2019年7月17日 (水)

賀茂のみそぎ

賀茂のみそぎ

白洲正子の「私の古寺巡礼」(2000年4月、講談社)で「加茂のみそぎ」について次のように書いている。すなわち

『 平安朝の加茂のみそぎが、どのようなものであったか知る由もないが、別雷神は、その名のとおり雷神で、荒ぶる神であったから、舞台装置ははるかに大きく、野趣にとんだ神事ではなかったかと思う。神に対する信仰が薄れた今日、そういうものを望むのは無理な注文だが、地方の神事に比して、演出は巧くなっていても、全体にみてスケールが小さく、雛形化しているのは、公家の影響か、それとも都会に近すぎるためだろうか。たとえ雛形化していようと、加茂のみそぎは、一瞬私を、平安朝の昔に還してしてくれたことは事実で、心身ともに浄められたような気分になり、猛暑を迎えても一向に衰えないのは、やはり御利益があったのだろう。』・・・と。

白洲正子のいう加茂のみそぎ」とは上賀茂神社の夏越大祓のことである。したがって、上賀茂神社の説明をする中で、夏越大祓の説明をしたいと思う。

上賀茂神社: http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/kamigamojin.pdf

 

 

希望の習近平(その5)

希望の習近平(その5)
新たに習近平に期待するもの
4、中国伝統文化(その2)
中国にも憲法がある。その憲法は、中国共産党が英知を集めて、作り上げたものであるので、今後改正があるにしても、当面、それを大前提に正しく政治が行われればそれで良い。今皇帝(中国共産党の最高権力者は、今で言えば昔の皇帝のようであるので、私はは、中国共産党の最高権力者と呼んでいる)は憲法から逸脱するような勝手な行動をとってはならないし、常に「天の道」に即して、秩序維持のために社会に過度に干渉することは避け、さらに統治にかかるコストを下げるようにしなければならない。道家の中から、老子哲学をしっかり身につけた名僧が生まれでてくれば、その人物の指導を得て、今皇帝はそういう政治を行うことができる。そうすれば、これからも中国は天命政治を続けることができる。中国共産党一党独裁の政治を続けることができるのである。

私たち日本人は、その長い歴史の中で、中国からの伝来文化の恩恵を受けてきた。現在の日本文化のほとんどのものが中国からの伝来文化の影響を受けている。
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/tyuudenrai.pdf

 

田舎暮らしの楽しみ(その7)

田舎暮らしの楽しみ(その7)
赤とんぼ

唱歌 「赤とんぼ」(三木露風作詞・山田耕筰作曲)に歌われた赤とんぼ(アキアカネ)は、日本のコメ作りの歴史と共に生きて来たトンボですが、全国的に激減しています。
 「そんなことないよ、うちの近くではたくさん飛んでいるよ。」との情報で現地確認すると、その9割強は、姿や大きさが良く似たウスバキトンボ(トンボ科ウスバキトンボ属)で、多くの人たちが赤とんぼ(アキアカネ)と勘違いしておられるようです。
なぜ激減しているのか?それは、一言で言えば、「良い田んぼ」が減っているからです。日本は瑞穂の国ですから、本来、田んぼというものは、近代技術文明の毒されず、「良い田んぼ」であるべきです。
現在、「良い田んぼ」が激減しているその現状については、次のホームページに書かれている通りだと思います。
http://yamanenone.at.webry.info/201009/article_2.html

全国的に、赤とんぼ(アキアカネ)を復活させるいろいろな運動が行われていますので、それら運動の広がりを願っています。

 

 

大学時代の愛唱歌(その9)

Im Wald, im grünen Walde

山岳部で歌った歌(その3)

https://www.youtube.com/watch?v=AAxIlgR87f0

2019年7月15日 (月)

崇道神社

崇道神社 


長岡京 は、桓武天皇の勅命により、四神相応の地・山城に遷都したのであるが、それには反対者がいた。その一人に桓武天皇の弟・早良親王がいた。そのために早良親王は不幸な死に方をしているが、その怨霊を鎮めるために、崇道神社が創建された。


崇道神社:http://www.kuniomi.gr.jp/togen/iwai/sudoujin.html

希望の習近平(その4)

希望の習近平(その4)
新たに習近平に期待するもの
4、中国伝統文化(その1)
林望は、その著書「習近平の中国」(2017年5月、岩波新書)の中で、中国文化について、次のように述べている。すなわち、
『 中国が歴史的に見て偉大な文明国家であり、多くの文化や価値観を生み出してきたのは間違いない。王岐山はフランシス・フクヤマらとの会談で「中国文化の中には優秀なDNAがある」と述べ、その歴史と自負を語った。しかし、中国文明の遺伝子は、様々な文化や民族が混じり合い、諸子百家と言われた思想家たちがそれぞれの主張を競ったような社会の多様性と寛容さの中で育まれたのではないか。』

私もそう思う。 中国の長い歴史の中で「諸子百家」という言葉がある。諸子百家(しょしひゃっか)とは、中国の春秋戦国時代に現れた学者・学派の総称である。「諸子」は孔子、老子、荘子、墨子、孟子、荀子などの人物を指す。「百家」は儒家、道家、墨家、名家、法家などの学派に属する多くの人々のことである。
春秋戦国時代(しゅんじゅうせんごくじだい)は、中国史において、紀元前770年に周が都を洛邑(成周)へ移してから、紀元前221年に秦が中国を統一するまでの時代のことである。その時代に活躍した諸子百家、そのような多くの学者が政治に関与した、そういう歴史は世界の歴史でも珍しく、中国伝統文化の一つと考えられる。しかし、そういう中国伝統文化は、 いわゆる諸子百家の時代に花咲いたとはいえ、その下地はもっと古い時代にある。政治に大きな影響を与えた思想家が少なからずいたのである。その代表が晏嬰(あんえい)である。
晏 嬰( 紀元前500年頃の政治家)は、中国春秋時代の斉の政治家。学派を形成したわけではなかったので、諸子百家には入らないが、当時の王朝の中でもっとも偉大な思想家である。中国春秋時代には多くの学者が王朝の政治に大きな役割を果たすが、その源流に晏嬰がいるのである。
晏嬰の時代から、150年~200年ほど後になるが、紀元前4世紀(紀元前400年から紀元前301年まで)田斉の盛時をもたらした威王や宣王は、各地から多くの学者を集めた。彼らは日々論争し、人々はこれを百家争鳴と呼んだ。稷下の学士 (しょくかのがくし) は、直接斉の政治に関与する人々ではなかったが、卿につぐ次官級の俸禄を与えられて優遇された。人数は、数百人から千人ともいわれている。おそらく彼らは斉の政府が政治を行う上での案を採る対象として招かれた、もしくは集まった人々であると思われる。

中国の伝統文化として忘れてならない一つに道教文化がある。 晏嬰が面白いと同じように、道教も面白い。こだわりがないからだ。日本の宗教は神仏習合の歴史を持っているが、道教は、老子の教えを基軸に、老子の教えと孔子の教えと仙人の教えという三つの教えが習合しながら発達してきたものである。

以上は、道教文化について勉強するとともに、 天命政治の成功のために今後何が必要かを私なりに考えてみた論文の要旨である。諸子百家や晏嬰のことなど詳しくは、その論文「中国伝来文化を考える旅」をご覧いただきたい。

http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/tyuuden.pdf

 

 

田舎暮らしの楽しみ(その6)

田舎暮らしの楽しみ(その6)
ほたるの乱舞

田舎では山際に小川がたくさんあり、その中のいくつかの小川でほたるの乱舞が見られます。
蛍というものは不思議な光を放つもので、それを見るのも田舎暮らしの楽しみの一つです。

https://www.youtube.com/watch?v=xfwkz0NSSZM&fbclid=IwAR2e8-AaSb6-TyT_xPgHqC46SiVFHGrnycpNgIMmoI-Aya0WL2ksij9Eqbk

 

大学時代の愛唱歌(その8)

シャレコウベと大砲

山岳部で歌った歌(その2)

https://www.youtube.com/watch?v=pK24Z-7Flj4

2019年7月13日 (土)

秦氏について

秦氏について

秦氏というのは誠に不思議な一族で、この一族を理解しないで日本の歴史は語れないというほどのものだ。秦氏は、新羅系の渡来人であるが、新羅系に限らず、さらには渡来系や在来の人たちに限らず、また鉱山や鍛冶に限らず、土木や養蚕や機織りの技術集団を束ねて全国の殖産に力を発揮した一族である。

秦氏の子孫に世阿弥が出ている。秦氏は能の創始者である。
また、秦氏は、朝廷に惜しみなく協力する一族で、桓武天皇の二大政策、平安京の建設と東国の経営にも惜しみなく協力していく。。

 

秦氏について: http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/hatasini.pdf

 

希望の習近平(その3)

希望の習近平(その3)
新たに習近平に期待するもの
3、「中華民族の偉大な復興」という壮大な夢
習近平はよく語り、よく動くリーダーだ。経済改革、農村問題、軍の再編、外交、反腐敗、インターネットの管理、食品の安全など次から次へと新しい方針や政策を打ち出し、「重要講話」を繰り返している。その中で、特に、2012年11月の演説は、習近平の政治理念と中国の行く末を理解する上で大事なものであるので、それを以下に紹介しておきたい。
改革開放以来、我々は歴史を総括し、苦しみながら探究を続けた末についに「中華民族の偉大な復興」を実現するための正しい道を見出した。我々はこれまでのどの時代よりも、「中華民族の偉大な復興」という目標に近づいている。すべての党員は肝に銘じてほしい。落後すれば叩かれるのであり、強くあるためには発展を続けなくてはならないということを。肝に銘じてほしい。正しい道を見出すのがどれだけ大変なことであったかを.我々はこの道を迷わずに進む。いま、多くの人が「中国の夢」を語っている。私は「中華民族の偉大な復興」こそが近代化以来、中華民族が目指してきた最も偉大な夢だろうと思う。一人一人の未来と運命は、国家や民族の前途と運命を深く結びついている。国が良くなり、民族が良くなってこそ、一人一人が良くなれる。「中華民族の偉大な復興」は光栄であるが困難な事業であり、そのためには代々の中国人がともに努力していかねばならないのである。

2012年11月の演説は以上のとおりであるが、哲学的であり、非の打ち所のない政治理念である。これだけの演説をできる政治家は世界広しといえども習近平しかいない。「中華民族の偉大な復興」は、習近平がその後、何度も繰り返すことになるキーワードだが、それを叶えることが共産党の使命であり、共産党が中国を率い続ける理由だと言っているのである。
4000年の歴史を誇る中国の人々が「中華民族の偉大な復興」という壮大な夢を抱くことは、ごく自然のことである。その際に私たちが注意しなければならないのは、その夢の曖昧さと時間軸の長さである。時代は動いている。世界の政治や経済、それに文化も動いている。そういう世界情勢の中で、一口に「中華民族の偉大な復興」と言っても、その内容は漠然としたものにならざるをえない。その内容は、時代とともに変わっていく。固定したものではないのである。進化し続ける、そのことが大事なのであって、「中華民族の偉大な復興」という壮大な夢が世界の人々がある程度納得できる形で達成されるまでには、相当の時間がかかるであろう。しかし、どれだけの時間がかかろうと「中華民族の偉大な復興」という壮大な夢を抱くことが大事である。

 

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