることができた。

秀吉が作り上げた政権を引き継いだ徳川家康は、寧々に感謝し、寧々の晩年の生活を助けるのである。そして創建されたのが高台寺である。
北政所ねねが、秀吉を偲び、また秀吉の霊を慰めながら晩年を過ごした所である。

高台寺: http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/koudaiji.pdf

 

玄奘とシルクロード(その3)

玄奘とシルクロード(その3)
はじめに(その3)


玄奘三蔵のインドへの旅については、(その3)のような説明して、そのルートとして次の図を示した。
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/genru-to.jpg


上の図には、亀茲と西突厥という字が見えるが、亀茲は天山北路のクチャのことであり、西突厥はキルギスのことである。

クチャについては、論文「シルクロードと天山」の第6章に詳しく説明した。
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/siruten6.pdf

しかし、キルギスは、天山山脈の相当西側にある都市なのでまったく触れなかった。しかし、玄奘三蔵のインドへの旅を考えたとき、極めて重要な都市であるので、この際詳しく説明することとしたい。

«田舎暮らしの勧め(その6)